【須賀敦子さんの『ユルスナールの靴』】
イタリア文学者であり、日本のエッセイストの須賀敦子さん(故人)が母校である小林聖心女子学院の先輩であると知りませんでした。
数ページ読んだだけで、その滑らかな言葉選びに虜になりました。また、話の内容は、20年以上前に私が在学中に感じていた【信仰】に関する不思議な記憶を思い出させてくれるものでした。
小林聖心女子学院はキリスト教カトリックの、かなり厳格な学校で、一年を通じて朝礼でのお祈りや、ミサや奉仕活動の行事が多く、田舎の公立小学校から来た新参者には、初めて参加する宗教行事は驚きの連続なわけです。どのクラスにも数名在籍していた信者さんは、普段は一緒にマラソンをしたり、掃除をしたり、学力試験を受けたりしているわけですが、ミサの時には、すっと違う世界に行ってしまうような存在でした。隣にいるのに、ベールを被るだけで静かな世界が広がる、喧騒から逃れるってこういうことかなと、思ったりしていました。
高校生になって、自分の反骨精神と折り合いがつかなくなってきたあたりで、「目に見えない神様を信じるとはどういうことか」と聞いてみたくなったのは事実で、でもよっぽど親友であっても聞かないだろうし、聞けないし、仮に親友であったとしても、熱心に宗教を勉強したり、行動したりしている姿を静かに傍で見ていたい、と思ったにちがいないでしょう。
また、信者さんではないけれど、信仰について興味をもって、信者さんに近い距離で積極的に宗教行事に参加している級友も何人かいて、今の世間のトレンドのような寄り添う、という表現は当時思いつかなかったけれど、価値の多様性について知るきっかけになったのは確かです。そういうことも本の中で触れられています。
読み終わった後に、須賀敦子さんについて調べていたら、須賀敦子翻訳賞なるものを主催されていて、過去の受賞者の中に、関口英子さんという、これまた私の大好きな翻訳家がいらっしゃって、飛び上がるほど嬉しかったのです。関口英子さんが翻訳された『靴ひも』(ドメニコ・スタルノーネ著)は、昨年読んだ本の中で最も印象に残った本でした。好き、とは違う気がします。テーブルの下で組まれた足を含めた下半身が家族、上半身が知人、といった奇妙な人たちの話です。バレていないと思っている秘密が、実はバレていて、気が付いていないのは自分だけ、なんてのは結構あるんではないか、と思っています。
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