男性特権

 私は、女性であり、その点においてマイノリティである。中学生の頃、女性は将来家事・育児をしなければならず、今勉強してもどうせやりたい仕事なんてできないのだからと思い、息苦しさを感じていた時期があった。周囲の女性は、父の横で補助的役割として働く母、あるいは結婚したら仕事を辞める教師が大半で、そうでなければシングルマザー、あるいは未婚女性で、その場で働かねばならない人という印象が強かったのである。

 鹿児島県の田舎で育った私は、おそらく都会の人よりも「女の子なんだから」という言葉もよく聞いた。男の子は無く3姉妹に末っ子として生まれたので誕生をあまり歓迎されなかったこともあったそうだ。そうして私はネガティブなステレオタイプを内面化していた。
 大学に入り上京して、育児をする男性を町で見かけることがあり、キャリアを重ねる女性たちとも知り合い、女性であることは男性の複次的存在ではなく、キャリアを進めることもできるのだと自身の性にポジティブにいられるようになった。また、大学に入ってから、複数の男性に「君は笑っていればいいんだよ。」と言われた好意的セクシズムや、道でどうしても身体的に力の敵わない相手からの視線に身の危険を感じたり、痴漢を受けたりした経験によって、息苦しさを感じ、それが怒りに変わったことが女性であるということがどういうことなのか疑問をもつきっかけになった。

ジェンダーの葛藤
 自身にミソジニーを内面化していないか、自分を価値のある存在として男性と対等であることが当然だと心から思っているのか、自分に問うと同時に、そう思えない心と葛藤している。
 私はジェンダー平等や性的マイノリティの権利など社会課題や政治についてSNSを使って発信することが多い。しかしそのことに対し、男性は良く思わないのではないかと思っていて、自分が好意を寄せる男性もこのSNSを見たらきっと幻滅するだろうと恐れている自分がいる。食事処では、ごはんやサラダやお茶をよそったり汲んだりしないといけないのではないか、上手な料理をふるまわないといけないのではないだろうか、おごってもらって男性を持ち上げないといけないのではないだろうか、これらを断ったり、やらなかったら私の「女性としての魅力」がなくなって嫌われてしまうのではないだろうか、あるいはその時は何も言われなくても陰では何か言われているのではないだろうかと恐れる気持ちが大きい。社会ではそうしたほうが「わきまえ」ていて、印象が良いのかもしれないとも恐れる気持ちがある。自分はジェンダー不平等について積極的に異を唱えることをしながらも、そして自分の意図する自分の姿ではないにも関わらず、自分に「女らしく」あることを強いようとしてしまうことがある。「女性としての魅力」というものが虚像だと言うことは頭では理解していて、「女らしさ」を要求する男性であればこちらから願い下げだと思っているのだが、そう手放しには思えない自分もいることを自覚している。「男性」が、フェミニズムの敵なのではなくて、「家父長制」こそが、敵であるということは意識して、自分が女性であることの肯定をしていく必要があるだろう。「らしく」なければというのは、男性にも女性にもそれぞれある考え方だと思うが、料理をふるまうといった家事や「面倒見がいい」ことを突き詰め、自分にも内包していると自分が将来、家事育児という役割をおってキャリアをあきらめなければならないときが来るのではないかと同時に不安に思うのである。
 私の父は「男は仕事、女は家事育児」という考えを支持していて、母は自営業をする父の下で補助的な役割として働きながら3人の娘を育てた。母が病気でも父は構わず遊びに出かけ、子供が病気になったら母のせいだと責め立てていた。どうして家事をしないのか問うと、父は敵意的セクシズム意識が強く、「お母さんは(私の母、父の妻)好きでやってるんだからいいんだよ。」といつも一方的に言っていて、母は黙っていた。母を見ると必ずしもそうではないように私には思えていて、そのように押し付けられたくない、抵抗感というのを私は持っているのだと思う。たとえ「らしさ」を男性が追求しても、男性は経済的に厳しい立場になることにはつながらず、今の社会において経済基盤を揺るがされることはないだろう。しかし女性はそうはいかない。女性が「らしさ」を追求することには危険が伴うと気がついた。

身体の選択
 自分の体について自身に選択権がないと感じることがある。女性からの避妊にはお金がかかるし、もし避妊に失敗したとしてもアフターピルを手に入れるには病院に行かなければならない。先日、はじめて近しい人のそのような経験を聞いた。彼女は、避妊に失敗したかもしれないということで、アフターピルを処方してもらうために病院に行ったそうだった。朝になって病院に行くまでの間、不安で眠れない夜を過ごしたそうだ。幸いにして相手が金銭的な負担をしてくれたが、彼女にその余裕はなかった。もし相手からの金銭的サポートがなければ、彼女の人生は変わっていたかもしれない。妊娠を理由に女性が学校を辞めなければならなかったり、子どもをトイレで産むことになったり、産んだらすぐ殺害してしまうようなこともたびたびニュースで目にする。様々な理由が考えられるが、より安価に女性主体で避妊ができたらどうだろうか。もし女性がもっとこれらの政治的会話に主導的な立場にいれば、自身で自分の身体について選択することもできるのではないかと思う。

制度的男性特権
 日本の男女の賃金格差は、他の国と比べても大きく、大槻によると女性の賃金は一般労働者の男性の賃金の約7割であり、短時間労働者の女性の賃金は、男性の一般労働者の約5割だという。そして管理職的職業従業者に占める女性の割合も男性より低い。(大槻:p18)内閣府によれば、政治家に至っても衆議院10.1%(2017)、参議院23.1%(2016)しか女性がいない。政治的物事を決定する場面に女性が人口比に反して少ないのも、男性特権であり、男性が権力を持っていることに慣れている。
 自分が無意識的にもつステレオタイプを実感した出来事が、最近あった。テレビでアメリカ新大統領の就任式、就任する閣僚がパートナーとともに入場してくるシーンを見ていた時、この人はこの職の人、と目で追っていたところ、誰だかわからない人が入場してきて、しばらく誰だろうと思っていたのだが、ふとパートナーに目をやるとその人が副大統領のカマラ・ハリス氏であった。私は無意識的に男性だけを政治家だと思い、疑いもなく目で追いかけていたのだった。女性の権力者が増えることをとても喜ばしく思っているのに、「男性であるべき」とは全く思っていないが「男性であるはず」という見方は実際男性の方が多いという実情において、経験によって体にしみこんでいるのだと自分にドキリとした。


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