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特権の気づき


 私は、とある黒人ルーツ人のコミュニティ運営に携わっている。ブラックにルーツのある日本に住む人たち、そのうちのいわゆる日本とアフリカの「ハーフ」の人たちは、アフリカ系であり、アジア系でもあり、大多数の人が日本人と言われて想像する、外国にルーツのないマジョリティの「日本人」とは時にそのバックグラウンドや肌の色が異なった日本人であるというマイノリティ性をもっている。このコミュニティとその人々との出会いを通して、人種的特権に気づかされてきた自身の経験についてヘルムズの白人人種的アイデンティティ発達理論の段階を用いて振り返っていく。 #特権

 一人でも多くの人が、マイノリティのアライとなることを臆さず、他者とともに生きる社会と自分のあり方を見つめ直す機会となるようにここに記す。

接触と分裂
 このトピックに「接触」したのは、初めて上記のコミュニティのイベントに参加した時だ。日本人とセネガル人とのミックスで、モデルとして活躍し今はアパレルなどを手掛けている一児の母の中川マリーさんをゲストにしてみんなで自身の経験を共有していく会で、私は軽い気持ちで参加していた。その会で中川さんの幼いころからの周囲からの視線や言葉、どれほど自分の肌が憎かったのか、自身のアイデンティティの葛藤、ブラックの親との確執、どう自分を受け入れていったのか、この似たバックグラウンドをもったユースの集まりがどれだけ心強いかというお話を聞いて、他のブラックミックスの若者たちも重なる経験があったようで、人によっては大きくうなずき、時には涙していた。自分が何者かを疑ったことが全くなかった私は、初めて聞く話に動揺したが、彼女たちの葛藤を重く受け取った。私は中川さんをそれまで存じ上げなかったが、彼女の存在は、似た肌や髪をもつユースたちにとって、数少ないロールモデルであり多くのアフリカルーツの女の子の大きな憧れの存在であってきたのだということも知った。それらは、同じ日本の日常で、何不自由なく自分のアイデンティティに悩むことなく、部活にただ打ち込んだり宿題が多いと反発したりするような、人種について意識することも考えることも気づくことも全くなかった中高時代を過ごしてきたマジョリティの私には、驚くことばかりで、自分が当たり前と思っていたことを当たり前に思わない人がいること、自分にとって快適な社会が他者にとって必ずしもそうではないことを知り、それまで知らなかった自分の無知をとても悔しく思った。自分のロールモデルが少ないと感じたこともなかったので、似た容姿の人を敢えて探したことがなかった。こうして自身の特権という意識はなかったにしてもマイノリティの自身とは違う経験に接触した。それまでも日本にいる外国人教育や入管の問題などについて学んできたがあくまで社会課題への知識の範囲で、自身の特権を意識するきっかけにはなっていなかった。

 そしてその時にしてしまった失敗が、「日本人」とは何かというステレオタイプと向き合うきっかけになる。会の終了後、多くの同じルーツの人たちとの出会いに会の温度が冷めやらぬ中、名簿を確認する時に、カタカナの入っていない名前が一つ残っていて、私は咄嗟に「あー、あの日本人の人ですね。」と口にしていた。即座に自分の発言を後悔した。今さっき、日本人なのに日本人として見てもらえないという話を聞いて、「それはつらいな、、。わかった。」と思ったはずだったのに、なぜ自分はそんなことを言ってしまったのか。何がわかっていたのだろう。自分の中に無意識の差別が存在することを知った瞬間だった。見た目だけで軽率な発言をした自分に罪悪感をもち怒りを感じた。心なしか周囲の会参加者が離れていったようにも感じた。どう言えばよかったのか、この自身の言動をとても恥じたが、思い切って会の感想や自分の失敗をfacebookに投稿したところ、運営のブラックミックスのユースが返事をくれた。そこには、「感想と、反省したことも、シェアしてくれてありがとう」と書いてあって、「(略)『ブラックやミックスじゃない人』というふうに私なら言うかな」と教えてもらった。他にも保護者や市民社会運動経験者の知人がコメントをくれた。こうして丁寧な返事をもらって、私はこの気づきを大切にしようと思うことができた。罪悪感や自身に怒りを持つが、この一連の経験では自身のもつ「特権」にはまだ無自覚であった。

再復興
 そうしてコミュニティ運営の活動を本格的に始めた。ブラックルーツの人のためのコミュニティであり、小学生から社会人までさまざまな経験を聞いて、理解という点では深まったが、ユース同士が出会い、情報を共有するプラットフォームをつくることがメインであり、私はブラックカルチャーにも当初そこまで興味がわかず、私自身、アライとして活動することに意味を見いだせなかった。同時に、マイノリティの中にいることは正直苦痛だった。みんなのブラックカルチャーの世間話や「あるある」にうなずくことができるわけでもなかったので、ある種の疎外感を感じた。
 この経験は、のちに差別に関する大学の講義を受けてはじめて、コミュニティを運営・参加することはつまり、マイノリティ集団の中で、自分はマイノリティであり、マイノリティを疑似的に体験していたのだと気が付き、新たな気づきにつながることになる。 ※記事予定#マイノリティである話        
 こうしてその後1か月間2つのイベントを学業の忙しさを言い訳に、スキップしてしまった。その後COVID-19をきっかけに運営メンバーとオンラインでよく話すようになり、以前よりメンバーと親しくなっていったことも追い風となり、もう一度向かい合おうと努めるようになる。

※ここから先、一部Black Lives Matter 運動に言及します。
再燃のきっかけとなった2020年の事件についても触れますので、
苦手な方は閲覧に気を付けてください。

疑似独立
 そうして続けて活動して、運営としてイベントを手掛け参加し、多くのユースと出会い、経験を聞いて行くが、自身の特権への自覚をもつのはそれから9か月ほど経ってからで、きっかけとなったのは、2019年の4月に起こったBLM運動の再燃だった。
 「黒人」として見られて、「自分」として見られないという息苦しさや多くの差別を黒人ルーツの子たちの多くが抱えていた。その息苦しさを社会に訴えながらこのコミュニティでは一人一人が「自分」らしくいることができる空間をつくろう、自信を取り戻そうという、コミュニティの方針が10か月ほどをかけて固まり団結していっていたまさにその時、ジョージ・フロイドさんが殺害されたというニュースが入った。最初に思ったことは、これを見たらみんながまた傷ついてしまう、ということだった。それと同時にその時の私にとってその出来事は、大きな衝撃だった。「黒人である」ことを理由に、国家権力から「殺された」ということだったからだ。「自分」として見られない黒人ルーツの人たちの生きづらさを、ちょうどたくさん聞いてきて、ブラックルーツのみんなも一人一人が価値のある存在で、一人一人が自分らしくいられる社会にしようとみんなで話したそんな矢先だった。

 私たちのそんな行動に、社会の答えはそれか、と絶望すると同時に命までも危険にさらされるのかと言いようのない危機感を持った。

 死に至るまでの映像がどんどん拡散され、それを目にしたコミュニティの仲間たちは胸が苦しくなり、彼が兄弟や父のように見えて涙が止まらなくなったり、黒人であることでいじめられた日本での経験を大きくフラッシュバックしてしまったり、友達(だった人から)から発言を求められたり、身近な人から知らない人まで知らないふりや差別の助長を目の当たりにしたり、日本の過激な抗議活動にばかり注目する報道を目にしたり、マジョリティの日本人にとってBLMが「ブーム」で終わりがくることを目の当たりにした。SNSも皆辞めてしまった。私も多くのブラックルーツの友人が彼に重なり、SNSに人種差別について自分なりに投稿して呼び掛けたり、過激な動画を拡散しないように呼び掛けたり、BLMデモに参加したり、日本の黒人差別に関するスピーチをしたりしたが、日本には差別はないという前提のもと成立するブームとしてのBLMが日本の中に過ぎ去ることをひしひしと感じて怒りを通り越して苦しくなり、そしてコミュニティのみんなが苦しんでいる姿が私にも何よりも苦しかった。それまでもアメリカでは黒人がほかの人種より貧しかったり差別されたりすることは知っていた。しかし、知識として「知っていた」だけで身近な問題として考えていなかった。そのときはじめて、「自分は何をしていたんだろう」、「自分に何ができるだろう」、「自分は黒人の人たちが持っていない何かを持っている」と確信した。

没頭と自主性
 BLM運動が大きく日本でも報道されて1か月は、私生活に支援者を持たない一人暮らしでステイホームの中、私は多くの情報におそらく触れすぎていた。夜中に突然涙が出たこともあって、一緒に活動していたブラックルーツの子をもつ保護者の方に、真夜中2時過ぎまで話をきいてもらうということもあった。当事者ではない私でさえそうであり、運営メンバーでみんなのメンタルヘルスが心配だということで、ブラックルーツの人が集うケアセッションを開催することにした。運営メンバーみんな苦しくて動けないので、ルーツのない私が踏ん張る番だと心に決めてイベントを主導したが、慣れないオンライン授業が始まっていたことも重なり日夜翻弄された。コミュニティの対象一員でもなく、感謝も見返りもない、なにより全世界が瞬時にマイノリティに優しい世界になるのでもない。終わりがない苦しいばかりの活動に疲れてきていた。そんな時「ワシントン大学の白人の教授が、自信が黒人にルーツがあると虚偽を書いていた。」というニュースを聞き、他人事に思えなかった。虚偽がばれて非難され解雇となったというが、どこか彼女に共感できる自分がいることに気が付いた。最大のサポーターでありたいと思うからこそ、ブラックのみんなの話を当事者でない人に聞いて理解を深めてほしいと思い活動し、それでもどこかブラックの人たちからは距離を置かれるような、そんな風に感じて、自分の努力はブラックの人のためと思っているけれども、報われるように手に取って感じることはできない。当事者コミュニティでの疎外感から、「自分もブラックだよ。わかるよ。」と言えたならいいのにと思う時もでてきていた。一歩間違えれば自分もそうなっていたかもしれない。いつの間にか、自分が誰なのかわからなくなってしまっていた。「私にできるのは、痛みをわかろうとすることまでで、全く同じ経験はできないし、完全にわかることはできない。私は外国にルーツのない日本人で、アジア人で、私は私だ。」ということを根底に、大切にしようと思ったのは、そうした自己が危うい状況だと自覚してからだった。

 BLM運動を通して、日本のBLMについて考えていくにあたって、日本だけではない、ブラックの経験を歴史的にもより一層学び、苦しみを共有し、当事者の声を聴き、私は日本において日本人であるということについて考え、発信し、私は何者なのかと自問して、アライとしての自分に意味を見出だしていった。ブラックの人たちの経験は人それぞれ違っていて、その受け取り方も気持ちも様々で一概に全く一般化することはできない。街で人の視線を感じたり、時に肌の色や髪型を理由に不適切な職務質問を受けたり、公的窓口に行けば自分について前置きする必要を求められたり、近所では知らない人が知らないうちに自分の個人情報を知っていたり、髪がさらさらという言葉に自己否定を覚えたり、「ハーフ」と取り上げられても多くが白人ルーツの人であり想定されない存在といった、人種を理由にした生きづらさを感じることのない社会にしたい、マイノリティにとって生きやすい社会をつくっていきたいと、特権を持った自分の立場でアライとして、強く考えるようになった。マイノリティにとって生きやすい社会は、マジョリティにとって生きづらい社会ではない。私にとって特権という点では失うゲタがあるが、自分らしく生きられる環境というのはマジョリティにとっても求めたい共通のものだとも考える。

 今は、アライとして活動することを言語化したり、さまざまなマイノリティに関する情報をSNSで発信したり、当事者の経験を書き起こし共同で機関紙の記事を執筆したり、当事者の声を取材する新聞やテレビ、本といったメディアの窓口となり当事者とつなげる等の活動をしている。私はヘルムスのアイデンティティ発達理論の段階上は、自主性の段階にいるのかもしれない。しかし、「差別はしない」ではなく「する恐れがある」ことを自覚しアップデートしていくことが大切だと思ってはいるが、私は自分が自己を見つめ直す点で未熟に感じたり、周囲の人に気づかされることも多く、マイクロアグレッションをしないというよりは、そうしてしまいそうなことから丸々話題を無理やり避けたり触れないといったことをしたりして自分でも納得がいかないこともある。まだまだアップデートすることは必要だ。   #ゲタを脱ぐ #カラーブラインド

私の特権と今後の付き合い方
 私にこの活動を続けようと思わせたのも、コミュニティのメンバーの一人がSNSにしていた投稿の末に書かれた言葉だった。「私は黒人で、昨日も今日も明日も明後日も死ぬまで黒人だから。」BLMをめぐる一連の日本社会の反応に、それまでの彼女の経験から怒りが混じった投稿で、その後すぐ削除されたのだが、私には響いた。一時期のものにしてはいけないと確信した。BLM運動で終わりが見えないと身をもって感じたことも思い出された。たとえこのコミュニティ活動をやめるとしても声をあげることはやめないつもりだ。そしてこのコミュニティに携わる以前からユースではなくブラックにルーツのある子どもたちをサポートする活動をしていたので、この目の前の子どもたちのためにも生きやすい社会をつくりたいと一層強く思うようになった。

 人種的特権について述べてきたが、こうしてブラックについて理解を深めていくことによって、他のマイノリティへの理解も進めやすくなったと感じる。社会にさらに特権への気づきを波及させていくのに、本などのメディア、関連イベントに参加するなどして、情報に触れ、ずっとアップデートをしていく必要がある。アライとして活動してきて、当事者とともに活動する難しさを感じることも多くあるし、傷つけたと思うことも失敗もたくさんある。当事者の声を届けるときは自己を出さず、見返りを求めず、分裂の段階で尋ねたように、自分は当事者ではないからわからないことはわからないので、信頼できる尊敬する仲間たちに、押し付けにはならないように素直に尋ねることも大切にしたい。


Kano. 2020.11.25


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