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伊豆に移住して1年 憧れと決別し、伊豆へきたときのこと

師走である。
「区切り」というものは面白い。
いつもと変わらない1日なのに、「あと●日で1年が終わる」という合言葉に
やたら振り返りをしたくなるのだから。
常に今日という日が●年前の自分にとってのXX記念日だ、なんて探し求める。

12月末、1年の締めくくりであると同時に、伊豆に移住して1年。
まあ、私の大好物な類である。笑

ちょうど伊豆に移る前の最後の週末に、自分にとって大切な決別の儀式的なものをしていた。
そんな当時のノート(物理)がでてきたので、当時の思いにふけってみる。


東京への憧れと決別し、伊豆へ 21.12.05

社会人2年目まで大阪で過ごした私は、東京に強い憧れを持っていた。

憧れの効能と弊害はなんだろう。


効能:それを得るために頑張れる
弊害:目の前のことに集中できない
心の底から欲しているのか分からないまま、変に固執してしまう
なのかな、と思っている

憧れるとは


辞書では
①理想とする物事や人物に強く心が惹かれるさま
②居るところを離れ、ふらふらさまよう
と書いてある。

憧れを持つことはよいのか


ものによると思うが、私の東京への憧れはよくない憧れだったと思う。
②の感覚が近かった。
憧れが肥大化し、あるはずのない幻想を抱き、目の前のことに手がつかない。
自分軸で物事を考えていない、というか本気で思考することを放棄している。
なぜそれを目指したいのか、自分の現状はどうなのか、描きたい未来をろくに考えていなかった。

憧れに決別を。

憧れていた東京に来て、はや1年半
コロナとともに移ったこともあり、大学3年のインターン期や社会人の時に体感した憧れ感を抱くことはなかった。
長年思い描いていたような憧れは実在しないおとぎ話である、訪れる前から薄々思ってはいたことだが、実際東京の地に足をつけて生活してみて早々に悟ってはいた。
だからこそ、伊豆へ行くことを決められた。

しかし先日、銀座線の車両に足を踏み入れると、東京に憧れていた時の自分になっていた。車両の揺れに合わせて、心も揺さぶられてゆく。
頭は納得していても、心はついてきていなかった。

私の憧れている東京はどこなのだろうか。
渋谷、新宿、表参道あたりが浮かぶ。大3以降、就活などで東京へ来るたび訪れた場所。
そこを再度訪れてみることにする。

大阪時代のティーンな頃、
ティーン雑誌で紹介される魅力的なお店は東京にしかやってこないし、
行く機会のない”竹下通り"の紹介ばかりされる
「大阪は東京のおさがり感」「東京以外は仲間外れ感」が不満だった。

そんなことを思いながら、新宿の町を歩くと、先端の尖りが特徴的なNTTドコモ代々木ビルが目に入る。
ふいに過去の自分が同居してくる。

インターンで初めて東京に来た日
眠い目をこすり夜行バスからバスタ新宿に降り立つと、NTTドコモ代々木ビルが朝焼けのオレンジの柔らかい光に包まれていた。
あの光景が鮮明に思い出される。
大阪にはないお店があり、自分の脳内MAPでは把握できないほどのお店がある。
それを知っている友人は素敵に思えた。

この町に来た時、私はいつも高揚していた。
ふと現実に目をやると、その時の高揚をもう味わえていないことを悟っていた。

憧れとは残酷だ。過度な期待をさせる。
町を歩く。かわいい服や、雑貨、化粧品。本当に物であふれている。
町行く人はみなきらびやかに見えて、自分もあれこれほしい衝動に駆られる。

しかし、なぜほしいのかと冷静に問いかければ
「周りに良い感じに見られたい」ということに帰結しそうで、
そこにお金をかけ、そのために働く。それでいいのか?
憧れを肥大化させてしまった私には、この町は本質を見失ってしまう危険な町なのだ、と。

憧れとは、
昔ほしかったけど、手に入れられなかったものに対し期待が過度に膨らんでしまうもの
達成されるまで、消えない
消せないと、次のステージはいけない

超偏見だけど、自分の町が嫌いな地方の人は、東京に憧れたものの、
機会や勇気もろもろで行けなかった人なのではと思う。
本当はないものに憧れ続け、選択しなかったことを悔いたり、目の前の現実から逃避することもあるのでは、と。

肥大化した憧れに鎖をつながれて飼われぬよう、この2つを大切にしていきたい。
・やりたいことは即実現する
・選択有無に関わらず自分の道程に説明をつけられる

今日で一つ、枷が外れ自由に近づいたのでは、と思う。


今見てみて 22.12.24

1年前の内容ほぼそのまま書いてみた。
当時の自分の結構大切な決断、教訓 案外覚えていないもの。
あの時きちんと憧れと決別できたからこそ、伊豆のこの地から好きを吸収しつつ、たまに足を運ぶ東京に変わらず純粋に心を躍らすことができるのかもしれない。
ありがとう、過去の自分

いつまでも中2病でありたい

と思った。
自分に起こることを当事者むき出しでやたら楽観的に・悲観的に捉えたり盛大に浸っていたあの頃。
けど、その自分にとって大きなエピソードが今の自分の性格を形成していると思っている。

大人になった今は「こういうこともあるよね」なんてクールに一笑して吹き飛ばしちゃうことも。
自分にとって大きなことは、人から見たらそんなに?って思われるようなことも、ちゃんと大切にして、しっかり盛大に浸りたい。

Ah,師走。


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