さーやんが届けるプロフ添削~傾聴の心と壊れてた心

私は心が壊れていました。

Twitterのアイコンがお尻丸出しのTバックのアイコンの人だから壊れてるのは頭の方ではないかと思う方が多いだろうけど壊れていたのは心の方。

私は公にしてなかったけれど、産後うつでメンタルクリニックに通い薬を飲んでいます。

「あんなにクソリプ飛ばしてるのに?」

ええそうです笑
クソリプ飛ばせるくらい回復してます。

かなり遡って話すことになります。

私の両親は不仲で私が小学校に上がるまで別居していました。
小学校に上がる頃父と母、父方の祖母と暮らすことになり平屋の小さな家に住んでました。
それまでの物心というか記憶も特になくていきなりここからの記憶しかありません。

祖母は一緒に住んで2年ほどした時くも膜下出血で亡くなりました。
父はお金にルーズで昼は大手企業で働き夜は自営業、母はいくつかパートを転々とした後に実家の家業の手伝いと朝は新聞配達とにかく家には誰もいない生活だった。両親共に愛人がいたの子供ながらに知っていました。
私が中学に上がる頃にはついには家に誰も帰ってこなくなり時々蒸したさつまいもと小銭が置いてある。
これが私の日常でした。
親からの愛情がどんなものか知ることがなかったのです。
愛というものか今思えば寂しさなのか向けられているのは子供の私でも両親お互いでもなかったから寂しさすら分からずに育ったので無感情な子供でした。
今思えば、なんともひねくれてましたね笑

私は唯一絵を描く事が好きで、将来は美術関係に進みたく進路を決める中学2年の時母にそれを伝えると猛反対されました。
「1人で生きていける道にしなさい。」
逆らえなかった私は、県内の衛生看護科のある高校を受験することにしたのです。

そうこうしてる中学3年の夏、公衆電話から自宅に電話がありました。
母からでした。
「急に入院することになった。お父さんには言わないで会いに来て」
何があったのかわからないが父には言わない訳に行かず内容は伝え翌日私だけで入院先の病院へ。
自宅からバスで行ける距離の小さなクリニックに母は入院してました。
殆ど会わない生活をしているので入院したからと言って特に心配もしなかった。と、言うより私には感情がなかったのかもしれないです。
何も感じれないそんな冷たい氷の心。

しばらくして母は何度か転院を繰り返しました。
私の学校の実習先に入院してたこともありました。

そのうち父が付き添いするようになり私には見舞いに行かないよう言われるようになりました。
その頃私は受験を控えていたのでそっちに集中するように言ってるのだろうと思い込んでいてこれから起こることに気が付きもしませんでした。

無事に高校に合格してすぐの5月のある日、朝から教室で自習していた時に担任が慌てて教室に入ってきて私にすぐ病院へ向かうように言われました。

この時初めて嫌な予感がしました。

私の通う高校から母の病院は歩いて行ける距離でした。
とにかく走った事しか覚えてなくて何か変だったじゃないか?
私だけ見舞いに行けなかったのも.......
そんな思いでとにかく病院まで走りました。

走った勢いのまま母の病室を開けると壁、備え付けの電話、そして母の身体は毒を持った暗い赤の血液でいっぱいでした。
身体が震えて声がでなくて目の前は真っ白になり視界がまわり床に座り込みました。

私は混乱してパニックになっていた所を病院関係者や後から来た父に連れ出されここからはよく覚えてません。

母は肺がんの末期。
病院と言うのは建前で緩和ケア。当時はまだその言葉はなくとにかく延命しない病院にいたのです。
母が最後は楽にいきたいという希望だったそうです。
けれどその日、がんの痛みに耐えきれず果物ナイフで自殺を測ってしまったのです。

「覚悟はしておいて欲しい」父からそれだけ言われました。

母は結局、3日後自殺を測ったことからそのまま亡くなりました。

看護師を目指し勉強を始めたばかりの私には何も病気のことはわからなかった.......でも、何も気がつけなかった?
心配もしてなかったのに?死んでも何も思わないんじゃないの?
自分の中の感情がバラバラになっていくのを感じた瞬間でした。

ここから数年は刃物を見ることも触ることも出来ませんでした。
現在料理が趣味ですが包丁が使えないのはこれも少し理由にあります。

何年も心の傷が治りませんでした。
そして看護師を目指していいのかも分からなくなり、就職してからも夜の仕事などをしたりしてフラフラ生きてました。

私は空っぽの自分の中に負の感情だけを溜め込むようになっていきました。

これが、後に産後うつのベースになってしまったのです。

ここからの数年はまたの機会にお話しますね。

話を戻して「じゅん流のプロフオペの最大のメリット」これは話を傾聴するというじゅんオペのベースを作った @アキラ1号の精神科看護の傾聴がベースなのです。
お客様の心、Twitterでの目標、夢、これまでの人生、笑顔、悲しみ.......
色んなお話を聞いてプロフを作る。
これをやらせて貰う上で傾聴というのが大切になります。

さーやんはじゅん門下生になりオペを始めてからこの傾聴が意外にも楽しかったのです!
看護師としては半端になってしまったけれど誰かの話を聞いたり寄り添うことは基本的にとても好きです!
そうさせてもらうことで私自身も心が癒されて行くのです。
人の心に寄り添う。
これは傍で一緒に考えたり、これからの笑顔が作れます。
私でも誰かを助けられるかもしれない。
あの日私が苦しんだこと。
それは母に寄り添うことも助けることも出来なかったこと。

形は違うけれどもプロフオペはお客様に最大限寄り添う仕事。

私はじゅん門下生としてお客様に寄り添う傾聴と癒しそしてクソリプ飛ばせる位の笑いを提供することが出来ます!
これは門下生の中で自分でも自信を持って言えます!

さーやんのオペって受けるメリットって何?て聞かれたら、迷わず
「あなたの心に寄り添います」
「ギブよりウィズ。一緒に笑いましょう」こう言いたいです。

私はオペさせてもらえることが自分の喜び、自信に繋がり産後6ヶ月の子供をワンオペで育てながらも今はとてもやり甲斐があるし子育てで社会から何となく離れてしまい繋がりが欲しい自分にもプラスになりました。

今では皆さんご存知のように元気にクソリプ飛ばせる所まで心の修復が出来ました笑

色んな人に助けられたことが私の中のエネルギーです。
それを変換してお客様や繋がられて貰ってるみんなに届けて行きます!

一緒に笑いましょう!!

2019.9.21

アホなTバッカー さーやん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?