どうせ死ぬ

母から産まれてくるしか、僕がこの世に登場する方法はないのに、この世から死へ繋がる道は、いたる所に用意されています。僕は車に轢かれて死に、病気になって死ぬ、首を吊って死に、殺されて死に、歳をとって死ぬ、死の可能性に満ち満ちた今日という生を、命をひとつだけ持って綱渡りしています。




これは、私がツイッターでフォローしている腕に障害を持つ中学生の男の子(真実は定かではないけど)がつぶやいていた言葉である。

人の死がいかに身近なものなのか、最近思い知らされることが多い。死という事象に敏感になっていることもあって、思わず目をとめてしまった。

本当に死は日常に満ち満ちている。びっくりするほど。「こないだまであんなに元気だったのに」「なんであの人が」が案外容易く起きる。

今立っている場所からぐんと引いて見た地球は、そんな生と死の連続で動いていると思うと自分の一命は大したことないようにも思える。大したことないからこそ邪険にしてはいけないんじゃないか。人の命は、しゃぼん玉みたいに、指で触れたら一瞬で膜が引き寄せ合って球形の飛沫を残して消えてしまうような呆気なさがある。だからこそ其処に在るあいだは、周りの誰かの目に残像を宿すほど色濃く生きたい。そんな風に考えるようになった。

多少の批判に屈するのが至極馬鹿馬鹿しいからやりたい事は思い残すことなくやる。そう決めました。

明日はルミネtheよしもとに立ちます。
最後の大会であり、最後のもがきであります。


やり切る。





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