プライドの高さの話


こんにちは!✨

最近、発信をするようになってから、自分が承認欲求をかなりもっていることに気付きました。
そこで、レオさんにオススメしていただいた承認欲求の本をずっと読んでいて。




なぜ人が承認欲求を持つようになるのかの流れとかも書いてくれてるんですが、見事にぜんっっぶ私に当てはまってました😂


これを読んでて思ったのは、自分の中ではそれぞれ関係ないと思っていた、
人にどう思われるのかが過剰に気になる(嫌われるのが怖い)ことや、
少しのマウントでも不愉快に感じてしまっていたこと、
どえらい負けず嫌いだったことまで、結局全部承認欲求が原因だったと言うこと。


今回はその中で、私のプライドの高さについての気付きを書いていこうと思います!


私は元々、ちょっとしたことができない自分を認められなくて、少しのミスや、1番になれないことが恥ずかしいと感じてしまっていたタイプでした。
どんな小さなことでも、勝った相手が心底憎らしくて嫌いになるくらい🤣な幼少期や学生時代を過ごしていて。


なのでだんだん、まず挑戦や勝負というものをしなくなっていきました。

本気で何かに挑戦しなければ、負けることもないですよね。仮に負けたり結果が出なかったとしても本気じゃなければそんなに傷つかずに済むし。
負けず嫌いだからこそ、負けた時や自分が1番になれなかった時の、悔しさやめちゃめちゃ苦しい気持ちを味わいたくなくて、逃げ倒して、最終的には闘争心すらまず起こさないようにしていました。
闘争心を押し殺していたので、自分がプライド高いと言うことを忘れていて😂

そういう気持ちを持っていたことに、今回のミスコンに出るにあたって気付かせてもらいました❣️


そもそも、まずなんで1番にこだわっていたかというと、1番だと単純に人からすごいと言ってもらえるから!😳😳
だいぶしょうもない理由なんですが、
私の幼い頃からの自己評価の基準って、すごいといってもらえるかどうかでした。(途中からはそこに顔面の悩みも入ってくる)


すごいと言ってもらえれば自己肯定感が上がる。言ってもらえなければ深く落ち込む。
たとえ自分がやっていて楽しいと思ってることでもそうでした。
自分が感じてることよりも、他人からの評価の方が気になってました。

特に親。3つ上の兄は私よりも手がかかるタイプで、私の方が賢い子供だったんですが👶👶👶🤣
手がかかる分、やっぱり兄の方に親の意識が集中してたように感じてました。それが寂しかったんですが、
今考えたら、保育園時代からすでに他人軸で生きてましたね。ブレなさすぎる。

結局、
1番になって、すごいと言われたい、認められたい

すごいと言われなくなるから負けたくない

負けたり、結果が出ない時に傷付くから本気にならない
という流れにつながってました。


そんなこんなで話は戻るんですが、
今回の本に書いてあったことが、
プライドと自己肯定は全くの別物ということ。
自分軸で生きるためには、他者からの評価で作られるプライドは捨てて、自己肯定感を高めることが必要❗️❗️

自己肯定感って、今までも自己啓発本を読んだりして上げようとしたことは何度もありました。
アファメーションをやるとか、自分が持っているものに目を向けるとか👀

ただ一瞬は楽になる気がするんですが、やはり薄いことをしてるだけあって、すぐに元々の暗ーい、どんどろりんて感じの自分に戻される。ということを繰り返していました😱
私の場合は顔面に執着していたこともあり戻るのが一瞬でした。

そしてなぜそうなっていたかというと、
自己肯定には段階があるようで、表面の部分をどれだけ変えようとしても、長年の思い込みはなかなか変えることができなくて、
もっと深いところでの自己受容、さらに自分だけでなくこの世の全てを受容することが大切だそう。

今までずっと根暗で、病んでいたくせに全然考えることをしてこなかったので、
自分のプライドの高さと向き合ったのってなんと今回が初めてでした❗️
正直まだ自己受容とか、悟りは開けてないんですが🥲
絶対に絶対に自分を変えるために深く向き合った上で今までの自分はしばき倒そうと思ってるので、
いらんプライドは捨てる。ということをまずやっていこうと思います❗️
また日々気付きがあったら書いていきますね。

それでは! 
                 sana

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