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見なければよいのでしょうか

 2023年1月15日、母と姉の家で食事会をするために実家に迎えに行きました。もうすぐ1年です。
母は認知症が進み、デイサービスやショートステイを利用しつつ実家で兄一家と暮らしていました。

待ちわびていたのでしょう、ダイニングで私を待っていた母は私の顔を見るとふっと表情がゆるみ嬉しそうにしてくれていました。
声をかけて、母が私の後ろについてきたことを確認しつつ助手席に座れるように荷物を後部座席に移動していた時、母は転んでしまいました。
あっ!という母の声に振り返るとスローモーションのように崩れる母の姿。
転倒させてはいけないと、あれほど慎重にしていたのに私の不注意でした。痛みで立ち上がれない母、家族を呼んで助手席に座らせて救急病院へ行きました。
申し訳ない気持ちしかありませんでした。今も。
大腿骨骨頭骨折でした。すぐに手術を受け経過は良かったのですが、認知症は進みました。
あんなに食いしん坊だったのに、食べることを嫌がるようになりました。面会もできず、担当の方からその状況を教えていただくだけでした。好きなもの、食べられるものを持っていってあげられなかったことが残念です。
退院後は施設にお世話になりました。面会予約をして検査をして会えた母は会うごとに痩せていました。好きだったものを持っていって口に運んでも嫌がりました。
そして、夏に。転倒して半年でした。
申し訳ないという思いは、誰に何を言われても溶けません。頭では仕方ないことと分かっていても私の心は受け付けません。
ごめんなさい。でも、許してもらえなくてもいいのです。

話は変わります。
スマホでいろんな情報を知ります。
“〇〇〇〇により急激な老衰が増えている。ただ老いて衰えるのではなく、食べることを拒否して衰弱して亡くなる人が増えている。”というSNSの言葉を見ました。
なんとも言えない暗い気持ちになりました。
受けなくてはサービスを受けることが出来ませんでした。

多方面からの情報は必要だと思っています。でも、だから、どうしたら良いのでしょうか。

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