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フェンシング日本代表 鈴木穂波選手にインタビューしました!

鈴木穂波選手
沼津市出身のフェンシング日本代表選手(エペ)
 

・最初に、フェンシングとの出会い、フェンシングを始めたときに感じた印象を教えてください。北京オリンピックのソフトボールの試合を観て、スポーツ選手を目指したと聞きました。
 
「当時は、オリンピックの色々な競技を見ていましたが、知り合いにソフトボールのメンタルトレーナーがいて、女子ソフトボールの話を聞いていたので、印象に残っていました。
また、ソフトボールチームが、オリンピックに行くまでの過程や、試合だけじゃなく、選手たちのバックグラウンドについても、テレビなどで見たり聞いたりしていたので、他のスポーツを見る以上の感情がありました。
だから、余計に女子ソフトボールに釘付けになって、見入ってしまいました。
 
スポーツは元々好きで、スポーツ観戦もしていましたが、今まで感じたことのない感情が自分の中に湧き上がってきた思い出があります。
 
(準決勝・3位決定戦、決勝と上野投手が)413球投げて、まめも破れて、普通だったら投げられない状況で、投げる姿を見ていました。
映像から伝わる、その人たちの想いや、競技にかけてきた気持ち、一生懸命大人が戦っているということにすごく感動したのだろうな、と思います。
 
当時は、その映像を見て涙が止まらなかったです。オリンピックが終わってからも、上野さんが投げて、アメリカが打って、最後は日本チームがそのボールを取って優勝が決まった瞬間のその映像を見ただけで涙が出ました。そのときの感動は今でも覚えています。
 
そのときの気持ちがあったから、私もオリンピックに出たいという気持ちになりました。
 
元々、私はダンスを習っていて、ダンサーになりたいと思っていました。
ダンスを始めたきっかけは、当時マッスルミュージカルが上演されていて、スポットライトを浴びている人たちがすごくかっこよく見えて、私もこのステージに立てる人になりたいと思ったからです。
そこから、何ができるのだろうと親と一緒に調べてダンスを習い始めました。
 
でも、北京オリンピックのタイミングで、マッスルミュージカル以上の感動を味わい、その時、私の夢が変わりました。
 
私が、オリンピックのステージに立ったら、その時感じた感動や興奮を他の人にも味わってもらえるのかなと思うのと同時に、私も"感動を与える側の人"になりたい、"オリンピック選手"になりたい、と思いました。」

・感動を他の人にも味わってもらえるようにしたい、と言うことから選手に。沼津市の広報でフェンシングを知ったそうですね。
 
「オリンピックを見た後から、オリンピック種目で何ならできるかを調べました。その時は、北京オリンピックでフェンシングの日本選手がメダルを獲ったところを見てなくて…。フェンシングがどういう競技なのか何も知らない状態でした。
 
母親から、『フェンシングは、オリンピック種目だよ』と教えてもらい、たまたま母親が広報誌でフェンシング教室を見つけて行ったことがフェンシングを始めたきっかけです。
 
当時は『剣を持って、なんか戦う』程度の知識で、あまりよくわからないまま、『オリンピック種目だからやってみたい』ということで、フェンシングクラブに行きました。
 
そのクラブのコーチが、ジュニアやインターハイで優勝している選手を育てた方でした。
当時、まだ私は中学生で身長が158cm位でしたが、母親が172cmあったので、コーチから、「この子は絶対に背が高くなるから、フェンシングをやろう。絶対練習すれば日本一になれる」と言われました。
「日本一になれる、絶対強くなる」と言われ、フェンシングをやると決めました。
 
クラブでは、剣を持ったり、フェンシング用語を教えてもらったりしましたが、フェンシングは日常生活でとらない動きをするので、初めてのときは不恰好でしたし、これで上手くなるのか?みたいな感じでした。
初めてフェンシングをやって、魅力を感じたか、と問われるとそうではなかったです。
 
エペの種目に決めたのも「身長が伸びるはずだからエペがいいよ」って言われたからです。当時は背が高いとエペは有利みたいな感じがありました。
 
私も、「強くなれるのだったらやりたい」という思いから、毎日練習しました。
 
フェンシングの魅力に気づいたのは、結構、後になってからです。
始めたてのときは、できないことがどんどん出来るようになりますし、日常生活ではやらない動きが多いので、やればやるだけ上手くなり、できることが増えて楽しかったです。
 
フェンシングで勝つことが、私の夢に繋がっていくものだと思っていましたので、当時は、『自分の夢を叶えるためにやっている』という感覚でやっていました。
 
当時も取材をしてもらうことがありましたが、『フェンシングの楽しい点は』という質問に、『自分の思い通りに剣を突けるのが楽しい』と答えていたと思います。でも、その答えも今思えば絞り出して答えていた感じです。
 
実際は、毎日練習して、自分ができるようになるのが楽しかったんですよね。フェンシングというより、”自分の成長が目に見えて分かる”ところが楽しかったです。」

・エペのここが面白いよというポイントがあれば、教えてください。

「エペは、サーブルやフルーレと違い『攻撃権』がないので、突けば勝つというシンプルなルールです。
試合では、突きが決まるとランプがつきます。サーブルやフルーレは、突きが決まった時に、ランプが両方つくことがありますが、片方にしか点数が入りません。攻撃権を持っていた選手だけにポイントが入る、というルールが見る人にとっては複雑です。

でも、エペは、それに比べてどんな体勢であれ、どんな動き方であれ、ランプがつけば得点が入るというシンプルなルールなので、見る人にとってわかりやすいです。
 
ただ、そのルールがシンプルであるがゆえに、勝ちパターンというものが決まっていません。選手によって、勝ちパターンやプレースタイルが異なるので、そういう点もエペならではの魅力かと思います。

・エペは、全身が有効面になりますよね。人それぞれの勝ちパターンというお話もありましたが、足を狙うのが得意な人や腕を狙うのが得意な人等、色々なパターンの選手がいる感じですか。

 「そうですね。狙う場所もそうですし、フルーレやサーブルでは突く前に相手の剣を払ってからじゃないと、同時に突いたとしても最初に触った方にしか点数が入らないというルールがあります。ですが、エペはそれがないので、突けば得点です。

力が強い人は、剣を叩くのが好きだったり、相手の剣を出させてから捉えて突いたり、剣の駆け引きになりますね。そういう距離感やタイミング、駆け引きが生まれてきます。
タイミングを含めてつく場所も全身が有効面なので、駆け引きする場所がいっぱいあって、面白いところだなって思っています。」

・正面だけじゃなくて、背中を狙ってもよいですよね

「背中を狙ってもいいですし、逆に避けにくい足を狙うこともあります。足も全部有効です。つま先でも膝でも。
そうすると、つま先は、膝を起点とすれば、動かして狙ってきた剣を避けられるじゃないですか。でも、膝は動かないです、絶対に。避けるとしても、後ろに行くかしない限り動かないので、つま先を狙う振りをして膝を突きに行ったりします。そのような相手が避けられないところを突きに行きます。」

・すごく難しいですね。

「そうですね。言葉で説明するのは難しいです。
顔も含め、全身が的になりますので、狙う場所を点として考えたら、いっぱい突けるポイントがあります。ですので、日頃の反復練習で、狙えるポイント、つまり点をいっぱい増やして、自分の突きの精度を上げることに取り組んでいます。」 

・鈴木さんにとって一番の強みや、こういう動きを見て欲しいというポイントはありますか。

「強みは攻撃です。
エペの剣は2パターンあって、ピストルを持つような形で持つ持ち手がついているタイプと、まっすぐの棒状のタイプがあります。
私は棒状のタイプのものを使っています。それは、他のタイプより剣が少し長いです。ですので、その長さを活かしたプレーが得意です。 

この長さを活かした戦い方、相手を惑わす動き、相手を誘いながら、相手の隙を攻撃するという動きをしたいです。明らかに誘った動きをすれば、ばれてしまいます。ですので、そこをばれないように、何も考えずに動いているように見せておきながら、相手がチャンスだと思って突っ込んできたタイミングを狙うものです。 カウンターが、私の持ち味、得意なところです。」

 ・会場で試合を観た方がイメージしやすそうですね。

「実際に観ても、動きが速いので、思っている以上に、どこを突いたのか、スローモーションで再生してもらわないとわからないと思います。

 ただ、その動きが、思っているよりも細かく速い動きですし、迫力があるので、ぜひ会場で見てもらいたいです。 フェンシングは、貴族のスポーツというイメージがあると思いますが、実際、試合になると、結構泥臭い試合が多くて。興奮して、『どこからその声を出しているの?』と言うくらいの声をみんな出しています。
そういうところもテレビで見るフェンシングと、実際に会場で見るフェンシングでギャップもあるので、それも会場で体感してほしいなと思います。

 ・フェンシングの選手をやっていて楽しい点、辛い点を教えてください。

「思っているところに突けるようになったことは、やっぱり気持ちいいですし、楽しいと思う瞬間です。 

子どもの頃は、全国に友達ができることがすごく楽しかったです。全国大会は色々な地域の人が集まっています。自分が強くなれば、その人たちと一緒に海外遠征に行けることもありますし、ライバルですけど、同じ気持ちを持っていたり同じことを経験している人たちと友達になったり、色々なコミュニケーションをとれるのはすごく楽しかったです。

そういう経験があったから今、世界を回るようになって、海外の人たちとコミュニケーションが取れるようになりました。それは、フェンシングをやっていて良かったところだと思います。

 辛いことで言うと、エペの突きは、750gの重さがかかると反応してランプが点灯してポイントが入ります。750gぴったりでは、得点になるのかわからないので、全体重を乗せて突きに行きます。
そうすると、当たりどころが悪いとすごく痛いんです。鎖骨に当たったり、筋肉と筋肉の間に入っちゃったり、本当に動けなくなるぐらい痛いですし、泣く位です。 
でも、すごく不思議なことですが、試合中はアドレナリンが出ているので、痛くても戦えるんですよね。でも、終わった後すごく痛いです。」 

・一番やりがいがあるところはどこですか。

「駆け引きの部分が面白いですよね。
フェンシングを知らない人が見ていても、面白いかどうかは少し難しいです。駆け引きをしていく中で、自分にランプをつかせるためには、距離を一気に縮め相手の近くに入り込まないとなりません。
それは、自分も突けるけれど、相手にも突かれてしまう距離に入り込むということです。そのタイミングは、本当に際どくて、0か100かみたいなところがあります。
ちょっとでも角度を間違えたり、タイミングがずれたりすると相手の点数になってしまいます。 自分だけ点を得るためには、細かい駆け引きの中に、ダイナミックさを入れていく必要があるので、そこがすごく面白いところだと思います。 また、相手に突かれるかもしれない距離に、自分が入り込むことは恐怖心も伴います。
”もしかしたら負けちゃうかもしれない”という恐怖心と戦いながら、勝負を仕掛けていきます。お互い”ちょっとの恐怖心といっぱいの勇気”で、勝負が成り立っています。
だから、得点が入ったときに、自分を鼓舞するために選手はたくさん叫びますし、自分に喝を入れて集中力を高めて試合していくのだと思います。 そういうところが、面白いなと思っているポイントです。」

 ・今の「ちょっとの恐怖心といっぱいの勇気」という表現、わかりやすいです。

「恐怖心と勇気のバランスが変わると、攻められなくなります。

メンタルバランスは、すごく大事ですし、難しいところですが、これがうまくいかないとフェンシングでは戦えないですね。100%怖がってしまったら、手も足も何も動かずパニックになってしまいます。イメージで言うと、車が目の前にヒュンって突然現れると動けないのと同じような感じです。
 でも、常に100%戦闘態勢でいると、相手に『こいつ絶対に来るな』とばれてしまいます。そうすると、待ち構えられて、やられてしまいます。 だから、恐怖心も大事ですし、恐怖心より大きい自分の度胸とか勇気がないといけないです。
 自分にとってフラットな状態、集中しているけどリラックスしている状態で常にいることが、私にとってすごく大事なことだな、と思います。

 ・沼津市出身・沼津西高卒業。ネッツトヨタ静岡に所属されている地元選手。地元沼津市でのフェンシングの取り組みがすごく広がっていますよね。スマートフェンシングや鈴木選手自身も小学校の訪問の取組もされていますが、沼津市での広がりについて教えてください。 

「『フェンシングのまち沼津』が、どんどん広がっていることに関しては、フェンシングをしている私としては大変嬉しく思っています。
 
私がフェンシングを始めた時は、『フェンシングって何?』という感じで説明が大変だった記憶があります。
 
でも、今、『フェンシングをやっている』と言うと、『沼津はフェンシングに力を入れているものね』と、言ってくれます。
それは、沼津がフェンシングのまちになっているという証拠ですし、沼津市の人たちも、市を挙げてフェンシングを応援しているということを分かってくれていると感じています。
 
沼津で全日本の合宿も行われているので、選手やコーチから『沼津、いいところだったよ』と感想を伝えてくれることもあります。気持ち良く合宿できていることに、沼津市出身の私としては、とても嬉しく思います。
 
また、私自身は、子どもたちと触れ合う機会が最近多くなりました。子どもたちにスマートフェンシングや『フェンシングってこういう競技だよ』と教えるときに、参加した子どもがフェンシングに興味を持って選手になってくれたら嬉しいですが、それ以外でも子どもたちの何かのきっかけとかになれたらより嬉しいです。そういう想いからフェンシングの普及活動に参加させていただいています。
 
それは、私自身、小学生の時に柔道のオリンピック選手の講演を聴く機会があり、その時メダルを触らせてもらった記憶があります。
名前は思い出せないのですが、メダルを触った記憶と『この人はすごい人』という気持ちがあったのは覚えています。
 
子ども達の成長する過程で、大人になったときに『そういえばこんなこともあったな』と思い出してもらえるように、子どもたちがまだ見たことない世界やまだ経験してないことを、いっぱい話していきたいと思います。」

・地元で行なわれる全日本選手権に向けてのコメントをお願いします。

「沼津市で全日本選手権を開催することはすごいことだと思います。毎年、個人戦は東京でやっていました。地元の沼津市で行なわれる試合はどんな感じなのか、楽しみでもあります。
 
沼津市での全日本選手権は、私にとっては初めてですので、自分のベストパフォーマンスが発揮できるように、あと2~3週間、しっかり準備していきたいと思っています。
 
全日本選手権では、最近私は良い成績を残せておらず、大学4年生の時の3位が今までで一番いい結果です。入賞というのも最近、遠くなっています。
地元沼津市の試合では、応援も力になりますし、地元でやるワクワク感などの楽しい気持ちを力に変えて、決勝大会の試合に残れるように、メダルを獲れるように、頑張りたいです。

・鈴木選手が遠征や合宿で海外や全国から帰ってきて、一息つける場所やお気に入りの場所があれば教えてください。あと、合宿でくる選手等に紹介したい場所も教えてください。

「沼津西高の裏の千本浜。帰ってきたら、海を見に行きます。見て、何をするという訳ではないのですが。
 
昼間だったら、桃屋のパンを買って行きます。桃屋という沼津銀座通り商店街にある老舗のパン屋さん。
私はハムカツサンドの甘いタレが好きで、それを買って千本浜の階段のところで座って食べるということに、幸せを感じます。
あと、沼津仲見世商店街に華味いう中華料理屋さんが私の同級生の家なので、沼津での仕事の帰りに行くことが多いです。
 
あとは、双葉寿司というお寿司屋さんが沼津港にあり、子どもの頃からよく行っています。カウンターでも食べられますし、座敷もあるので、おすすめです。
 
男子の日本代表の選手も、美味しいものが大好きで、沼津にお魚だけ食べに来て、双葉寿司で食べたと聞いています。」

・試合に入る前から色々な戦術を考えたりしながら気持ちを高めて取り組んでいると感じました。メンタル面はいつもどのように保っていますか。

「私は、競技を始めて12~3年経ちます。いいときもありましたが、悪いときの方が多くて。
今でも色々と模索しながらやっています。
今、私が心がけているのは、自分の良いところを磨くということに専念することです。悪いところを直しても、良いところは伸びないと思っています。
ですので、良いところを伸ばす、自分の良いところを磨くために100%を注いでいます。
あとは試合のときも、常に平常心。ちょっと強気な状態でいないといけないと思っています。その方が私は良いパフォーマンスができると思います。
それは、日常生活でも競技生活も含め、自分の心を自分が100%コントロールしていることがすごく大事だと思っています。
 
人はネガティブになることも、落ち込むこともありますよね。練習でうまくいかなかったり、私生活で嫌なことがあったりとか。競技の技に心は影響しないかもしれないですが、競技自体には影響があるかもしれません。
 
だから、自分の気持ちを高めるより、自分の心を常に満たしておくことを心がけています。自分が幸せだと思うこと、自分が嬉しいと思うことを、常にするようにしています。
 
競技生活の中でのやるべきことと、自分がやらなければいけないことは自分で決めて、自分が毎日満足して、「やりきった!」と思うまで、しっかりやります。
 
それ以外の時間は、自分の心を満たすために使い、練習でも自分の心も体も満たし、私生活でも自分の心と体を満たして、常に自分が上機嫌でいることを心がけて、メンタルを保っています。それが、常に平常心で私がいられる秘訣というか、理由かな、と思います。」