そもそも、私が英文解釈(演習室)の魅力を語る必要があるのだろうか。

 わが尊敬する岩清水Zさんに、指名を受けた。しかし、記事を見ている方は既に界隈の方か、かなりのマニアの方だろう。既にアスクの狼さんなどの名記事もある。

 すると、この私がわざわざ英文解釈演習室の魅力を語る必要なんてあるのだろうか、と自問自答してしまう。

 その前にまず自己紹介が済んでいないなと気づいた。初老寸前、私篠崎テントは、「こどおじ」である。今、左手でカサついた尻を一掻きして、鍵のない子供部屋でキーボードを叩いている。仕事は冴えない。時折憎たらしい上司の形態模写をして若い社員の乾いた笑いを拾ったりしている。人当たりでごまかすタイプの典型的な窓際社員である。英語をやる理由は、「せめて学生のとき点数のよかった英語くらいではよいところを見せたい」というちっぽけな承認欲求に過ぎない。

 そんな私の英語の学習履歴は、あまり特殊なものではないが簡単に振り返ろうと思う。

 まず高校1年生のとき代ゼミの東大英語現役クラスに頼み込んで入れてもらった。このテキストの文法解説はまとまっていたように思う。講師名は覚えていない。なんかチンピラみたいだった。

 あとは「なっかん」の英文法倶楽部と「基礎英文問題精講」をやった。何も理解はしていなかったが、点数は取れるようになった。そこそこの私大に入った。

 このころから就職に有利と思い、試験を受けるようになった。英検1級は当時は今ほど難しくなかったのか、2回目で受かったが、少しラッキーの面もあったと思う。TOEICは情報処理力が足りないのか、実力か、2~3回受けて890点台までしか行かなかった。

 これでわかるように私の英語の基礎力は大したことがない。そんな私が思う英文解釈演習室の魅力とは、「今もっとも、意見の交換がリアルタイムでやりとりされている」という点に尽きると思う。ひとつの英文、語をどう理解するか、各参加者の意見の相違があればあるほど、格好の焦点を提供することになる。

 筒井先生もそこを意識しているのか、余りに簡単にならないよう、原文を適宜「編集」して難易度を調整しているように思う。その意味で英文解釈演習室は既に原文のコンテクストを離れて一つの別の文章になっている。

 このような自由闊達なフォーラムが現れるのは、意外と簡単なことではない。未熟かもしれないと思いながら意見を表明することは、(同じことを疑問に思っている人がいるかもしれないから)時に大きな価値があるが、顕名で、英語教育者の看板と名誉を失うリスクを背負ってこれを行うことは難しいからである。

 しかし、今はなぜかそれを行おうという風潮がある。その中心にあるのが英文解釈演習室だと思う。

 私はそのいつまで続くかもわからない心地よい煌めきを眺めながら、年甲斐もなく、うきうきしているのである。

 

 


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