親愛なる、親になる友達へ

 僕は「人の親」という生き物の大半を心の底から軽蔑している。
 「愛情深く、我が子が死ぬまで養い切る甲斐性と覚悟のある親」だけは尊敬できる。

 他に例外は無い。




 我が子が生きづらい要素(例えば障害や病気)をもって生まれる可能性を全く考えないその浅慮に頭を抱える。

 好景気の時代に子供を作った人間への同情心はある。まさかここまで景気が悪くなるなんて、当時は想像もつかなかっただろう。

 だから僕はあまり親を恨んではいない。子作りって当時はありふれた軽率さだったんだと思う。やはり少し軽蔑はする。

 しかしここ5年の間に子供を作った親っていうのは、いったい何を考えてそうしたんだろうか。

 柔らかな絶望に包まれたこの国に我が子を産み落とすという選択を取らなければならない、よっぽどの理由でもあるのだろうか。

 そう「親」へ問うと、生殖が人間の本能だから、などとのたまう獣が一定数出てくる。いやいや、人間の誇りを捨てるんじゃない、と思う。

 老後の介護要員だとか、子供という生き物に興味があるからとか、夫婦のマンネリ防止のためだとか、利己的な理由に100%振り切っているのであればいっそ清々しいのに。やっぱり軽蔑はするけど。

 なんかフンワリとした理由で漠然と子供を作るやつは怖い。宇宙人みたいだ。



 子の生まれ持った欠陥は親の責任だ。
 僕は本気でそう信じているけれど、この考えには根強い反対勢力がいる。なんでだよ。お前らの生殖の結果なんだから一定以上の責任は取れ。

 そして健康、容姿、能力、その他。ハズレの遺伝子を掛け合わせてしまった自分のブリーディング能力の低さを恥じろ。

 健康でないなら病院に、容姿が優れていないのなら美容院や美容クリニックに、能力が低いのなら代わって補ってやれ。

 最近はTwitter(新X)で『13歳の娘が縮毛矯正したいあまり、パワポ使ってプレゼンまでして予算をせびってきたンゴwww』みたいなツイートが話題になっているのを見た。

 僕としては天パがコンプレックスだと訴える我が子に縮毛矯正をさせない親はカスだと思う。天パはいじめられやすい外見的特徴である。プレゼンなんかやらずとも予算を支出しろよ。

 それくらいの金を出せないくらい困窮しているのなら子供を作るべきではなかったんじゃないか?と思ったのがこのnoteを書くに至った理由だ。

 子供っていうのは100%親のエゴで生まれる生き物なのに、大半の親はそのエゴの責任を取らない。

 我が子をわがままだの、かわいくないだの、育てるのに苦労するだの、文句を垂れて親は死ぬ。最悪だ。

 僕みたいに病気の満漢全席で産まれちゃっても、親は僕の病気を治せない。治らない病気って当然ながら辛い。ずっと鈍く体が痛い。

 僕を生き地獄に突き落とした両親は笑って暮らしている。笑って。



 僕の友達に子供ができたらどうしようと、時折思う。果たして軽蔑せずにいられるだろうか。

 友達よせめて、愛情深く、我が子が死ぬまで養い切る甲斐性と覚悟のある親であってくれ、と思う。

 まあ、できることなら、子供なんか作らないでいて欲しい。

 僕は子供なんか大嫌いだ。子供の声が聞こえると軽く眩暈がする。

 でも、同じ病気の子供が世の中に誕生してしまうのが心の底から怖い。たとえ天文学的に低い確率でしかこの病気にならないとしても、苦しむ子供がこの先に一人だって生まれてほしくない。

 どんなに可愛い子供にも、死ぬ時には「死ぬ」っていう苦痛が待っているのを、どうか君たちは忘れてくれるな。

 僕に軽蔑させないでくれ。


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