こんなこと

文章になんてしたくなかった。けど、自分のために一旦言語化して少しでもなんとかしようと思って書きます。

あの報せを耳にしたのは、16日の18時半頃だった。
仕事の定時がだいたいそのくらいで、仕事が一段落して、職場の先輩たちと「早く帰ろ〜」とか言ってた。
隣の席の仲のいい先輩と一緒に帰るから席で待ってた。その時に何気なくLINEを開いたら、見慣れない文字列がチラッと見えた。
普段、SNSの通知は全部切ってるし、公式などもマメに見るわけじゃないけど何となく嫌な気配がした。

あれだけ、現実的には不可能な事だとわかっていても
明確なビジョンを持って、休むことなく活動してくれる存在だから、きっと、また何かの発売の遅延だろうか?とか、趣味の車やバイクで怪我したのか、とか、小さな不調かな、とか、アルバム制作にあたってすこし休養とか?こだわりの強い彼らなら…など、別にアイデアを出そうとしたわけでもないのに色々と頭に巡った。

自分なりに考えうる可能性を頭にめいっぱい巡らせた上で、恐る恐るリンクを押してしまった。文字は読めるのに、日本語の意味がわからなかった。
顔がこわばるのが自分でもわかった。いまここで、職場で読むんじゃなかった!と強い後悔があったけど、
一方で、書かれている言葉の意味が分からないから呆然とするしかなかった。
あんな経験は後にも先にももう無いような気がする。
今は、ひとりで静かな空間で目にしていたらどうなっていたかと思う。職場でよかった。

その日は、そのまま会社の先輩と途中まで一緒に帰って、共通の推しアイドルの話をして、楽しく帰った。何か無関係の、楽しい話題を口にしてないと頭がおかしくなりそうだった。その人と帰るといつもよく喋るけど、いつにも増してよく喋ってた。
ふとした沈黙の間に、とにかく誰かに聞いて欲しくてそのことを口走りそうになったけど、その人も過去に同じ経験をしているし、忙しくて疲れの溜まってる状況だったからグッと堪えた。

別れた後、とりあえず駅のトイレに衝動的に入った。
もう一度お知らせを読んだ、けどやっぱり意味がわからなかった。気づいたらボロボロ涙が流れていて、それも意味がわからなかった。
とにかく帰るしかないか。酷い顔でどうにかして家に帰った。
帰ってからはあまり記憶になくて、声を上げて泣くでもなく、ただぼんやり、家のことなど何もせずにぼんやりしていた。
LINEを開くと、全く関係の無い友だちまでもが大丈夫か、無理するな、とりあえずご飯食べて、と心配の連絡をくれていた。
わたしの学生時代の友人は、ヴィジュアル系?なにそれ?みたいな子が圧倒的で、なんならわたしが「これがかっこいいんだ❗️」と興味のない友人たちに勧め、聞かれてもないのにCDを貸したり、チケット代出すから見ようと連れて行ったり今思うと痛いオタクだったのかもしれない…けど、わたしの大切な友達は、あのニュースを見てまっさきにわたしの事を心配してくれたんだ、と思うと嬉しいともまた違う変な感情が込み上げた。

とにかく、何かしてないと気が狂いそうだった。
だからずっとTwitterで何かをツイートしていた。LINEをくれた友人たちに感情を吐き出して、答えの出ないことをずっとずっと、同じことをずっと言っていたように思う。

the GazettEという存在は、わたしにとって計り知れないほど大きなものだ。
最近は他のジャンルにうつつを抜かして、あまり彼らのことを熱烈に語ったり、ということは無かったと思う。
色んなものに興味がある自分に対して、わたしはけっこう肯定的で、たとえそれによって「あの時こっちの選択をしてれば」とかの後悔をすることもあまりない。
『そのときの自分は、ちゃんと考えた上でその選択をした、その時の自分を信頼してる。』的な考え方。

いまでこそ『推し活』なんて言葉ができて、時間とお金を投じて誰かを応援することが当たり前、みたいになってるけど
わたしにとってthe GazettEは、それはもう思春期厨二病まっさかりの多感な時期に現れた衝撃だった。
ずっと、自分は新規だという気持ちでいたけどもう好きになってから10年以上が経ってるわ。ヤバ。

報せを見てから、ずっとthe GazettEと出会った時のことを一つずつ辿ってた。

中学生でお金もないし、周りにそんな趣味の大人もいなくて、自分の親は何かにお金を投じて応援することに快く大金を出してくれるタイプでもなかったので、
ひたすらYouTubeを見て、メンバーの画像を家族共用のPCに保存しまくったりして、たまにブックオフとかTSUTAYAに行った時にどさくさに紛れてCDを買ってもらったり借りたりして
夜な夜な親が寝た後に100均の化粧品で真似してメイクをしたり、鼻に布を巻いたりしてた。
たぶんみんな通った道だと思う。
今思っても、何がそんなに当時の自分に刺さったのかわからない。
どこが好きか何が好きかはわからないけどなんか凄い!と思って見てた。
それまで、流行ってたジャニーズを見てかっこいい〜とか好きとか言うことはあっても、
「わたしはこれが好きだ!」みたいなのが無かった。中学生くらいのときは、なんかそれが自分の中でコンプレックスみたいになっていて、理由はどうでも良くてただ「わたしはこれが好きな人だ!」といえる何かが欲しかったのかもな〜。アイデンティティみたいなね。
ちょうどその頃ニコニコ動画が流行ってて、その流れでTwitterのアカウントを作った。
そこから先はもう昔からの友達、フォロワーなら知ってる通り、色んな出会いがあったな〜
その頃からずっと縁が続いている人も少なくなくて、
でもこんな時だからあの時から連絡取れなくなった本名も知らないあの子元気かな…とか今はなきソシャゲで知り合ったあのお姉さんまだガゼット好きかな?とか

奇妙な化粧で、一張羅、全力のヴィジュアル系ぽいファッション(笑)に身を包んで蛙の鳴く真っ暗な田舎道を
当時飼ってた犬をつれてウォークマンで音楽を聴きながら散歩する時間大好きだったな、あの時間を経ていまがあるな!とか。

ずっと昔のこと考えてた。

the GazettEが縁で仲良くしてる人は沢山いるけどいちばん初めに仲良くなったのはあけみさんで、わたしがまだ高校生の時、チケットの正しいとり方もわからないときに連番でライブに連れていってくれた。
それまではお年玉をアテに年に2回、インターネットの海に漂うお譲りチケットでなんとか、友達もいなくてひとりで誰とも喋らず、2時間かけて大阪に出て、親に夜遅くに駅まで来てもらって、みたいな感じだったから、同じ趣味の友達がいるってこんなに楽しいんだ!!!!って思ったのを今でも覚えてる。

学校生活の鬱憤とか、子どもながらのストレスとか、学校と家しかない未成年の狭い世界の逃避場所だったと思う。受験がおわったらライブに行くんだ!って拠り所にして頑張ってた。高校生のときガゼットの写真印刷して手帳に入れて学校行ってたし、勉強つらくて泣きながら写真みてたりしたな〜。

思い出詰まりまくりの存在だから、いくらでも自分語りできちゃう。
今好きなすべてのものが平等に大切だけど、もう12年もずっと飽きることなく好きなんだから、比じゃないくらい思い出が、思いが溢れてくる。

このバンドに裏切られたことなんてないけど、きっとこれからもずっと変わらず、自分たちの掲げる信念にしたがって存在してくれると、特にここ6、7年はそれを強く感じていたからこそ、色んなバンドのライブに節操なく行ったり、時にはアイドルにうつつを抜かしたり、あれもこれも好き!全部行く!やる!をできてたんだなあと思う。
しばらくベッタリ情報追ってなくても、数ヶ月連絡取ってなくても、ツアーやるとなるときのうの続きみたいに「どこ行く?」って連絡できたり
突然「実は今日いるよー」って行ったら友達誰かしらがいて、ライブの感想ぶつけて飲んで喋って帰ったり
あまりにも居心地のいい実家すぎる、そんな場所になってる。
顔も名前も何も知らないハンドルネームだけで始まって、今では本名も、住んでる場所も、仕事の愚痴も自分の親の込み入った話もできてる。
なんなら家族ぐるみで仲良くしてる人さえいる、ほんとうに安心出来るまさに帰る場所って感じ。

田舎生まれ育ちの何も知らない子供に「勉強頑張ってお金稼いでライブにいっぱい行けるようになろう!」「東京に住めばライブに行ける!」って人生のモチベをくれた存在でもあり。

だってわたし本当にガゼット好きになるまで、ライブに行く、をするまで地元の決まった1つの路線バスしか乗ったこと無かったからね。
それがもう夜行バスやらホテルやら新幹線やら飛行機やら勝手に抑えてどこにでも行けるようになった。
ほんとうにガゼットがなかったらどうなってただろうか。


ずっとSNSを「rei」って名前で使ってるけどこれも始まりはれいたくんが好きだったから、そこから取ろう!と思ってのことだし、れいたくんに憧れて高校生の時は軽音楽部に入ってベースを弾いていたし。

10年後こんなことになってるだなんて想像もしてなかった。そんなことからは無縁だとさえ思ってた。

昨今ほんとうに悲しいニュースが多かったし
わたしも大人になって、まあ時が流れたらいつかはということも頭の片隅にはあったけど
それは自分がもっともっと歳を重ねてからだと思ってた。当たり前に。
勝手に、あと10年くらいはあ〜もうさすがに腰痛いよな…とか言いながらも笑ってるものだと思ってた。
さすがにバラード増えたな〜でも助かる〜とか言ってるものだと。

ここ一週間と数日、関係の無いコンテンツに触れてみたり、ほかの好きに触れたり、ひたすら運動してみたり、気の向くまま好きなものを爆食したり
欲しかったものを我慢せず沢山買ったり
色んな方法で気を紛らわしてみた。
こういう時色んなものを好きでいられてよかったのかどうかは分からない。
わかったことは、どれも失った穴を埋めるための好き、では無いから何をしても紛れはしないな〜ということ。笑

そして、突然の訃報のあと、メンバーのコメント、ついさっき彼の誕生日に追悼のライブをやると発表されたけどまだ、全然悲しみにまでもたどり着けていない。

文字に起こして友達とやり取りして、思い出を丁寧になぞっても、色んな好きに触れても、何を見ても実感なんて得られない。
何が悔しいって、こんなにあの日に心が置いていかれたままなのに、そこから動けずにいるのに
毎日当たり前に時間が過ぎてどんどん過去になるのが嫌だ。
しかも何故か感情に反してめちゃくちゃ仕事が捗る。いつもしょうもないミスとかするのにめちゃくちゃ調子良い。心乱れまくってるのに表面では日常をやっている自分もなんか悔しい。

まだあの日に置いてきぼりで、なんの昇華もできないし
受け入れる準備すらもない。
だから追悼のライブには行かない選択をすると思う。休みならなんとでもなるけど、いざチケットが当たってもそこまでたどり着けるか、チケットを持って心が持たなくてやっぱり行けませんでした、というのは
他に行きたい人が、行くべき人が沢山いるのが分かるからこそ傲慢だなと思うので、静かに自分の場所で偲ぼうと思います。

とりあえずどんどん流れていく時間に抗おうと、半ば強迫観念のようなものでこれを書いてみたので
何が言いたいのか、結局自分が今どこにいるのかもわからないけど、終わりがないので一旦ここで。





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