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コンカフェは「ディズニーランド」で在るべきか?

''メイドとはキャラの中で生きること。
そしてコンカフェは現実と異なる非日常な空間だ''

かつての私は、ずっとそう考えてきた。

制服を身に纏い、キャストとして生きている間は、普段の自分とちょっぴり違う存在に変身する。
ゲームの世界で、アバターに自己の理想を投影するように、コンカフェという世界ではメイドというキャラクターになりきって、キャラの中で息をする。

そう、例えるならば、コンカフェとは小さなディズニーランドのようだった。


キャラクターとしてのメイド

数年前、名古屋でキャストをはじめた当初、私は素の自分に対する自信というものがかなり乏しかった。

素の自分なんて全然好きじゃないし、学校もいや。

だから、コンカフェでは日々の自分と異なる非日常な自分になれること、そして日常を忘れられる空間が1番の魅力だと感じていた。

そんな私だったから、お給仕の間は''メイドまいるん''というキャラクターで生きることにした。
自分の中にある、辛うじて好きなポジティブな一部分を切り取って、時には少しオーバーなくらいの前向きさを付け足す。

いつでも、どんな人にも、とびきり明るく。
笑顔いっぱい、前向きいっぱい。
名前の由来は、すまいるの下3文字。

そう伝えると、ピッタリだとよく言ってもらった。
元気印。イメージカラーはイエローかオレンジ。

私は来てくれた全ての人に、すまいるを届けたかった。笑顔になってほしかった。ニアリーイコール、元気になってほしかった。だから、私が何時でもいちばん元気で前向きでいたい!と思っていたし、実際元気がなかろうが制服を着ている間だけは、基本的にどんな時でも元気だった、と思う。

自分が好きな陽の部分を詰め込んで、大きくしたキャラクター。だから非日常を提供できるし、そのキャラを上手に演れているから愛される。


メイドのキャラと素

だからこそ、最近の私は困惑していた。

最近の私は、以前に比べてあまりにも''素''
なんです。

理由としては、人間としての基本スタンス素で生きれるようになったこと、数年間の歳月が私の思考を多少大人にしたこと、長時間・高頻度の配信で自分という人間をごまかせなくなったこと、そして極めつけにこの感情垂れ流しnoteを書くようになったこと、などがある。(この1段落で1200字書いてしまったけどカットした 読みたい人いる?)

前までは私自身が日常を嫌っていたのもあり、コンカフェだけは非現実的な存在であれと祈っていた。さらに、学生から見てどうやら社会というのはひどく大変で、仕事は嫌なものらしく感じられた。

だから、全てのご主人様お嬢様は私と同じように、日常を忘れる為に来ているのだと思っていた。

なので、間接的に日常を思い出させる可能性のある個人情報(兄弟構成や休日の話、学校のことなども含め)は全く話さなかった。さらに、ハッピー感情以外の自己開示はしなかったので「まいるんって人間味ないよね」とよく言われていたものだ。

一方、昨今は、元気がでない日は、元気ないねー!と言っちゃうし、前までマイナスなことは絶対言わないと誓っていたけど、今は話の流れによっては伝えてみたりもする。個人情報や休日の話も聞くし話すし、「まいるんは本当に人間らしいね」なんて言われちゃって酷く驚く。

勿論根本として、お給仕を通じてすまいるを一緒に作るキャストになりたいのは変わっていないけど、キャラなのか素なのかという2点において、以前のメイド像とはかなり異なっている。

素で生きるのは楽かもしれないけど、これでは今まで考えてきたキャラクター的非日常やメイドさんの正解と、かけ離れすぎているのではないか?
そんな私では、ご主人様お嬢さまの求めているメイド喫茶やコンカフェを提供できないのではないか?



求めているものは

そのような思考に至った時、1度考えてみた。

ご主人様・お嬢さまは、メイド喫茶やコンカフェに、何を求めて来ているのか。

前までの私は、非現実的な小さなディズニーランドを求めてくるものだと思っていた。もちろん鬱々とした日常を忘れたくてコンカフェに足を運ぶ方は多いだろう。
さらに、観光地として訪れる萌え系メイドであるならば、徹底的に現実を排除した方が良いに違いない。

でも、コンカフェが飲食店である限り、私たちにとって1番大事にしたいのは、やっぱり何度もご帰宅してくれるリピーターの方々だ。

そういった方々は、本当にやさしいし、お仕事もちゃんとがんばっている(或いはいた)し、プライベートでも何かしら楽しんでいることがある。
だから、その全員が現実を忘れるためにコンカフェに足を運んでいるとは考えにくい。

そこで、当たり前のことに気づいたのだ。

そういった方々はディズニーランドに行って現実を忘れたい、というよりは、セカンド・サードプレイスである「第2の家」を求めてるのではなかろうか。


「第2の家」としてのコンカフェ

SNSやリモートワークの普及により、リアルでのコミニュケーションは数十年前より格段に減った。

しかし、人との交流や温もりは
いつの時代も、誰にだって必要なのだ。

最近あったことや考えたこと、誰かに話したいことをそこにいけば必ず共有できる場所。そこには仕事の損得に関わるような人間関係は存在しない。

コンカフェに馴染みのない人は分かりにくいかもしれないけど、店員全員と顔なじみな行きつけのカフェやバーがあると思えばいい。店員達とは友達くらいくだけた関係値。気軽に話しかけてくれるし、話しかけれるし、最近の話を好きなタイミングで出来るのだ。

要するに、コンカフェはコミュニティなのだ。

忙しい日常の中に

大人ってやつは、基本的にみんな忙しい。
小学生の時みたいに「今日あそぼー!」なんてことは、成長とともに中々できなくなってくる。
(それが今なお出来ている人は時間と人にかなり恵まれているしすごいと思う)

友達と会う時は数週間・数日前から時間を決めて、お互いの予定を調整することがほとんどだ。

でも、リアルではふいに空く時間がある。
予定の始まる前の暇な時間。
少し早く予定が終わって、なんだか寂しい時。
もう少し誰かと話したいような気がする時。

そんな時、とっても気軽に暖かな交流ができる場として、コンカフェは在る。

非現実的なキラキラを受け取るだけじゃなくて、時には現実的な仕事の愚痴を吐きたいかもしれない。

褒める側ばかりで褒められなくなった人生で
いやぁ、君はほんとにえらいよ、頑張ってるよ、と
言われたい時はどんな大人にだってある。

それに気づいた時、メイドはキャラの中で生きることだけが正義ではないのかなと思った。
非現実を受け取るだけなら、ライブとかアニメとかでいいんだ。距離が近いが故の、話せるがゆえの、相互作用があるのが、コンカフェの1番いいところ。

だから、コンカフェは
非日常なディズニーランドじゃなくて、
日常の延長線上にある第2の家なのだ。



ナチュラルな貴方と私で

仕事もプライベートも含めて、あなただから
話したいことをなんでも話してもらいたい。
聴くのが好きな方はくだらない話を聞いて欲しい。

日常の延長線上にコンカフェがあるならば
日常的な素の''メイド''にも価値があるのだろう。

メイドだってファンシーな王国で生きていることにしなくてもいい。休日は昼過ぎに起きて、アニメ見て、ご飯食べて寝てる、なんていうつまらない日常を隠す必要もないのかもしれない。

余談。そして反論的な意見だけど、今の自分は本当に素だから、「まいるん」というキャラが好きなんだな、とかいうようには思わない。今応援してくれてる人は、「私」のことを応援してくれてるんだな〜、と思える。その事実がとてもうれしい。

その一方、今の私を否定されると割としっかり悩むし、そのまま傷つくし、人間的な感情を出すことであまり良くないこともあるので塩梅がむずかしい。
やはり今期の世界的人気アニメ推しの子6話でもあるとおり、「キャラ作りは鎧」だと思う笑

そう思うと、キャラの中で生きるべきという説もあるとは思うんだよね。どうかなぁ。



普通の人間で、ありふれた現実的な私とすごす
ディズニーランドより家に近い
そんな暖かい空気感で、

今ここで出会っているあなたと
これからも一緒に過ごせたら

私はとっても!幸せです!


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