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救急車|2019.05.26

GW最終日前夜。あと1日。やりたいことの9割はできたんじゃないだろうか。そんなGWだった。最期の夜を堪能していると、急に胸のあたりで違和感。嘘。契約違反だろ。そんなはずはない。持病がある。いつ再発してもおかしくないと言われている。自然気胸。肺に穴が開いて小さくなってしまう病気。原因は今も分かっていないらしい。いったん発生すると2週間ほどの入院と小さな手術がもれなく付いてくる。
家には俺ひとり。誰かに相談できるわけでもない丑三つ時。通常ならば、こういうときこそ救急車を呼ぶのだろう。だけども、俺がまず考えたのは連休明けの仕事のこと。まさに社畜の鏡というわけだ。どうしようどうしようと考えている間にどんどん様態は悪化していく。あぁ、なんかほんとにまずい状態だ。どこまでになると救急車を呼んでいいんだろう?考えていても仕方ないのでネットで検索する。すると公的機関から出ている救急度診断アプリというのを見つける。
早速ダウンロードして診断すると呼ばなくてもよいという結果に。そうなのか。こんなにきつい状態でも呼ぶ必要がないのか。救急車を自分で呼ぶという選択肢って実は無いに等しいんじゃないだろうか。とはいえ、ひとつの悩みが解決しすこし安心する。そこからは、深呼吸をしたりいろいろ精神的な対処ばかりをして寝ることにした。そこから夜中に何度も起きたけども朝には8割ほど復活していた。結果的に、連休が明けた次の週末までちょっと不安だったけども、特に問題なく今日を迎えている。15年以上も前に一度死んでいる。惰性で続く人生を15年も送っている。本来なら出会えるはずはなかった人たちともたくさん出会っている。それでも死への過程を味わうといまだに恐怖しかない。死ぬということよりも、まさにこの過程が恐怖なのだ。耐え難い、耐えれるわけがない恐怖なのだ。

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