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闇鍋こぼれ話|2018.06.10

地元でイベントをするとき、どうも過去のことを引っ張りだし気味だった。ストリートLiveの頃から応援してくれている人たちも来てくれる。そういうことも手伝って、ストリートでしかやらない曲をあえて選曲したり。今回の闇鍋。そういうことを全部止めようと決めていた。

装飾や物販についてもそう。今回はそういうのも全部止める。注目すべきは唄なのだ。演出やステージングも大切なんだろうけども、今回俺が力を入れるべきなのは唄そのものなのだ。
もうひとつはコラボだ。同じメンバーと長らくコラボや対バンをしているといわゆるぬるま湯のようになってしまうと感じる人もいるかもしれない。けどもそれは大きな間違いだ。同じメンバーだからこそ、手の内が割れているからこそ新しい裏切りを用意する必要がある。コラボも同じ。前回の半歩でも前進する演奏にしたい。そういう気持ちが湧いてくる。

それこそが長年同じステージを踏み続ける醍醐味でもある。お客さん側にも楽しみは増える。毎回毎回新しい人ばかり見ているよりも「おっ!この曲知ってる!」「この人知ってる!」という喜びがある。そんなステージはぬるま湯なんかではなく、手を知り尽くした者通しの戦場なのだ。

今回の俺の挑戦。ずっとずっと言い続けてきた遠方アーティストとのコラボを遠征をすることなく実現する。事前撮影動画とのリアルタイムコラボだ。最終的にはリアルオンラインコラボへと発展させたい。今回はその第一歩。準備に準備を重ねた弊害としてお客さんへの説明が足りなくてほんと申し訳ない感じになってしまった部分はあるものの、今後の進化に乞うご期待となったわけだ。

今回のLiveを終えて。10曲以上も唄うということ自体、何気にかなりの準備が必要だった。当日は唄切るということ自体に不安はなかったけども、1曲1曲を唄うごとに「自分の想いはちゃんと届いているだろうか?」みたいな不安に押しつぶされ流されてしまった気がして仕方がない。なぜだか知らないけども、気合いを入れ準備を完璧にすればするほどに本番はこんな気持ちでいっぱいになる。達成感よりも後悔というか、なんかそれに近い感情でいっぱいになる。それは今回も例外ではない。
なぜLiveハウスで唄うのか?当日そんな話になった。特定少数に向けて歌詞を描く俺にとって、Liveハウスやメディアに唄を乗せることは、その届けたい人にいつか届くかもしれないという手段なんだと思っている。もちろんその人たちすべてが目の前で唄を聞いてくれるのは夢ではあるけども、その実現も難しいのも現実なのだから。





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