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日本は『分断しない社会』なのか?

分断社会を象徴する米国では、6月23日、上院で超党派の銃規制法案が可決されました。「銃規制の強化に向け、この約30年間で最大の前進」と評価される一方で、米連邦最高裁は同日、「公の場所では、個人による銃の携行を原則的に禁じているニューヨーク州法は無効」との判断を下しています。憲法修正第2条は、家庭外での銃の権利を保護するものだという初めての司法判断で、銃を巡る米国内の分断の深さが浮き彫りになりました。

日本国内で本物の銃を目にすることはほとんどなく、米国内での相次ぐ銃乱射事件のニュースを見るたびに、「なぜもっと早く規制しないのだろうか」と思ってしまいますが、簡単にはいかないようです。米国ではごく簡単に、しかも驚くほど安価で銃を手に入れることができます。一般家庭にもかなり普及しているだけに、規制法の効果については疑念であり、銃で自分の身を護る意識が根付いている社会だけに、規制に反対する人たちの勢いはこれから増していくのかもしれません。いずれにせよ、銃規制も米国の分断社会の一つの断面です。

また、米国では妊娠人工中絶も明確に賛否の分かれるテーマです。米連邦最高裁判所が6月24日、人工妊娠中絶に関する『ロー対ウェイド判決』を覆す判断をしました。これにより、米国では女性の中絶権が合衆国憲法で保証されなくなります。『ロー対ウェイド判決』とは、それまでアメリカで違法とされていた人工妊娠中絶を女性の権利と認め、中絶を規制する州法を違憲とする1973年の判決です。未婚女性「ロー」が地方検事「ウェイド」を訴えた裁判で、中絶合法化が認められた画期的な判決となりました。しかし、この判決が約半世紀ぶりに覆され、中絶に関する独自の法律を定める権限が各州に与えられることになります。すでに8州で中絶禁止法が施行されており、少なくともさらに8州がそれに続く予定です。妊娠人工中絶を巡るこれらの動きも、日本人からすればなかなか受け入れ難いのですが、米国では賛成派と反対派とが激しく激突する分断社会のもう一つの断面だといえるでしょう。

今の日本に、米国の銃規制や人工妊娠中絶のような、国民の間で分断が生じるようなテーマがあるでしょうか?政治的にいえば、自由民主党と日本社会党による55年体制以降、長らく続いた保守と革新の対立も、東西冷戦が終わりを告げたことで軸を失ってしまいました、一時期、自民党が下野し、政権交代可能な二大政党制を目指そうと小選挙区制度が導入されたものの、その後も明確な対立軸が見出だせないまま現在に至り、二大政党どころか一強多弱の状態が長く続いています。

それでも、現在の体制が未来永劫続くものでもなく、変わるとするならば、政策やイデオロギーの対立というよりも、現体制に対する不満が爆発することで起きる、偶発的な政権交代であり、与党の退場なのでしょう。

私は分断社会がいいとは思いません。だからといって、分断しない社会がいいわけでもない。分断する・しないに関わらず、主張をしない、声を上げにくい社会は、とても問題だと思っています。たとえば格差社会が叫ばれて久しいにも関わらず、いわゆる負け組が少数派である限りは、それらの声は切り捨てられ続けることになります。私たちはどんな社会を生き抜いていくのか、その設計図なり青写真を描くのは私たち自身のはずです。

分断を恐れることなく、社会に関心を持ち、必要に応じて声を上げていくべきなのでしょう。自分自身にそう言い聞かせています。皆さんも勇気を出して一歩踏み出してみませんか。


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