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なぜ『赤ちゃんポスト』ではなく『こうのとりのゆりかご』なのか

前回は『こうのとりのゆりかご』に関して、この15年間変わらないことの一つに「賛否両論の対立の構図から抜け出せていない」ことを挙げました。今回の各社の報道を見ていて、その主な要因の一つは「現在も『赤ちゃんポスト』と呼び続ける報道機関の姿勢にもある」と改めて感じたところです。

そもそも『こうのとりのゆりかご』は、慈恵病院がドイツの施設を参考にして開設したもので、そのドイツでは『babyklappe』、もしくは『babywiege』と呼ばれています。『baby』は説明するまでもなく、『klappe』は『(郵便箱・ポケットの)垂れ板』、『wiege』は『ゆりかご』を意味します。英語では『hatch(扉)』イタリア語では『culle per la vita(命のゆりかご)』などとも呼ばれているそうです。[以上、Wikipedia参照]

国内では、1986年から1992年にかけて、群馬県前橋市内に設置されていた同様の施設は『天使の宿』と呼ばれていました。

また、呼称に関することでは、以前、『明日、ママがいない』というTVドラマで、施設で暮らす主人公の少女が「ポストちゃん」と呼ばれていました。さすがに、そのときには慈恵病院だけでなく、熊本市としてもテレビ局側に正式に抗議を申し入れたこともありました。

全てではないとはいえ、現在も報道機関が『赤ちゃんポスト』を使用しているのには、「人を預かる施設が『ポスト』であっていいものか」と、強い違和感でしかありません。以前、ある報道関係者にその理由を問うた際には、『施設の本質を見誤る可能性』と説明されました。

それでは施設の本質とは何なのか?

昨日も述べたように、私は『ゆりかご』は「命を救う最後の砦」であり「社会課題を映し出す鏡」であると思っています。『ゆりかご』という象徴的な存在があるからこそ、悩みを抱え孤立した多くの女性が相談先にたどり着く。『ゆりかご』と、いろんな思いを持った人たちがつながることで、社会的養護の必要な子どもたちの成長を見守り支えていく。『こうのとりのゆりかご』とは、単なる赤ちゃんを置いていくモノではなく、コトの総称との認識でいます。そんな認識が少しでもあれば、ポストという呼称は使えないのでは、私はそう考えます。

これまでに、それこそ「『ゆりかご』の本質」を見極めようとする努力の跡でも窺えるのであれば、その主張も説得力を持つのかもしれませんが、今回のように当事者が勇気を持ってカミングアウトしたことに乗じて、思い出したかのように、以前のままの感覚で『赤ちゃんポスト』として取り上げる。それでは議論が深まるはずもありません。この15年間、全国で唯一の施設であり続けていて、呼称を一般化する必然性はありません。今回、投じられた一石を、呼称を含めて『ゆりかご』の本質を議論する、そんなきっかけにしたいものです。

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