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誰もが安心して真実を語り、それを受け入れる社会へ

『カミングアウト』って聞いたことはありますか?「人に知られたくないことを告白すること」とありますが、『真実告知』という観点から少し考えてみたいと思います。

昨日は「真実と向き合う勇気」と書きましたが、それはもちろん簡単なことではありませんし、その真実を周囲に告知するとなればなおさらです。真実を明らかにするかどうかは、ケースバイケースであり、タイミングも必要で、何より当事者の意思を尊重することが前提になります。

例えば『性的少数者(セクシャルマイノリティ)』の場合、その数は人口の約5%とも10%ともいわれており、いつまでもマイノリティと呼んでいいものかと考えさせられます。『LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)』とも呼ばれますが、性自認や性的指向、それらの程度や組み合わせを考慮すれば、決して4分類されるものでもありません。

セクシャルマイノリティのうち、どの程度の人が『真実告知』しているのでしょうか?2016年のある調査では、職場や学校でカミングアウトしている当事者は27.6%、職場や学校で差別的発言を聞いたことのある当事者は71.7%という結果でした。息苦しさを感じ「自分らしく生きたい」とカミングアウトしようと思っても、その後の周囲の対応の変化を恐れて、我慢している人は少なくないようです。実際に支援団体の方から話を聞いても、職場や学校はもちろん、親にすらひとりで真実を告げる勇気が持てずに、支援者がその場に同席することもあるそうです。多様性と言葉では理解しつつも、個人として本当に許容できるのか、周囲の環境が、社会が、受け容れるだけ成熟していると言えるのか、その現実を考えるとためらう気持ちも十分すぎるほど理解できます。

たとえば社会的養護に関しても、まだまだ伝統的な家族観や血縁を重んじる風潮が強い地域社会においては、先ほどの性的少数者と同じなのかもしれません。「施設で育った」「実は肉親ではない」など、あえて話さなければ周囲に知られることがないのであれば、カミングアウトする必要もないのかもしれません。

以前、『こうのとりのゆりかご』のあり方について、当事者のプライバシーを守る一方で、妊娠や出産、社会的養育の抱えるさまざまな問題に対する社会的関心を高めるためには、どこまで『ゆりかご』の情報を開示できるのか、マスコミの人たちと議論したことがあります。私は、社会的関心と興味本位とは別であり、プライバシー保護を優先する立場をとりました。一方のマスコミは、ブラックボックス化すればことの本質が伝わらず、基本的に情報を公開すべきとの立場。実際に、社会的関心と興味との線引きは難しく、公表の範囲についての試行錯誤が続きました。

そんな問題について、もし自ら真実を告知することで、社会的関心を高めよう、社会意識を変化させよう、と勇気を振り絞る人がいるとするならば、徹底してその人を守り抜く、そんな社会でなければならないと思います。誰もが安心して真実を語ることができる、そんな社会を築いていきたいものです。


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