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民意を探る~五木村の今

『水没予定地を歩き、地域再生を学ぶ 〜夏の五木村・川辺川ツアー〜』
という日帰りバスツアーに参加し、久しぶりに五木村へ。地元の方が「五木村には日本一が3つある」と自慢気に語られました。日本一のものとは、「清流・川辺川」「五木の子守唄」そして「バンジージャンプ」。私にとっては、他にも魅力的なところはたくさんあります。

清流・川辺川

今回のツアーでは、まず『ヒストリアテラス五木谷』という地域歴史博物館で同村の歴史や伝統・生活文化を学ぶことに。『コバサク』と呼ばれる焼畑農業は、村域の94 %が山林という同村にとっては、限られた耕地面積を有効に使う生活の知恵として長年営まれてきました。伝統芸能としては、地区ごとに少しずつ趣の異なる『太鼓踊り』があり、清流が育んだヤマメの塩焼きや旨みたっぷりの鹿肉のカツを食べた後には、正調五木の子守唄を聞くこともできました。

ロッジ山小屋にて昼食

水没予定地の頭地地区を歩き、移転前の生活の様子に触れることができるほか、同地区の貯木場では『葉枯らし乾燥材』を使った『五木源(ごきげん)住宅』、主要産業である林業の話も聞けました。そして最後は道の駅で、特産品の『山うに豆腐』や幻の柑橘とも言われる『くねぶ』を使った『くねぶポン酢』、原木しいたけや新鮮な野菜等をたくさん買い込むことができました。そして何より今回の収穫は、五木村の今を生きる人たちの、率直な話を直接伺うことができたことにありました。

葉枯らし乾燥材

五木村はダムに翻弄され続けてきました。
村の半分以上が水没することもあり、1966年にダム計画が発表された当初、村民たちは絶対反対。治水対策を望む球磨川流域の市町村では孤立することとなり、村内でも賛成派と反対派との対立が激化。後に苦渋の決断で計画を受け入れる道を選んだのです。

1996年にダム本体工事に同意し、代替地への移転をほぼ済ませた頃になると、環境保護や公共事業の見直しの議論が全国的に広まり、今度は逆に五木村が先頭に立ってダム建設を望むような形へと形勢が逆転。利水訴訟の原告勝訴や、漁業補償金の受け取りも拒否され、流域自治体の長、県知事の反対表明。最終的には民主党政権時に川辺川ダム凍結の方針が打ち出され、ダム計画はストップし、水没地の移転を済ませた五木村の振興は宙に浮くことになりました。

その直後から、五木村の振興策やダムに代わる治水対策を検討する場が設けられたものの、特に治水対策に関しては、国土交通省からの提案は工期も事業費も現実離れしたもので、流域市町村もそれぞれの思惑があり、代替策が講じられることなく2020年の水害を招くことに。そしてダムは再び動き出すことになりました。かなりはしょって書いたものの、半世紀以上もダムに振り回され続けてきた五木村の苦悩が、おわかり頂けたのではないでしょうか。

頭地地区 上方、代替地へ移転済み

今回のツアーでは、ガイドや現地の人からはダムに関する微妙な空気感を覚えました。ある意味、今の五木村にとってダムは禁句となっているということ。これまでダムに振り回され続け、村が分断されるような状況を経験してきただけに、再びいがみ合いたくないという気持ちが、口もとを固くしているようです。それでも勇気を振り絞って語ってくれました。それは現地だからこそできたことだと思います。

宮園の大イチョウ

川辺川ダムを巡っては『民意』がキーワードとなっています。
その『民意』は一体どこにあるのか?

政治家は『民意』を都合よく使おうとします。環境を守るという『民意』に基づいてダム計画を止め、環境と命を守るという『民意』に従って『穴あきダム』を造る決断をする。民意とは言うまでもなく民の意思。黙っていれば賛同したものと見なされます。

今日の五木村では、ひとつの民意と出会いました。もちろん全てではなく、今後も民意を探る旅を続ける必要がありそうです。

清流・川辺川2


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