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一人ひとりにとっての分断とは?

若い人たちが『社会的分断』について論じるYouTube動画を観ました。そもそも現在の日本に『社会的分断』や『断絶』は存在するのか?国民を2分するような政治的イシューがあるわけでなく、多くの国民が参加するような大規模なデモやストライキが起きるでもなく。

そんな日本でも、私がもっとも記憶に残る国内での大規模な集会は、1995年9月、米兵3人による少女暴行事件をきっかけとした『沖縄県民総決起大会』。「軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」と訴える女子高生の声は、四半世紀が経過した今も忘れられません。

当時は沖縄県外でも、多くの人の心が揺さぶられたことと思いますが、基地問題の根本が変わっていない現実を踏まえれば、あの集会は、日本国内における『沖縄県とそれ以外との分断』が表面化した出来事と捉えるべきなのかもしれません。

日本では分断は起きにくいと言われます。その理由として「分配政策が上手くいっているから……」「争いごとを好まない国民性だから…」―いずれも胸にすとんと落ちてきません。

ここで考えたいのは、そもそも分断は悪なのかということ。『トランプ現象』や『ブリグジット(イギリスのEU離脱)』が『分断』の先の悪い例に挙げられる一方で、「分断の先に希望が見えてくる。そのエネルギーが無いことの方が問題」との指摘があります。

日本で分断が起きないといわれるのは、争いごとを好まないというか、できるだけ傍観者でいたいという深層心理が働くからかもしれません。いじめられる対象にならないように見て見ぬ振りをする、いじめの構造と似ているようにも思えます。

もうひとつの指摘が「実際の貧困層は、データや統計に現れにくい」ということ。データに現れなければ、その層は無きものにされ、問題は表面化せずに、対策も講じられない。もちろん「分断はない」と括られる。「政府も国民も真剣に向き合おうとしないことから、分断が表面化していないだけ」その方が私は納得できました。

分断の有無は、誰か力のある人が判定するものではなく、一人ひとりの心の中に宿るものなのでしょう。ほとんどの人は対立を好まないと思います。私だってそうです。ただ対立を恐れて、目の前の課題から目を逸らすようなことはしたくありません。そのことを再認識させられました。

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