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冤罪被害者の撲滅に向けて

色んなご苦労をされている方々の中でも、「当事者でなければ絶対にわからないだろう」と感じるのは冤罪被害者。まさに想像を絶するご苦労の連続だと感じています。

私は10年ほど前、偶然に、あるお店で免田栄さんにお目にかかったことがあります。免田さんは、強盗殺人事件で死刑判決を受けた後に、再審で無罪が確定した冤罪被害者の一人です。『免田事件』と報道されていたことを覚えている方もおられるでしょう。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%8D%E7%94%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

同席されていた私の知人から免田さんを紹介され、促されるままに私もその席に座り、しばらく会話の中に入ることになりました。いくつか尋ねてみたいことはありましたが、初対面であり、それまでの話の流れもあり、失礼に当たるようなことを言っては大変と、ほとんどが聞き役にまわりました。ときには、獄中での生活をユーモアを交えて話される様子を拝見しながら、心中を推し量ってみたものの、私などに理解できるはずもなく……。

免田さんの明るさが、ひと際印象に残りました。

私は熊本市長をしていた頃に一度だけ刑務所の中を案内されたことがあります。視察の理由として「あなたが来ることで、社会は受刑者の人たちを見放していない」そんなメッセージになると言われました。

実際に、受刑者の人たちが木工作業に従事されている部屋にも案内され、しばらくその様子を拝見しましたが、もちろん紹介されることはなく、顔を上げてこちらを振り向く人もいません。その部屋を出たあと「手を止めたり、よそ見をすることは原則として許されていない。あなたが来ることは朝の放送で知らせてある」そう教えてくれました。一般社会とは断絶された空間であることを、あらためて実感することになりました。そうした受刑者の中に、冤罪被害者がいるとしたら……。

冤罪被害者は、警察や検察での取り調べ、裁判で、どんなに無実を訴えても認められることはありません。自白を強要され、有罪が確定すると、社会とは隔離され刑務所での生活を強いられることになります。無期であれば終わりのない、免田さんのように死刑判決が下されれば、刑の執行に怯える日々が続くことになります。もちろん親、兄弟姉妹の死に目にも会えません。

それらを乗り越えて、再審請求が確定し、無罪を勝ち取る。それまでには何十年という長い歳月が流れます。ところが、闘いはそこで終わることなく、社会復帰を果たしても、その中に潜む偏見や差別と闘うことになります。実際に、免田さんは亡くなられるまで、熊本県外で暮らしておられました。

https://genshobo.com/archives/10949

その免田さんは2020年12月に他界されました。そして、免田さんが獄中で残された記録等が、現在は熊本大学に保管されています。冤罪被害者は免田さんだけではなく、これ以上冤罪を繰り返さないことを訴え続けておられました。そうした声が、残された記録が、これ以上、冤罪被害を繰り返さないために活かされることを願っています。

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