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誰のため、何のために話すのか

私はときどき「話が上手い」と言われることがあります。もちろんその中には、お世辞や社交辞令も多分に含まれているのですが、人前で話す機会が多かったことから、慣れは確かにあるのかもしれません。

ただ私は、学生時代や駆け出しのサラリーマンの頃、人前で話すのが嫌でいやで仕方がありませんでした。話の途中で手足が震えだし、抑えようとすれば余計にひどくなるもので、手に持つ資料も音を立てて震えだすことなどはしょっちゅうでした。そんな私でしたから、今も決して自分で上手いなどと思ったことはありません。

昨日は『コミュニケーション発信』の研修。小グループに分かれ、お互いに嬉しかったことや困ったことなどを3~5分で発表し合う場面がありました。他の人と私の話を比較して感じたことは、自分の価値観が強く出すぎるということ。政治家である私にとって話すということは、説得し、説明責任を果たし、理解を求める、ということが中心でした。自分の伝えたいこと、伝えなければいけないと思うことを、話してきました。それは大勢の前だけでなく、小人数でも、相対であっても、そうだったのかもしれません。

今回の研修の目的は「相手が心を開いてくれるためにはどんな話し方をすればいいのか」「伝えたいことがあっても言葉に表すことが苦手な人に対して、少しでも話してみようかと思わせる雰囲気をつくるためにはどうしたらいいのか」そんな発信力を養うものでした。発信は受信とは一体であり、相手の気持ちを基本に置いてコミュニケーションを図ることの大切さを、しっかりと学ばせてもらいました。

「何を今さら」と思われるかもしれませんが、今の私にとって、とても貴重な経験であったことは間違いありません。

今回の研修をもって、ひと通りの基礎研修を終えたことになります。これから、ボランティアとしてではありますが、社会的養護の子どもたちとマンツーマンで接することができるようになります。まだ不安はありますが、思い切って一歩を踏み出してみたいと思っています。

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