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年月が語りかけてくる~福島に学ぶ

「10年経って見えてくるものもある」

東日本大震災の原発事故で被爆した福島の森を、現在も守り続けている人の言葉です。

森は放射性物質を表面に留める役割を果たし、人々を守ってくれているといいます。間伐や枝打ちなど、ほとんど人の手が入らないままに時が過ぎ、鬱蒼(うっそう)とした森には新芽が育ち、自らの力で自然を再生しようとしていました。その力を手助けしようと、何十年、もっと先を見据えて、森や里山の再生に取り組む人たちのドキュメンタリー番組を観ました。

原発事故がもたらした放射性物質の影響は、計り知れません。ある研究者から、今もなお高濃度の放射性物質が付着している木々のデータを示され、「自分たちの世代は終わった」と、寂しげにつぶやく林業家たち。それでも、彼らの再生への道のりは、世代を越えて続くことになります。

では、熊本の10年を振り返ると見えてくるものは何でしょうか?

キーワードは「次世代のために」

東日本大震災の年に九州新幹線が全線開通。熊本にとって待ち望んだ開業の前日に、大地震が東日本一帯を襲いました。祝賀行事を全てキャンセルし、まだ詳細な被災状況がつかめない中に救援隊を派遣するなど、複雑な思いでその日を迎えたのです。

新幹線開業準備とほぼ並行して進められたのが、『熊本市の政令指定都市への移行』。当時は国の市町村合併を進めようとする思惑もあり、政令指定都市に移行できる要件が緩和され、合併して人口が70万人を超えることが、それに近い自治体にとっては大きな目標となりました。

熊本市は、九州の均衡ある発展と南九州を牽引する拠点都市として、福岡への一極集中を食い止める術として、熊本市や周辺の人々の暮らしを良くする手段として、市内外から期待されました。期待だけではなく反対も少なくありませんでした。それでも、熊本市長として推し進めた原動力となったのは、現在だけでなく次世代への責任を果たそうとする使命感でした。紆余曲折を経て実現したのが2012年4月。今年でちょうど10年を迎えることになります。

熊本が政令指定都市として積み重ねてきた10年間では、白川流域の水害や熊本地震も経験しています。冒頭の福島の方の言葉を借りるまでもなく、この年月が語るものからも、次世代への責任を果たしていかなければなりません。

政令指定都市とは何だったのか、何をもたらし、何が想定とは異なったのか、検証は必須です。当時の責任ある立場に居た者として、これからのためにも、引き続きその責務があると考えています。

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