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何も終わっていないし、何も始まっていない~球磨川流域の復興

球磨川流域水害から1年7ヶ月が過ぎました。

今日、あらためて被災地をまわってきました。1年7ヶ月という期間は長いのか、あっという間なのか。それは、家族など身近な人を亡くされた人、被災した人、被災した地域で暮らす人にしかわからない、時の流れがあるはずです。そのことを少しでも共有し、現在の自分にできることを再考するための訪問でもありました。被災地の現状を間近にし、被災者の現在の思いに触れた上で、どうしてもみなさんに伝えたいことが3つあります。

① 災害復旧は決して終わっていないし、まだ始まってもいない

訪れた八代市の旧坂本村や球磨村の被災地では、倒壊した家屋は撤去され、寸断されていた道路は徐々に開通、河川改修工事も進んでいました。表面的にはかなり進んだようでもあります。一方で、甚大な被害を受けたJR肥薩線は、まだそのままの状態で、水流の破壊力を思い知らされた曲がりくねった線路、跡形もなく流されてしまった瀬戸石駅も当時のまま。先日は流域の市町村でJR九州へ鉄道での復旧を要請する様子が報じらてはいたものの、復旧するかしないかすら決まってはいません。

瀬戸石駅周辺
流された鉄橋跡

また被災家屋が撤去されたとはいえ、その後の生活再建の見通しが立たない方がほとんどです。時間が経つに連れ、住み慣れた地を離れざるを得ない被災者も少なくありません。地域の再興を願う人たちにとっては、これ以上の人口減少は死活問題で、一刻の猶予も許されない状況です。「何も終わっていないし、まだ始まってもいない」―――あらためて心に刻みました。

② 水害の原因は川だけにあらず

堤防や仮設橋梁の建設、河川敷内の土砂の撤去等の復旧工事は進んでいましたが、山の中に入るとほとんどそのままの状態です。今回の水害では50人の尊い命が失われましたが、ある団体の聴き取り調査によれば、その原因は球磨川本流の氾濫以外という意見が圧倒的に多かったとのこと。山の中に入ってみると、その調査結果が十分過ぎるほど裏付けられる状況が広がっているのです。皆伐が進み、山の保水力が低下し、崩れ落ちた大量の木々や土砂が、道路や谷、小川に沿って濁流となり、途中の集落を襲っています。被災者の皆さんからは「水は川からではなく山から襲ってきた」と、何度も伺うことになりました。

水害の原因は『山にも』、というより『山に』ある、と言っても過言ではないと思っています。1年7ヶ月が過ぎても、その山では、ほんの一部で法面工事が行なわれている程度。今後の少しの雨で再び土砂崩れを起こしそうな『予備群』は全く手付かずの状態です。「何も終わっていないし、何も始まっていない」――山の中に入って、あらためて強く感じたところです。

③ 決して他人ごとではありません

少しずつ春の訪れを感じるようになってきましたが、またすぐに梅雨の季節がやってきます。球磨川流域水害のあとにも、熱海市で大規模な土砂災害が発生したように、いつどこで災害が起きるのか予測は困難です。特に山に関しては、住民の関心は低いと言わざるを得ません。このままでは、災害が発生して初めて、何が起きていたのかを知ることになります。

違法行為も含めた広大な伐採が行われていて、皆伐後に義務付けられている植林がなされていない箇所、なされていたとしても苗木のまま枯れ果てている箇所など、決して少なくないのです。災害がいつどこで発生するのかわからないことと、そんな山は何も球磨川流域に限ったことではありません。決して他人ごとではないということを肝に銘じるべきたと思いました。

今後も定期的に被災地に足を運ぶつもりです。そして、また現地から感じとったことを書いていきたいと思います。

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