マクスウェルとアインシュタインの論争

 ここで、スペシャルチャプターとして、ジェームス・C・マックスウェルとアインシュタインの論争を
Justin Manning Jacobs著 "Relativity of light" から掲載致します。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kubota-takashi/maxvsein.html

オリジナルは、https://www.academia.edu/42726277/The_Relativity_of_Light

の論争が面白かったのと、マクスウェルの自己進行波と、アインシュタインの固有時の考えは、融合すると考えます。

光速の差の相対速度

 アインシュタインは、座標と運動する物体との相対速度が最初にあって、系によって時間が変化すると同時がとれないから、光速に合わせて他が変化する光速度不変にすれば、そういうこと考えなくても辻褄は合うだろ?という光速度不変を原理に持ってきました。

 しかし一般人にとって時間認識は、そもそも絶対時間なんてニュートンが仮に置いただけだろ? それを絶対静止でなくても、座標変換すればいいだけだろ?と言われても奇妙なだけです。

 座標以前に相手との相対速度自体がわからないのに、アインシュタインの場合、エレベータの中で外を見なければ慣性力と重力の違いが判らないから等価にしちゃえとか、同時が判らなければ、光速を不変にしちゃえとか、盲目を原理にすることが多い。

 座標や運動する物体との相対速度より、相手の時間の進み方を計測するのが先ではないのか?
 それには観測者の系ではマクスウェルのいう自己進行波が等方向に光速が一定な系を造り、観測者と異なる系の時間経過、すなわち相対する物との光速の差が相対速度でいいじゃんって考えます。

±v²=w²-c²
+v:後退速度、‐v:進行速度、w:観測対象の光速、c:観測者の光速。

光速は時間と同じであり、観測対象との相対速度は、観測対象の時間から観測者の時間を引いた結果です。

画像1

 むしろ光速を不変にするんじゃなく、光速の差こそが相対時間の差で、世の中を見ようというものです。

おまけ:相対速度とは?

自分と相手が動いているとき、自分から見た相手の速度を「相対速度」といいます。
相対速度=相手の速度ー私の速度
ニュートン力学は、一方で、情報を収集し、それを絶対静止座標に適用します。
ただし、c±vにならないMM実験の結果は、絶対静止に適用できません。
ひゃまにとっての指針となる原則は、光の速度が無条件にマクスウェルの言う同じ慣性システムで同じ方向に一定であることです。

したがって、それらのどちらかが無ければ、オブジェクトとの相対速度を知ることはできません。
光の速度を不変にするのは無知な人の仕事です。
無知な人は測定を練習したことがないかもしれません。

ニュートンが絶対時間以外に言及している相対時間は、そのような情報を収集する行為です。


絶対的な・真の・数理的な時間とは、外部と一切かかわりなく、おのずとその本質に基づいて一律に流れていくものである。これをデュレーション(英: duration)という別名で呼ぶ。相対的な・見かけ上の・日常的な時間とは、運動の観察を通じて得られる、デュレーションの実用的かつ外的な物差し(正確であれ、不正確であれ)である。一般に用いられているのは真の時間ではなくこちらである。 ...

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