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エピソードゼロ 〜 SSA だったころの話

 もう15年も前の話です。湘南鎌倉総合病院で2年間の初期臨床研修を終えたあと、私はそのまま徳洲会の「湘南外科グループ(SSA)」と呼ばれる研修プログラムに参加しました。
 これは北は北海道から南は沖縄まで、日本中に点在する徳洲会病院を3~6ヶ月ごとにローテーションしながら、4年間かけて一般外科治療について経験を積むものです。ちょっと紛らわしいですが、美容の湘南グループとはまったく関連はありません。

 SSA は発足から40年近く経つ歴史のある民間医局で、輩出された卒業生たちが日本中で活躍しています。外科医育成プログラムでありながら、「メスの持てる内科医」を合言葉に、手術だけでなく診断プロセスの教育を重視しています。

 現在は少しずつ様変わりしているかもしれませんが、当時は旗艦病院である湘南鎌倉総合病院と茅ヶ崎徳洲会病院を中心に、山形県の新庄市や大阪府の松原市、奄美大島の名瀬などの病院で勤務しました。
 「君、来月から大阪に配属ね」という感じで、結構直前に次のローテーション先が発表されることがあり、卒業するまでに引越し先の手配と荷造りは慣れたものになりました。

 一緒にローテーションするメンバーが流動的で、色々なキャリアの医師と交流できました。系列病院からの生え抜きの他、大学医局を辞めて来た先生や海外留学から戻ってきた先生など様々でした。

 鎌倉や茅ヶ崎の病院では症例数が多く、夜間休日も緊急手術に追われる一方、地方の病院では比較的自由な時間が持てました。地域によって独特な院内のルールや運用があって、行く先々で新鮮な体験をさせてもらいました。
 例えば、豪雪地帯の新庄の病院では「越冬入院」という言葉があります。これは冬の間、一家の大黒柱が都会に出稼ぎに行く間、家に残される高齢者がする社会的入院のことです。新庄に勤務したのは3ヶ月だけでしたが地元スタッフは皆親切で義理堅く、15年以上経った今なお、旬の時期になると桜桃を送ってくれる看護師さんがいます。銀山温泉が最高だったので、また遊びに行きたいと毎年思いつつ、いまだに実現できていません。
 逆に沖縄や奄美の病院では「台風入院」というのがあって、これは台風が来てインフラが制限される間、高齢者が社会的入院することです。
 こうした事情は、首都圏の病院にいるだけでは知ることが出来ませんでした。

 最終学年の4年目はチーフレジデントを任されます。主に鎌倉と茅ヶ崎で研修医たちのリーダーを勤めながら、24時間オンコールの生活になります。とても忙しい1年間となりますが、その分たくさんの手術症例を経験することができます。当時1年間、まともに家に帰った記憶が数えるほどしかありませんが、やり遂げたことはその後の大きな礎となりました。

 卒業後は徳洲会系病院に残って外科スタッフになる先生と関連のない病院に行く先生が、当時は半々くらいでした。残ったスタッフドクターは各病院に配属されて、現在院長や副院長、外科部長など、重要な役割を任されています。

 「医師の働き方改革」として、今後は医師の就労時間の制限が厳しくなります。良くも悪くも、こうした研修システムは変革を迫られていくことになるでしょう。徳洲会を辞して10年以上が経ちますが、卒業生として SSA の更なる発展を祈念しております。

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