浜田省吾と「青」

「Shogo Hamada Official Fan Club Presents 100% FAN FUN FAN 2024 青の時間」の開催が発表され、いよいよ秋からこのツアーが始まろうとしています。


「青の時間」


これが、今回のFFFツアーのテーマ(の一つ)である訳ですが、小稿では、浜田省吾作品における「青の時間」、もとい「青」について、少し考えてみたいと思います(以下、敬称は略)。

浜田省吾作品の歌詞には、「青」が何度か出てきます。色の中では、恐らく一番か、二番目くらいに頻出するのではないでしょうか??(数えたことはありませんが……)

それに、歌詞には「蒼」も出てきます。また、「ブルー(Blue)」もあります。

それでは、数ある浜田省吾作品のうち、歌詞に「青」や「蒼」、「ブルー(Blue)」が登場する楽曲は、一体どれだけあるのでしょうか。

管見の限りですが、筆者が確認し得たものを、次の表にまとめてみました(但し、浜田省吾自身が歌唱していない、他者への提供曲、ならびに未収録曲は除く)。

ちなみに、この表は既にX(Twitter)にアップしたのですが、実は抜けている歌詞があったことに気付いたので、こちらが訂正版になります(笑)。それでもなお、もしかしたら漏れや間違いがあるかもしれませんが、その場合は、ご指摘いただけると幸いです。

さて、この表によると、曲のタイトルにのみ「青(ブルー)」が見え、歌詞には「青(ブルー)」が使用されていないのが、「青春の絆」「青春のヴィジョン」「ロマンスブルー」「青空のゆくえ」の4曲。

浜田省吾以外の作詞、およびそれを含む作品のうち、歌詞に「青(ブルー)」が使われているのが、「ラブ・トレイン」「サイレント ムーヴィー」「風を感じて」「左手で書いたラブレター」の4曲。

一方で本題の、「青」「蒼」「ブルー(Blue)」が使用されている、浜田省吾自らによる作詞作品は、全部で30曲。但し、「水色」や「藍色」、「ブルース」などは除外してあります。

このように表を一覧してみると、興味深い特徴や傾向が幾つか見えてきます。これらを仮に「法則」と名付けると……

《1》蒼<ブルー(Blue)<青の法則

歌詞に使用される「あお」の表記は、「青」が多数で、「蒼」は少数です。なお、「蒼」の漢字は、大変興味深いことに、70年代・愛奴時代の作品(「初夏の頃」「二人の夏」「恋の西武新宿線」)と、90年代のアルバム『誰がために鐘は鳴る』の収録曲(「MY OLD 50'S GUITAR」「詩人の鐘」)の、計5曲にしか(今のところは)見ることができません。

そもそも「蒼」という漢字は、「青」色という意味もありますが、「蒼髪」のように、灰白色、あるいは年老いたさまをも表します。しかしながら、浜田省吾作品において、後者の、特に年老いた、などといったニュアンスで「蒼」を読み取るのは難しそうです。

一体なぜ、これら5曲にだけ、「青」でなく「蒼」が使用されたのかは、よく分かりません。ただ、愛奴の作品については、後の歌詞に比べて、とりわけ詩的というか、文学的な表現が強い気がするので、一般に使われる「青」でなく「蒼」が選択されたのかもしれません。また、『誰がために鐘は鳴る』の収録曲について、「青の時間」以外の2曲ともが「蒼」の表記である点も、面白い点です。「青の時間」は、浜田省吾の全作品中、(今のところ)「青」が最も多様な形で使用されている楽曲ですが、同じアルバムにおける「蒼」表記の歌詞と並ぶことによって、「青の時間」の「青」の存在感が引き立っているようにも思えます。

ともあれ、歌詞に現れる頻度の点では、「蒼」よりも「ブルー(Blue)」、そして「青」のほうが多い、というのが、この《第1法則》です。

《2》青春の法則

浜田省吾本人が、歌詞のなかで「あお」を「青」と表記する例は、初期作品においては、ほとんど見られません。しかも、「青色」の意味で「青」が使われているのは「いつかもうすぐ」のみで(但し、「風を感じて」は共作詞なので除く)、タイトルだけに「青」が使用されているものも含め、その他は何れも「青春」です。

「青春の絆」「青春のヴィジョン」があるように、浜田省吾は「青春」をけっこう歌っているように思えますが、しかし、これら2曲の歌詞に「青春」という言葉は出てこず、歌詞に「青春」が登場するのは、(今のところ)全曲中のうち「さよならに口づけ」ただ1曲のみです。もちろん、言葉自体は出てこずとも、「青春」を題材に歌った作品はこの限りではありません。

そして、曲のタイトルにせよ、歌詞にせよ、「青春」が明記された作品は70年代のみで、その後には一切見られなくなります(今のところ)。これが《第2法則》です。その理由は、歌の主人公が成長していくことと無関係ではないでしょう。

ちなみに、「青春」とは、人生を春に例え、年の若い青年時代のことをいいますが、春の色が「青」であるのは、中国の五行思想によるものらしいです。

《3》ブルーの法則

「ブルー」および「Blue」は、「青色」を表す英語として、「Midnight Blue Train」などで、70年代から歌詞にその使用が見られます。特に、ジーンズの色を説明する場合が多く、「HELLO ROCK & ROLL CITY」「BLOOD LINE」「さよならゲーム」と、大変盛り上がる(?)曲ばかりです。

他方で、「ブルー(Blue)」には、単に「青色」だけでなく、「憂鬱」などの心情を表す意味合いもあります。音楽のジャンルである「ブルース(Blues)」も、この「ブルー(Blue)」に由来しているようなので、従って、歌詞における「ブルース(Blues)」「ぶるーす」の頻度も考慮に入れるべきかもしれませんが、「青」自体からは少し離れるので、本稿では省いて考えます。

さて、単なる色でない、心情の意味での「ブルー」の初出は、恐らく80年代の「反抗期」で、そのほか「さよならの前に」、タイトルに使用されただけの「ロマンスブルー」、また、「HELLO ROCK & ROLL CITY」は、色と気分の「ブルー」が二本立てで、いずれも同年代の楽曲です。

そして、それ以後、心情の意味で「ブルー」が使用されたのは、(今のところ)90年代の「彼女はブルー」1曲のみに過ぎません。つまり、「ブルー」な気分の「ブルー」は、80年代・90年代にしか現れない。これが《第3法則》です。なお、青色としての「ブルー」もまた、90年代を最後に姿を消しています(これまた今のところ)。

《4》青空の法則

1996年に発売された『青空の扉~THE DOOR FOR THE BLUE SKY~』は、「ラブソングばかりのアルバム」です。浜田省吾本人曰く、それまでは内省的な時期だったのに対し、『その永遠の一秒に』を作り終えた頃から、雲が少しずつ晴れるような感じになってきた、とのこと。そして、空が晴れるのを待つのではなく、むしろ、自分で太陽の下に出て行かなければならない、青空のドアを自分で探して開けなければいけない、と思うようになった、と語られています。

「青空」という言葉は、決して珍しくも難しくもない一般的な用語ですが、浜田省吾作品においては、松本隆作詞の「ラブ・トレイン」を除き、意外なことに、70年代にも80年代にも、その言葉は一切出てきません(但し、ここでは楽曲が収録された年で考えているので、例えばそれ以前に原型が発表されている「あい色の手紙」は00年代の作品と捉えます)。自作に「青空」が初めて登場するのは、まさしく『青空の扉』で、しかもその最後に収められた曲=「青空のゆくえ」なのです。しかし、歌詞自体に「青空」は現れず、まさにその「ゆくえ」。「青空のゆくえ」は、以後の作品のなかで、どのように展開していくのでしょうか。

すると、『青空の扉』に続くオリジナル・アルバム『SAVE OUR SHIP』では、何とその一曲目が、まさしくタイトル「青空」。まさに青空の扉を開け放ったかのように、いや、本当に青空のドアを開け、以降、アルバム『My First Love』『Journey of a Songwriter』など、歌詞や曲名に「青空」が著しく頻出するようになります。

また、2000年代の作品『SAVE OUR SHIP』以降は、「蒼」のほか「ブルー(Blue)」も影を潜め、最新の「この新しい朝に」まで、「青」一辺倒です。かつてと同じような表現でも、「青」の漢字ばかりが選択されています(今のところ)。

時代が20世紀から21世紀へと変化するのに伴い、それまで全く見られなかった「青空」が、歌詞に、しかも多数出現するようになる。これが《第4法則》です。

上述のように、これまで全4つの法則を見てきましたが、これらを総合すると、最後の5つ目の法則が浮かび上がります。すなわち、《5》「青春」→「ブルー」→「青空」の法則、です。

70年代を象徴した「青春」が、80年代・90年代には心情の意味での「ブルー」に変わり、その「ブルー」と「青空」とが混在したアルバム『青空の扉』を経て、00年代以降は「青空」の時代へと突入していく……。

大凡このように綺麗に整理できるのは、やはり、「浜田省吾」という一人の人間の、いや、歌の主人公の、葛藤しながらも成長していくストーリーが、一貫して描かれているからではないでしょうか。一曲一曲の物語は存在しつつも、アルバム全体を通して眺めたとき、そして、これらを順に並べてみたとき、まるで長編小説に仕立て上げられたかのように、大きな物語をそこに読み取ることができる(ゆえに「Welcome back to」シリーズのツアーも成り立つ)、というのが、浜田省吾作品の大きな魅力かな、と個人的には思うのです。

ところで、冒頭に立ち返ると、今回のFFFのテーマ(の一つ)は、「青」ではなく、「青の時間」でした。

あくまで「青」に拘るならば、これまで述べてきたように、必然的に、90年代、あるいは00年代以降の楽曲が中心となるので、ちょうど80年代前半で止まってしまった「Welcome back to」シリーズの欠を埋める点でも、まさに適したテーマといえるでしょうか。

しかしながら、今回のテーマは、やはり「青」そのものではありません。あくまで「青の時間」という言葉、そして「ソングライターの旅」の途上、を想起させる楽曲、とのことです。

といっても、「青の時間」を想起させる曲って、一体何なのだろうか??

来るべき日を迎えるまで、今しばらく、浜田省吾の歌の世界に浸って、あれこれ想像をめぐらせたいと思います。

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