2024.07.02

人間の根源的な欲求は孤独からの脱却だと思っている。ひとりでいつづけることはどうしても辛く、その辛さを気にしなくても済むほどの大きな幸福を得続けることができなければ、ひとはどこかで壊れてしまう。ひとりでいることの辛さはオノレの価値がわからなくなること。承認欲求という言葉がインターネットでは悪口として使われがちではあるが、ひとからの承認を求めるのは人間の正しい姿だと思うし、この言葉を使ってひとに悪意を向けているひとを見ると嫌な気持ちになる。

私が完全に孤独だったかと言えば、別にそうではない。地元にはひとり友達がいるしインターネットにはたくさんの友達がいる。それでもほのかな孤独感は拭えなかった。友達ではあるが、友達でしかなかった。捨てようとしていた孤独感はいつだって私の内部に存在し、暇さえあれば顔を見せてきた。ひとりでいても友達といても恋人といても捨てることのできなかった孤独感がある意味いちばんの友達のように思えていた。

趣味でDJをはじめてから1年で新たな友達が多くできた。みんな優しくて素敵であったけぇ。私のことを気にかけてくれる先輩もいてありがたい限りだと思う。
今年の5月。お誘いを受けて2つのパーティーのレギュラーになった。ひとつは新進気鋭の声優楽曲パーティーでひとつは歴史ある国産音楽のパーティー。大切にしてぇと思っている。レギュラーになって友達や先輩が仲間になって、ひとつの方向を目指して頑張ろうと歩きだした時に、自分のいちばんの友達であった孤独感が消えていたことに気づいた。みんなで成し遂げようと頑張ること、これが孤独の対極の行為であることにいちばんの友達を失うまで気付かなかった。

私は満たされている。くだらない話を聞いてくれる人もいるし、くだらない話をしてくれる人だっている。冗談で悪口を言って許してくれる人も、冗談で悪口を言ってくれる人だっている。趣味も充実しているし、仕事は楽しくはないけど前職と違って後ろめたさがないぶんストレスはない。

私はいままで満たされていなかった。満たされていないからこそ、そこを補うために頑張るぞ!と生きてきたんだと思う。孤独からの脱却や趣味の充実や異性からの承認など。異性からの承認は諦めたので昔と変わらないが、孤独は私の内部からは消えたし、趣味の充実はレギュラーに参加という形で満たされた。欲しいものが手に入ったら新たな欲しいものが自然と出てくるのかなと思っていたが、そのような思惑は見事に外れ欲しいものがなくなってしまった。大げさな例えではあるが、ワンピースを手に入れたルフィはその先も何かを目指せるのだろうかなんて考えてしまう。満たされていないのが苦しくて辛かったのに満たされた途端、むなしくなってしまうのはあまりにも悲しいことだと思う。

最近、告知以外でTwitterを見るのをやめてしまった。私もインターネットに悪意を撒いていたのでこんなことを言うのもアレな気がするが、ふと目に入る悪意の数々があまりにも辛くてやめてしまった。蓮からも距離を置いてる。元々、蓮ノ空のこと好き好きクラブと胸を張って言えるほどコンテンツにのめりこんでいるわけでもなかったので、大きなダメージを感じているわけでもないが、プラスだと感じていたものに対してマイナスの評価をくだす心苦しさはある。アニメも見ていないし声優のラジオも聞いていない。漫画は辛うじて読んでいる。出演のために音楽を聞いて音源を整理して準備をしているだけ。それ以外、何もしていない気がする。

でも最近気づいたこともある。自分が満たされた先にあるのは他者への奉仕なのではないかということ。ようやく、一緒にいるための契約をしたり“推し”と言われる存在を作ったり愛玩動物を手中に入れる意味がわかった。自分のために頑張りきった人がその先にある虚しさや絶望を紛らわすための奉仕の対象が人生には必要なのだ。それに気づいた時、本当に自分には何もないことが改めてわかった。誰かに好意を寄せていただくほどの魅力があるわけでもないし、贔屓にしていたコンテンツを手放してしまった私は本当に無である。

端的に言えば人生が詰んだ感覚でもあるしアガった感覚でもある。この先も生きていけば何かはあるのかなと信じていくしかないんだろうなと思うが、信じた先に何もなかった時がいちばん怖い。ラフテルに辿り着いてしまった者よりもラフテルに辿り着けぬまま息絶えた人。夢が叶ったものよりも、夢を見たまま終わったひとの方が幸福なのではないかと思ってしまっている。最近本当にどうして良いのかわからなくなっている。

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