最終相対的に判断するしかなくなる?
おはようございます。
『1級建築士 兼 絵本作家』になるために勉強中です。
渕上颯太です。
今日は「最終相対的に判断するしかなくなる?」というテーマで書いてみます。
毎朝5:00ランニングするのはいいけど、雨降った時何しようかいつも迷う。寝起き力入らへんから筋トレが出来ない。
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今日は大学のゼミの授業で、5つの大学から生徒が集まって発表会をするみたいなイベントに行ってきました。
内容は「身近な人の過去に住んでいた住宅をインタビューして、それを図面に起こしたり私生活での悩みや出来事を聞き出して、色んな人の住居に対する価値観(住居観)に触れよう」みたいなものでした。
過去に住んでいた住宅に対する経験を、『住経験』と呼んでいて、十経験レポートを作成してプレゼンすることが僕のゼミの後期授業内容になっています。
今日の率直な感想は、すごく色んな価値観を面白かった。全部で20人くらいの人が発表してくれたんですが、すごく背景がバラバラだったんです。職業が農業をして大自然に囲まれて育ってきた家庭の人や、テレビが欲し過ぎて家にテレビが3つある家庭の人が居て、「え?それどうゆうこと?」みたいな突っ込みどころが満載な回でした。
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そして今日一番面白かった発表は、すごく不便な家に住んでいる人が居た話でした。
住居が草ボーボーだったり、家の鍵が閉まらなくて南京錠をする人もいるようなアパートに住んでいたり、極狭の家に住んでいたり、僕からするとかなり劣悪な環境で生活してきた人がいて驚きました。
その人曰く、最初に住んでいた家の環境が悪すぎたので、「あの家よりはマシだなという感覚でほとんどが良く見える」みたいな話がありました。
この感覚はすんごいな、と思ったと同時に、僕も昔似たようなことを考えたことがあったなぁと思いました。
大学に入ってからすぐくらいの頃に、中々バイトや学校が忙しい毎日やらなんやらで、ふと急に「これって、どういう人生が楽しいんだ?」と思ったことがあります。
そして、その時に僕が出した幸せの答えは「人は相対的にしか幸せを測ることが出来ない」ということ。
お金を持っていたらやりたいことがほとんど出来るので、お金持ちになったら幸せだ、と最初は安直に考えたのですが、どれだけお金持ちの人でも幸せそうに見えない人もいるらしいぞと言うことを耳にしたんです。
幸せはお金じゃないのか。と気が付いた後は、「じゃあやりたいことを全部やった後のお金持ちがどんな行動に出るのか?」について調べてみようとなって、それが『旅に出る』だったんです。
旅先で最悪の環境を感じて日本に変えてきて安心することで、わざと過酷な環境を味わって自分の感情を動かす選択肢を取っていた。
相対的に判断することで、自分の価値観の幅が広がるのか?と思った。
以上です。
今日の文章はあんまり論理的でも
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