深夜

この間兄弟の紅葉(兄弟という名前のお笑いコンビの紅葉という名前の人)と話してるときにそういう話になったんですが、いわゆる「深夜のテンション」みたいな言い方って、あるある的に認識されてはいるけど、言葉自体が陳腐化して言う人はあまりいなくなった気がします。YouTubeでは最近でも【深夜ノリ】と題された動画が投稿されていますが、YouTube自体陳腐さに挑戦するジャンルなので…お笑いとしてはやはり死語に近いのかなと自分は思います。





深夜に考えたお笑いには特有のノリが込められていて、寝て起きて見直したら恥ずかしいレベルでつまらない、というあるある。自分の記憶では、ナインティナインのオールナイトニッポンで岡村さんが複数回言っていたのが強く印象に残っていますが、それ以外にもある時期は頻繁にお笑いのメディアで広く言及されていたと思います。でもここ数年はあまり聞きません。

もちろん「あるある」なので、同じことをずっと言い続けていたらつまらなく感じる時が来ます。しかし不思議なのは、深夜に考えたお笑いが普通に面白いことです。そもそも当てはまっていません。


自分もお笑いをやっていて、ネタを深夜に考えることもよくあります。と言うより主に深夜に考えています。出来不出来はそれぞれありますが、翌日以降に改めてそのネタを確認して、恥ずかしくなるということはありません。深夜にそれを作ったときと同じ感覚で向き合えます。


検索したところこの「あるある」には根拠があるらしく、脳がとか神経がとか、要約すると夜中はバカになるというようなことが書いてました。お笑いを作っていなくても、ネットで不要なものを買ってしまったりとかするみたいですが、お笑い芸人ではない人であっても、面白いことをしようとして外している、というエピソードが多いです。深夜に作った音楽はダメだとか、深夜に描いたイラストは恥ずかしいとかはあまり聞きません。


人(日本人?)は、面白いと思ったものがつまんない、と評価されたり自覚したりすることのショックが特に大きいのでしょうか?だから「深夜のノリ」の失敗談がお笑いに挑んで敗北した話として語られることが多いのか…お笑いを「つまんない」と評価することに、芸人だけでなくふつうのお笑いファンまで極端な反応をすることとも関係ある気がします。極端な、というのは例えば「つまんなすぎて帰りの新幹線で泣いた」ことに対する反応は、どの方面にしろ極端なものが多かった気がします。


実際、面白いと思ったことをしている人に対する「つまんない」には、人間性の根本的な否定のようなニュアンスがついてきます。実際そんなことないはずなんですが、一度面白いと思ってつまんないことをしてしまった人は、今後一生面白いことができない、という漫画的な認識。

漫画的なって言われても意味わかんないと思いますけど、野球漫画で一回打たれたピッチャーは次同じバッターと対戦するまでに新しい魔球を用意しないと永遠に打たれ続ける、という全然違うけど漫画ではなぜか通ってしまう理屈があるじゃないですか?それを「つまんない」のコメントが含んでしまっているということです。

「死ね」などと同じくらい他者に向けてはいけない言葉として「つまんない」があり、その感覚がお笑いを評論すること自体への否定までつながっていると思います。お笑いの批評であんまりいいのを見たことがない、というのはわかるんですが、お笑いは批評を受けるべきものではないくらいまで言う人がいて、それは「つまんない」への恐怖なのかなと思います。単純に評価される方に免疫がなさすぎるというのもありますが。


誰かに言われるのも嫌だけど、自分で自分がしたことのつまんなさに気づいてしまうのも大変なショックです。その分誰かがつまんなかった話は他人にとっては楽しい。だから「深夜ノリ」はお笑いあるあるになる、と思ったんですが、もう古すぎて言う人いないし、さっき言ったように深夜に作ったお笑いも面白いです。そもそも人間の普遍的な性質の話のはずなのに、流行りすたりで聞かなくなるのもおかしい。


①深夜だからつまんないのではなく、そいつがつまんない奴だからつまんない
②深夜だからつまんなくなることは、面白いことをする経験を積むことで克服できる
③朝寝て夕方起きるみたいなめちゃくちゃな生活をしている人は、深夜に「深夜ノリ」が訪れない
④そもそも「深夜ノリ」なんてない
⑤「深夜ノリ」は昼でもふつうに面白い


この間誘われたライブで、告知のフライヤー見たら漫才ライブって書いてたんで(漫才で、とは指定されておらず、主催者としては我々が何をやっても別によかったんだと思います)、なんとなく当日考えた漫才をやってみたんですが、僕がラップをやるネタですごく深夜に考えたっぽい感じになりました。ただそれをやろうと思いついたのがその日の昼で、夕方やっぱ恥ずかしいからやめようと思って、夜せっかくだしやるかと思ってやったので、一度も深夜を経由せずに人前でやるところまで漕ぎつけてます。それが面白かったかどうかは置いておいても、しらすがやってるライブは全部深夜みたいな感じっぽい(俺は呼ばれないから明言できない)(俺がいたら深夜じゃなくなるから呼ばないのかも)し、けっこうそういうノリが今のお笑いのトレンドなのかもしれません。それなら「深夜に作ったお笑いはつまらない」も無効になるので、誰も言わなくなった理由も理解できます(ただ自分の個人的な実感としては②と③です)。コムドットも堤下店長も、実は普通に面白いことをやっているということです。


ナインティナイン岡村さんが「深夜のお笑いは日中通用しない」あるあるを深夜ラジオで言っていたことも実は「このラジオが面白いのは今だけだから!今を俺たちと楽しもうぜ!」という生放送に対する熱いメッセージが隠れていたのかもしれません。今は深夜ラジオをリアルタイムで聞く必要はなく、ネットでいつでも好きな時間に聞けるので、伝統的に芸人がやってる時間帯という以上の意味はないのかもしれませんが、当時は確かに共犯的な感覚も含んだ深夜のノリがあったと僕も思います。だからコロナが終わったらいい女が風俗に来るとか言って恥かいたのかもしれないですね!

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