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秘事 - 夫婦剣再生譚 後日談

【秘め事】
秘密にして人に隠しておく事柄。隠し事。ないしょごと。
(集英社 国語辞典)
(1)秘めて人に知らせない事柄。ないしょごと。秘事。
(2)神秘的な事柄。
(広辞苑 第七版)
他人に知られずに行う行為。姫ごと。
(???)


 ギシッ、ギシッ。ギシッ、ギシッ。
ヘッドボードに枕を置きそれに凭れて足投げだして座っている織田作之助は木製のベッドがたてる音を楽しんでいる。己の上に跨り腰を揺らす女のたてる音を。己の作品から己の魂を呼び出しこの世界に繋ぎ止める摩訶不思議な力を持つ愛おしい織田司書を呼ばれる女。
 転生直後は可愛らしいけれど人形のようだという印象しか織田は持ってなかった。もうちょっとわろたら愛嬌あんねんけどな。
 それがこの頃では、愛おしさで誰の目にも触れさせたくない。常に傍らで寄り添いたい。一組の転生文豪と司書には、居住区に2LDKの居室-共用のリビングダイニングと簡易なキッチンスペース、バストイレ付きの各々の寝室-を与えられている。織田は己と彼女がそれぞれの寝室に分かれて眠ることに我慢ができなくなってきていた。なんやかやと理由をつけて、彼女のベッドに潜り込むか、彼女を己の寝室に引きずり込むかしている。
 今夜も、先に仕事を終えた彼女がリビングのソファで寝落ちをしているのをいい事に己のベッドに攫ってきた。リビングで下着姿までひん剥かれた彼女は織田のベッドに放り込まれてようやく目を覚ました。
 
――先生・・・
――あかんよ。あんなとこで寝て。風邪引くやん
――この方が風邪をひきます
――そやから、蒲団掛けて、温めたろ、な
 
 諾とも否とも言わせず唇を重ね、舌を滑り込ませる。いきなりの深い口吻に狼狽する彼女を抱き寄せて己の腕の中に納めると、唇を離し彼女の顔を覗き込んだ。
 
――先生、待って
――嫌や。離さへんよ
 
 漆の黒より深い黒、と詩人たちに噂される瞳を伏せて、彼女は小さく抗議する。このコはまた、と織田は心の中でため息をつく。煽られているわけではない、と思ってはいる。アルケミストの能力を見出されると同時に、それまでの人間関係も自分の記憶も何もかも取り上げられ、その能力のみを発揮する人形に変えられた彼女に、恋に現を抜かすといった自由は与えられるはずもない。男と同じ部屋で生活することが何を意味しているのかも理解はしていなかった彼女に、色事の駆け引きになど出来るはずがない。
 何より、冗談めかしたの初寝の床で彼女が泣き出したのを織田は憶えている。それまでの額や頬への軽い口付けや任務の完遂を祝いあうハイタッチなどではなく、奪い取るような接吻と動きを封じられる抱擁に混乱し、予期せぬできごとに身を固くして人形めいた顔に恐怖を映す。そんな彼女を見た織田は初寝で花を散らすことを諦めた。そのかわりに夜毎同衾し、ひとつずつ、少しずつ、ゆっくりと男というものを教えていった。織田との同衾が"司書としての務め"から”恋する者の勤め”に変わるころ、あの悲劇が起きたのだが……
 ちょっとは馴れてもええのに、まぁ、そやからこそ、っというのもありやねんけど。
 
 頤に右手の中指をかけ、上向かせると、羞恥と狼狽が入り混じった表情が怒っているように見える。織田が唇と寄せると、瞳を閉じた。再び唇を重ね舌先でつつくと応えるように唇を開く。織田の舌が遠慮なしに、彼女の舌を探る。先ほどよりも深い口吻に息を乱し逃げようとする彼女を押し倒し、そのままのしかかる。
 口吻は上手になった。自分からしてくれへんのは残念やけど。最初の口吻から比べたら、彼女の唇はずいぶんと柔らかくなり、紅に染まるようになった。己のために身を飾る彼女を褒めちぎった。誰にも聞かれぬように、今みたいなところで。織田の舌が彼女の口腔を隅々まで蹂躙し、引きこもりがちな彼女の舌に絡まり、彼女の息を更に乱した。交じり合った唾液を舌先に掬い取って彼女の唇に塗りこめる。それを吸い取るように唇を重ねると彼女の体温が上がっているのを感じた。身体を起し満足げに彼女を眺めると、織田は見せつけるように衣服を脱いでいった。


 
  ギシッ、ギシッという音が間遠くなる。織田の瞳の色が移ったか、というほど彼女の身体が朱に染まっている。漆の黒の瞳が空に何かを探す。心持ち開いた唇の間からため息を漏らす。
 
――どうしたん
――せんせ・・・い。もう・・・
 
 見つめる織田の朱と彼女の漆が交わると、懇願するように呟いた。漆に露が降り、彼女の声は喉に絡みつく。
 
――聴こえへんよ
 
 彼女が呼吸を整えてもう一度同じことを呟いた。織田は両腕を伸ばし彼女の身体を抱き寄せ、耳元で囁いた。
 
――なんや。その言い方。他人行儀やな
 
 彼女の漆が織田を見上げ、意図を窺う。漆に露が降りているのは、彼女が悦楽を感じている証拠。これまでの秘め事で織田はそれを見抜いていた。もう一つ、彼女の声が喉に絡みつくのは、悦楽を受け止めきれずにいること。
今日はいきなり上に乗せた。頃合いか。ちゃんと言えたら、ゆるしたろ。
意図を込めてた織田の朱は彼女の返事を待つ。
 
――織田、さん。もう・・・はずかしい
 
 漆の露が結びつき、零れそうになっているのを唇で吸い取る。
 
――恥ずかしいことしてるのに、それはないやろ
 
 わざと突き放すように言うと、もう一度織田の朱と司書の漆が交わった。漆の露は織田の唇を待たずに零れた。流れた露を織田は舌先で掬い取る。頬を掠める舌先の感覚が彼女に別の悦楽を与える。彼女の声はほとんど喉に絡みついて聞こえない。織田は彼女の口元に耳を寄せて聴いた。
 
――もう、だめ。作之助、さん。はずかしい・・・どうにかなって・・・へんになって・・・
 
 彼女はふぅと息を吐き、織田に身体を預けた。彼女の漆が俯く。
 
――嫌われちゃう・・・嫌われ、たく、ない
 
 最後は独り言になってしまった彼女の言葉を受けて、織田は彼女の耳元へ宥めるように返した。
 
――なんで。こんなんで嫌いになんかならへんよ。アンタをへんにさせてんの、ワシやし。
 
 織田は引き寄せた彼女の身体を抱きしめる。ふるりと身体を震わした彼女と繋がったまま身体の上下を入れ替えた。解いた髪に項が見え隠れする。
初寝の夜、花を散らした夜、闇に落ちた夜、光に包まれた宵……ちょっとずつここまできた、それやったら。彼女を組み敷く形になってから嬉しさを噛み殺しながら宣言した。
 
――これから、もっともっとへんにさせたろ
 
 その言葉に彼女の今まで何も起こらなかったところが反応した。
それが織田の牡にスイッチを入れた。まだまだ教えたらなアカンことようけあったわ。
 
 
 
 悦楽で朦朧となる。こんなことは久しぶりだった。はるか昔。転生するずっと前。陶酔とも呼べる朦朧が去ったら嫉妬の沼が待っていたが、今もその時となにひとつ変わらなかった。織田の隣で眠っている彼女。その寝顔、その姿態、誰にも見せたくない。いや、昼間、司書として働く間の姿も。
ああ、こんなん、なんも成長してへんなぁ、ワシ。仰向けになって天井を見つめてさらに思う。彼女は織田の手で女として成長していく。色んな意味で、いや色事の上で。この先に何があるか、それを考えるのが怖かった。
生前女との別れ際の良さを友に誇ったものだったが、恋女房の時のごとくこれから彼女の前に現れるであろう男たちが怖い。
 
――ずるいです
 
 えっ、と思い、織田は隣を見た。知らず知らず心のうちを言葉に出していたのか。寝返りを打ってこっちを向いた彼女の漆の黒がじっと織田を見つめている。吸い込まれるような黒に織田は声を出し損ねた。
 
――ずるいです。お、いえ作之助さんは。ご自分の名前ばっかり
――え、なんやのん
――私は自分の名前が分からないから、呼んで欲しくても呼んでもらえないのに
――え、えっと
 
 彼女が腹ばいになって織田ににじり寄った。
 
――私の記憶が戻ったら、私が名前を思い出したら、私の名前を呼んでくれますか
 
 漆の黒が織田を吸い寄せる。そういえばそんな話があった。司書達が本来の力を発揮できなかったのは記憶を無くしてしまったことに由来する。この事実が判明してから、改革案の一項目であったことが最優先事項になった。
 
――名前なんて、みんなから呼ばれるやろ
――教えたらそうなりますけど…………。 教えなかったら今と同じで私は「織田司書」です。私はそのほうが嬉しいし・・・
 
 織田は一瞬、硬直した。ほんの一瞬だけ。いや、確かめよ。
 
――え、なに。聴こえんかったわ。もっかい言うて
 
 彼女は怪訝そうに首をかしげる。漆の黒が織田をさらに吸い寄せる。
 
――みんなからは「織田司書」でいいんです。私の名前は私と作之助さんの秘め事で・・・
 
 織田は乱暴に彼女を引き寄せて、彼女の口をふさいだ、己の唇で。
アカン、そんなん言われたらワシがへんになる・・・

<了>
 
 
 

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