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夏越

「司書は、なぜ旧都から戻られたのでしょうか」
 そろそろ梅雨が明けようかという6月も終わり近くのある日、特務司書は自らの部下である特務司書候補の一人にこう問いかけられた。
 話が見えない。
 特務司書もそうだが、アルケミストという人種は部外者との交流を持たない。幼少期にアルケミストとしての才を見出され、それを磨くことのみ期待されて成長してきたせいでもあるし、周りは能力の優劣があるものの自分と同じアルケミスト達で生涯その環境は変わらない。となると、会話の内容は限られ、コミュニケーション能力の育成はおざなりになる。特務司書は小首を傾げ、特務司書候補の言葉を待った。特務司書候補はもう一人の特務司書候補と顔を見合わせ続けた。
「司書が旧都へ出張に行かれている間、転生文豪の先生方が、賭けをされてました」
「司書と井伏先生が戻ってくるか、そのまま駆落ちするか」
 うぐっ、と特務司書は息を詰まらせた。
 アルケミストは言葉を飾らない。事実のみを伝える。特務司書候補の二人が言うことは事実であろう。
 しかし、駆落ち……。
 特務司書は心を奮い立たせながら賭けの内容を二人から聴取することに決めた。

 夕食後の帝國図書館の談話室。
 深夜磯釣りに出かけることを誰かに伝えてようと、井伏鱒二は談話室に顔を出した。食堂の夕食提供時間は終わったばかりだというのに、既に何人かが酔っぱらっていた。そんな中に梶井基次郎がいた。いつも一緒の三好達治がいない。井伏の師匠の佐藤春夫と谷崎潤一郎が同席している。酔っぱらった梶井がボトルを持って佐藤と谷崎の前のグラスになみなみとウイスキーを注いでした。
「やあ、ますじ。一杯吞んでいくかい」
 祝い酒だ、と梶井はご機嫌で井伏に声を掛けた。空いているグラスにまたなみなみとウイスキーを注ぎ、井伏に差し出した。師の顔が歪み、谷崎は何かを期待するように顔色を輝かせた。
「祝い酒って、なんだ。カジ」
 井伏は佐藤と谷崎に軽く会釈すると梶井の差し出したクラスと受け取り、空いている椅子に腰かけた。金髪が左右に揺れる。
「ふふふ、賭けにね、勝ったんだよ」
 テーブルに頬杖をつき、とろんとした目で井伏を見上げる。
「佐藤さんのおかげで旧都行きを君に取られたからね。悔しくってさ。君と司書さんが戻ってくるか、駆落ちするか。さあどっちだって皆に聞きまわってさ……」
 井伏が口に含んだウイスキーに噎せる。駆落ちってなんだ……。ウイスキーの酔いではなく別のほてりが井伏の身体を駆け上がった。
「一週間二人だけで仕事して恋に落ちるか。司書さんは前々からますじのことは憎からず思っているようだし。ますじがそういうことになっても面白いし」
 井伏は同席する師と師の親友をちらりと見た。
「……梶井が皆を焚きつけてな」
 申し訳なさそうに師が言った。
「案外、駆落ち派が多かったですよ」
 師の親友は嬉しそうに報告する。
「"戻ってくる"に賭けたのがこの三人だったのさ」
 それで大勝ちだよう、というと梶井はソファに沈み込んだ。眠気に捕まったらしい。梶井にしてはマシな酔っぱらい方だが。井伏はもう一度ちらりと佐藤を見た。はぁ、と息を吐き佐藤は話し始めた。上機嫌の親友の合いの手に励まされた師の細々とした言い訳を井伏は聞く羽目になった。

 帝國図書館の裏山。町の背ともいえる山並みの一峰に源流を持つ川が淵を作っている。そこで井伏鱒二は釣り糸を垂れていた。町に流れ込む渓流の奥の奥、釣り仲間の幸田露伴にも教えていない穴場-逃げ込み先-で、一昨晩梶井と佐藤から聞いた話を反芻していた。
 梶井が賭けを言いだしたのは旧都へ行けなかった腹いせ、賭けの内容は思い付き、で解決した。問題はその賭けに"乗った"文豪たちである。梶井の思い付きに乗ったのか、井伏と特務司書の関係を知っていて乗ったのか。それを確認出来ない。そんなことを言いだせば特務司書と恋愛関係にあることを公言するようなものだ。賭けには特務司書候補の二人も参加したという。特務司書の耳に入るのは時間の問題だろう。彼女がどう思うか。井伏はあの二日間を思い出した。

 夜着に包まれた胸が小さくゆっくりと上下する。井伏は彼女が眠っていることを確かめた。
 ちょっとだけ、と言い聞かせたが、それでは終わらなかった。彼女が井伏の牡を飲み込み、きゅうと締め付けるのを感じると、自制が消えてなくなった。今までの交接では漏らさなかった彼女の嬌声を聞き、絶頂を伝える言葉を何度も吐かせ、過ぎた悦楽への恐怖を呟かせた。享楽の果てに彼女が意識を飛ばすと、井伏も彼女の身深くに精を放った。光の川を作っていた蛍がいつの間にかいなくなり、客室からのぼんやりとした明かりが二人を照らす。夢現の彼女を抱え上げ身体を拭いて夜着を着せベッドに寝かせた。満足げな女の貌がやわらかな寝顔に落ち着くのと見届けると、露天風呂とは別に設えられた浴室に入り井伏はシャワーを浴びた。
 やりすぎた。己の欲深さに井伏は呻いた。普段は見ることがない彼女をみたいが為に、相当な無理を強いた。旧都館の館長のお膳立てを都合よく解釈して乗っかった。このまま、と彼女を抱き上げた際に萌した昏い欲望が頭を擡げる。有魂書の中に……。いや、駄目だ。その思いを振り払うように首を振り、シャワーを止めて浴室を出た。身体を拭き夜着に身を包み、彼女の眠るベッドに腰を下ろす。ゆっくりとした呼吸は変わらないが、夢を見てるのか眉間に小さく皺が寄り呟くように唇が動く。
 ふわと彼女の右手が持ち上がり、探し物を求めるように右へ左へをゆらゆらと踊る。眉間の皺が深くなった。井伏は宥めるように右手を取り両手で包み込んだ。
「嫌っ」
 短い叫びの後、唐突に彼女は目を覚まし、がばりと起き上がった。虚空の一点を見つめる瞳から、ぽたぽたと涙が流れた。呆けた顔が巡ると開いた瞳孔が井伏を捉えた。心持開いた唇がわななく。何かを話そうとして声が出せないでいる。井伏は彼女の右手を引いて抱き寄せた。
「どうした。嫌な夢でも見たか」
 赤子にするように、背をとんとんと叩き顔色を見る。驚愕をはめ込んだ瞳は井伏を映すが井伏を見ていない。泪が頬を伝い顎から滴り落ちる。嗚、烏と低い押しつぶした音が彼女の喉から洩れる。それが嗚々、嗚々という呻き声に変わるころにようやく彼女は井伏を見た。
「ますじ、さん……」
 井伏の両手を振り払うと、彼女の右手は井伏の顔に触れる。頬から鼻筋、輪郭を確かめるように辿る。その間も泪は頬を伝い、夜着の袷を濡らす。
「俺はここにいるぞ」
 動き回る彼女の右手を取ると、井伏は左の頬にあて、掌に口づけた。抱き寄せた身体が細かく震える。彼女の肩を柔らかく押し、ベッドに横たえると添い寝をする。暖めるように抱き寄せると、彼女が縋りついてきた。
ますじさん、と井伏を呼ぶ呟きを何度も繰り返し、彼女は眠りに落ちた。


 翌朝の彼女にはとりたてておかしいことはなかった。露天風呂での嬌態を覚えているのか、首筋まで朱に染めた姿は井伏には可愛らしいものだった。
朝餉の後、昼をどう過ごすか思案する段になって、昨日離れまで案内した仲居が単衣の着物を勧めてきた。特務司書はその申し出に躊躇したが、旧都館の宿舎に置いて来た荷物はまだ届いていない。井伏は仲居の申し出を快く受けることにした。着付けは、といいかけた特務司書を仲居は部屋の外へ連れ去る。どうやら離れの入り口に控えの間があるらしい。仲居がてきぱきと特務司書に指示する声とそれにはい、はい、と生真面目に対応する特務司書の声が聞こえてくる。井伏は衣装盆の衣を手に取った。銀鼠の絽の単衣と灰褐色の長襦袢。長襦袢は流水紋のが織り込まれ裾に緋鯉が二匹泳ぐ。黒に近い茶色の帯には柑子色で幾何学模様の刺繍が入る。遊びが過ぎるような取り合わせだが、悪くないと井伏は思った。
 井伏がそれらを着終える頃、お仕度、出来ましたと仲居が彼女を連れてきた。振り返ってみた彼女は蛍に囲まれていた。真夜中を思わす群青に蛍が群れる。群は裾を周り腰から柑子の帯の橋を渡り肩山へ上る。柑子の帯には濃茶で井伏と同じ幾何学模様の刺繍が入っていた。一瞬、目の前の彼女と昨夜の彼女が二重写しになる。くらりと揺らぎかけた身体に力を入れ、改めて彼女の拵えを見た。髪を結い、着衣に合うよう薄く化粧を施された彼女は平素は見かけぬ姿だった。ふつと優越感が井伏の心を占めた。連れ廻してみたい。できれば帝國図書館の、と広がりかけた思いを急いで手繰り寄せる。
 夏越の祓の準備が隣の神社で進んでいる、と仲居が話し出した。観光客が見に来るような神事は今月末だが祓いの所作は可能であると仲居は言った。昨夜の今で彼女に無理をさせるのは忍びなかったが、彼女の方が興味を示した。夏越の祓のことを仲居は彼女に丁寧に説明した。年明けからの半年の罪穢れを祓い清める。罪穢れと聞いた彼女の表情が憂いを帯びた。仲居が籠つきの巾着袋を用意すると、彼女は財布や手巾やらをそれに納めた。いってらっしゃいませ、と仲居が二人を送り出す。彼女に日傘を手渡すのを忘れなかった。
 二人が神社の散策から戻ると、宿に荷物が届いていた。着替えようとする彼女を井伏が止めた。
「その姿をもう少し見せていて欲しいな」
 わかりました、と彼女はうなずき、それならば、有魂書の補修をしますと言った。一緒に居れば補修は必要ないだろう、と井伏は言いかけたが、彼女の顔は特務司書のそれに変わっていた。旧都館での補修業務は旧都館の特務司書候補のどちらかが担っていた。帝國図書館の特務司書として自らが転生させてた文豪を補修する。本来の特務司書の役割だが……。
 補修の途中から、特務司書は井伏の有魂書を見つめて考え込んでいた。己の有魂書の上に置かれた彼女の右手を井伏は自分の右手でやわらかく包み込んだ。頬に口づけて囁く。
「大丈夫、俺はここにいるさ」
 彼女は縋りつくように井伏の腕の中に倒れこんだ。
「鱒二さん、わたし……」
 彼女の瞳が獣じみた熱を帯びていた。略奪と付与、被虐と加虐、偕老と離別、あらゆる真逆が潜んでいた。何より井伏を求めている。視線が彼女の熱を井伏に伝え、井伏はそれに染まった。

 梅雨の合間の太陽が長い夕刻を迎えあたりが暗くなりはじめる頃、井伏は帝國図書館へ戻った。賭けや特務司書やへと心のあれこれを追いかけた結果、本日の釣果はゼロに近かった。せっかく釣り上げたものも、持って帰ることを憚り、全て放流した。運よく誰にも会わずに自室にたどり着き、釣り道具を置いて食堂へと顔を出す。食堂の一角、談話室との間仕切りが敷かれているあたりに文豪達が集まっていた。集まりの中心には特務司書がいた。
「あら、鱒二さん」
 谷崎が意味ありげな瞳で声を掛けてきた。それを聞いた文豪たちが一斉に井伏を振り返った。谷崎が続けた。
「司書さん、旧都館へ転勤になるそうです」
 特務司書が後を引き継いでいった。
「旧都館の侵蝕現象対策チームを任されることになりました。交代で旧都館の特務司書候補がひとりこちらに赴任します」
 特務司書は転生文豪達に伝えたことを繰り返した。
 アルケミストは言葉を飾らない。事実のみを伝える。一呼吸置いて井伏は言った。
「そうか……。急なことだな」
 転生文豪達に驚きが広がった。
「明日、交代の特務司書候補がこちらに到着します。到着次第、司書業務に入っていただきますので、皆さんよろしくお願いします」
 それだけを言うと特務司書は食堂を出て言った。

 月末。夏の夕日の残滓が空を朱く染める頃、井伏は件の淵から帝國図書館へ戻ってきた。今日特務司書が帝國図書館を離れる。転生文豪達と旅立ちを見送った後、釣り道具を抱えて帝國図書館を逃げ出した。
 特務司書の転勤の話が知らされた日から、生前井伏と交流のあった幾人かが、物言いたげに見つめてくる。彼らが何を言いたいかということを井伏は感づいていた。彼らは他人のいるところで声を掛けてくることはなかったし、そんな隙を井伏は作らなかった。別れの日までの短い間にも逢瀬はあった。何も話さず彼女は井伏の腕の中で眠るだけだった。
 文豪達の宿舎の裏庭まで戻った時、人影を見つけた。建物から洩れる灯が映し出したのは谷崎だった。土弄りの好きなものたちが花や野菜を育てている。花や野菜だけでなく小さな池もこしらえて水草を植え鯉を飼っていた。山道までの敷石に蹲って、谷崎は池の面を眺めている。井伏が山道を下りきるとついと立ち上がった。
「谷崎さん……」
 暮れ行く景色を背景に谷崎は井伏に向き直る。ちょうど通せんぼするようなかたちで。
「お帰りなさい、鱒二さん。今日も手ぶらですか」
 揶揄するでもなく問い詰めるでもなく、谷崎が問いかける。師の親友である大文豪は癖の強い人物だ。それだけ扱いずらい。自分の何に用があるのか、井伏は谷崎の意を測りかねた。
「暑くて魚も上がってきませんや」
 ありきたりの返答を井伏は返した。女と見紛う拵えの谷崎が婉然とその答えを受けた。井伏は身構えた。
「ふふ、逢魔が時に取って喰おうというのではありませんよ
 右掌を返して井伏を呼ぶ。
「ひとつお聞きしたいのです。鱒二さん、なぜ戻ってきたのです」
 谷崎の山吹の瞳が灯火のように輝く。誰も知らない事実を口にする。
「御寮人様のお望みを叶えてさしあげなかったのは、なぜですか」
 井伏は白旗を挙げた。この大文豪を誤魔化すのは無理だ。
「何時からご存じですか」
 問われて大文豪はふふふと笑う。
「御寮人様の言葉、仕種を辿っていれば。或時を境に一等綺麗に」
 憮然として井伏が返す。
「何もかもお見通しですかい」
「ふふふ。鱒二さんの手腕を眺めて愉しんでおりました」
 井伏は諦めて谷崎の隣に並んだ。池の鯉がぽちゃりと跳ねた。
「それで何故、手放したのです」
 ぽちゃり。胴を撓らせまた鯉が跳ねる。
「手放したんですかね……」
 鯉の動きを目で追いながら井伏は続けた。
「見ちまったんですよ。心の底の底に仕舞込んでる叶えちゃいけない望みってやつを」
 井伏の視線は池の底に潜り込んだ鯉を探した。
 

 井伏の腕の中の特務司書が身を起こし有魂書を拾い上げる。侵蝕の有無を確認するように愛おし気に表紙を撫でる。ぞわりと井伏の背中を快感が走る。拾い上げた有魂書を彼女は胸に押し付けるように抱え込み、井伏を振り返った。井伏の背中にまた快感が走る。井伏が両腕を広げる。慄きに揺れる瞳が井伏を見つめる。浅い呼吸が薄く開いた唇から洩れ出る。
「ますじ……さん」
 泣き出しそうな顔をした彼女が井伏の名前を呟く。彼女を呼び込むように井伏は両腕を広げたまま待つ。もしかして……という予感が井伏を襲う。彼女が腕の中の有魂書を恐ろしいものを見たかのように見下ろすとぎこちなく座卓の上の置いた。
「ますじさん……」
 助けを求めるように呟いた彼女は強張った身体で井伏の胸に凭れかかる。左の耳を単衣の袷に押し付けて、井伏の鼓動を聞き取るように。握った右の拳を自分の胸に押し当てて、井伏の腕の中で細かく震える。護るように抱き寄せると彼女の髪に鼻を埋める。浅い呼吸は続いている。獣じみた熱が彼女の内で蜷局を巻く。出口を探している。ひゅうと音を立てて息を吐いた彼女が井伏の胸に凭れたまま呟く。
「いまだけ、何もかも忘れて、いいですか」
 井伏の手が彼女の帯にかかった。

 帯や単衣は座敷に脱ぎ捨てた。襦袢一枚になってベッドルームに縺れ込む。露天風呂に通じるガラス扉から午後の日差しが差し込むが、ここまでは届かない。辛うじて座敷の仕切り扉を閉めた井伏が彼女に囁いた。
「後悔しないな」
 彼女が唇を重ねる。舌先が井伏の歯列を舐める。唇が触れ合うじゅるりという音が響く。最後の腰紐を解いて襦袢の身頃を開くと、袖を通したままの彼女をベッドに押し倒しのしかかる。彼女の右手が井伏の牡をまさぐった。
「まだ早いよ」
 左手で彼女の右手を掴まえベッドに押し付けると、伏せた瞳をあげて彼女が井伏を見る。獣じみた笑みで井伏を誘う。見ることはないと諦めていた彼女の姿態に井伏の内に昏い喜びが湧く。その底にある更に昏い欲望が擡げる。心の底のひやりとしたものが井伏の欲望を煽る。冷を宿した瞳で井伏は身体の下の女を見た。どこもかしこも見慣れた女の身体……。
 何もせず眺めるだけの井伏の様子を彼女の眼が伺う。目元が羞恥の朱に染まる。おずおずと見上げた視線が井伏の雄の笑みを捉えると、隠れていた獣の熱が瞳の底からしみ出した。強請るように唇が窄む。重ねた唇に彼女の舌が差し込まれる。ちゅうと音を立てて吸い上げると、彼女の喉がくうと鳴った。両腕で拘束するようにきつく抱きしめると、膝が開いて襦袢のほかには何も纏わない身体が井伏を受け入れる。彼女の頬に、鼻に、瞼に、耳裏に口づけを落とす。
「ますじ……さ、ん」
 擦れた声が井伏を呼ぶ。鼻を突き合わせ瞳を覗き込み、井伏は問い返す。
「どうした」
 欲望で声がかすむのを自分でも笑う。
「お願い……はやく……」
 最後の言葉を飲み込んだ唇を舌先でなぞる。両腕の拘束を解いて、彼女の両手をまさぐり指を絡める。彼女の両手はそれを振りほどいて井伏の牡を探す。腰を揺らし膝を立てた腿の裏で両手が捕まり、井伏の膝でベッドに縫い付けられる。身体を起こした井伏の視界に、慾に染まり花を晒した女の姿が見えた。井伏の牡が下穿きの中で膨れ上がる。
「まだだよ」
 蜜を垂らす花を目愛めでながら、井伏は両の指先を彼女の腹に這わせる。腹から双丘、双丘を絞るように撫で上げ頂を摘まむ。刺激が全て快感に結びつき、はふう、あうぅという吐息が洩れ、腰が跳ねる。絞り上げた双丘の頂を交互に吸い付き、舐める。繰り返すと腰が揺れ性急すぎるほどに井伏の牡をせがむ。舌先を膚に滑らせ唾液で文字を書くように動かす。ああ、と反らした喉を舌で辿り顎先を軽く齧り唇と重ねる。喰らい尽くすかのように彼女の唇が吸い付く。舌が井伏の歯列を割り、口内をうごめく。楽な体勢を取ろうと彼女が膝を広げる。晒された花が井伏の下腹に押し付けられた。井伏にも余裕がなくなってきた。
 右手を脇から腹に滑らせて、大きく開いた花を捉える。中指で蜜を掬い取ると、花芽に擦り付ける。悲鳴のようなものが井伏の口内に消える。ぐりぐりと乱暴に刺激すると彼女のいやいやをするように首を振る。井伏の口唇はそれを追いかけ口付ける。跳ねる腰を身体で押さえつけ、井伏はさらに花芽を刺激する。くいっと押すと、身体全体を震わせ、彼女が唇を外しはあと息をつく。花芽の刺激を親指に代え、中指は花芯を探す。つぷりと差し込むと人差し指も添える。二本の指を彼女はきゅうと締め付ける。はあと声を吐きながら彼女の首が反り返る。きゅうきゅうと締め付ける彼女の中で井伏は二本の指をこすり合わせるように動かす。反り返った顎がいやいやと揺れる。
鎖骨を覆う薄い皮膚に吸い付きかけて、ああと思い返し井伏は舌で肩甲骨を肩先になぞる。鬱血痕キスマークの心配をするぐらいなら……。昏い欲望が擡げる。
 それを振り払うように下穿きを剝ぐと、膝で押しつぶされていた彼女の両手を掴む。そのまま彼女の頭を抱いて、腰を使って牡の頭を彼女の花にあてがう。
「先に謝る。加減できそうにない」
 女の貌に満足の笑みが広がった。


 井伏と谷崎は黙って池の面を見つめる。ふっと息を吐き井伏が呟いた。
「怖くなっちまったんです」
 ばしゃ、ばしゃ。鯉が二匹、続けざまに池の面に跳ね上がった。ぽちゃり、ぼちゃりと池の中に戻ると、左右に分かれすいっと消えた。
「それじゃ、仕方ありませんね」
 それだけ言うと谷崎は宿舎へ歩き去った。

<完>
 


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