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宝塚に縁もゆかりも興味もなかったオタクが星組『ロミオとジュリエット』で死に堕ちた話

17歳、もうすぐ高校3年生になる春休み。人生初の宝塚観劇へ行ってきました。
宝塚まで頑張ればチャリで行けるほどのところに住んでおきながら、なんとなく敷居が高くて敬遠していたタカラヅカ。

オタク街道を歩き始めて早5年、沼ってきたのはAAA、サッカー、成田凌さんに松下洸平さんなど、とにかく宝塚には1ミリの興味もありませんでした。


◆観劇に至るまで

宝塚に割と簡単に行ける距離に住む人ならだいたいは思うであろう、「人生で一回は行ってみたい」
という私の呟きを見事クラスメイトのヅカオタにキャッチされ、速攻で連行されました。

演目は、星組『ロミオとジュリエット』(A日程)
事前にあった知識といえば、これまた別のヅカオタの友人が今回私がロミジュリに行くと知って懇切丁寧にステマを作ってくれたので、それを読んだくらい。具体的には、青い服組のくせに髪の毛が赤い人がいること、ジュリエットの顔が小さいこと、愛とというオリキャラがいること、死の人はぴーすけとかいうぶっ飛んだ愛称があること、など。これを読んでいる友人へ、作ってくれてありがとうね。書いてあったこと上演中に思い出しながら楽しく観られたよ。

ストーリーに関しては以前英語の授業で原書を読んだので、きちんと分かった状態でした。
この死というキャラクターに引き摺り込まれるなんぞつゆ知らず、友人が取ってくれたチケットを手に客席へ。

いや、ステージ近いな、宝塚大劇場。

今までずっとアリーナドームスタジアムに骨を埋めてきたので、2階の真ん中あたりでも肉眼で余裕で見えることに感激。椅子がふかふかや……
双眼鏡(オペラグラスって言うらしいね)のピントをきっちり合わせ、スマホの電源を切り、いざ開演!


◆一幕

「〜〜、礼真琴です。」
パチパチパチ
!?!?!?!?!?!?
慌てて拍手しましたわ。言ってよ。拍手するなら。

愛と死のプロローグ。あれがぴーすけさんかあ。
たんぽぽふーするロミオかわええ。あっロミオがこちょこちょした。ベンヴォーリオくしゃみしてる。……誰かわかんないけどこの人かっこいい。
ここから一幕の間、誰かわからないまま、瀬央さんベンヴォーリオを双眼鏡の向こうに追っていました。余談ですが、以前ステマの友人が教えてくれた、瀬央さんが上級生と見間違えてレトリバーに挨拶した話が大好きです。

ヴェローナ大公の「ここはヴェローナ〜!!!!!!(ビブラート)」で鼓膜が逝きました。スピーカーが近かったライブ以来の鼓膜グワングワン。
あ、出た。髪赤い人。ほんまなんでなんやろ。
髪色はさておき、台詞回しや目つきでとにかく女たらしな感じとか血気盛んな感じがめちゃくちゃよく伝わりました。

ステマの友人からこれは見ろ!と言われていた場面パート1、仮面舞踏会。
なこちゃんさんのブーツとスカートの間に見える太ももを双眼鏡で見るのは犯罪になりそうだったので自重しました。細くて綺麗だった。(見てるやん)
これは見ろ!と言われた意味がわかった。すごい。本当に。仮面舞踏会に限らず大人数で踊るようなナンバー全部に言えることなんですが、ここにいる人たち全員が、ここに立つために死ぬほど努力して……と思ったらうるっときました。

これは見ろ!と言われていた場面パート2、結婚式。この結婚はどう考えても前途多難だけれど、愛の力でどうにでもなってしまいそうな綺麗さと、結末を知っているからこそ勝手に感じてしまう儚さと、自分たちの行く先を知らないからこその、幸せに溢れたロミオとジュリエットの純粋無垢な声。エメ、良い歌だわあ。

こんな感じで、一幕終了。時々瀬央さんを双眼鏡でガン見しつつ、割と全体を見て、結末は知っているけれどロミオとジュリエットの幸せを祈らずにはいられない一幕でした。


◆二幕 

・死との邂逅

そしてここから。出会ってしまったんです、死に。

初っ端から認識していたキャラクターではあったものの、最初の方は瀬央さんを見ていたので、二の次だった、死。あそこにいるなあ、くらいの感覚しかありませんでした。

決闘のシーン。もうすぐマーキューシオとティボルトが死んじゃうあれ。

ゲームばっかりしてるくせに一向に衰える気配のない視力1.5の両目が、視界の端に、階段の上で頬杖をつく誰かを捉えました。そうです、死です。

ベンヴォーリオがロミオを追いかけるよりも、ティボルトがキレるよりも早く、手元の双眼鏡を引っ掴んでもう一度階段の上を見ると、

退屈そうに下界を見下ろす死が、頬杖をついた死が、笑っている。人の争いを楽しそうに、嬉しそうに、めちゃくちゃ気持ち悪い笑みを浮かべながら眺めている。

ありきたりな表現をするならば、脳を揺さぶられたとか、頭をガツンと殴られた感覚といったところでしょうか。目が離せなくなりました。歌いながら踊りながら乱闘している人たちには目もくれず、あまりよくライトの当たっていない死を、永遠に見つめました。一瞬決闘の方に目線を戻すともういよいよといったところで、また階段の方を見ると、嬉しそうに階段を降りる死がいました。そうだよね、今から2人死ぬもんね、嬉しいよね。この、その人物の死が近づけば近づくほど、役の方の死がその人物に近づいていくのが、分かりやすく恐ろしくて大好きです。

マーキューシオがティボルトに刺されて死んだ瞬間、見てしまいました。美味しそうに舐めるように死を食べる死を。

以下、この作品における死に対する宝塚ど素人の私による超個人的解釈が入ります。
何言ってんだこいつと思ったらブラウザバックを。

人間、喋らなくてもここまで表現できるものかと感動しました。人が争うと嬉しそうにして、最期が近づけば近づくほど楽しそうにして、死を食べて満たされた「ような」顔をする。でも次の瞬間また死を欲してしまう、一時的に満たされたとしても、きっと一生幸せにはなれないのだと思います。
その満たされないものをなんとか埋めてくれていたのは他でもない、ロミオでしょう。死ぬのが怖いわけですからね、彼は。いつか手に入る、と思って執着し続けているというか。他の人の死ももちろん美味しそうに召し上がっていたんですけど、どこか下界の人間を使ったただの悪戯っぽく感じたんです。でも、ロミオにだけは後ろにぴったりくっついて、今か今かと彼を手にできる日を待っている感じ。
そんな彼がついに人を殺めた。全てが変わってしまったこの世に絶望している。やっとこっちを向いてくれた!と思ったのではないかな、と勝手に思っています。

そんな時に迎えた、二幕の『僕は怖い』。怖いのはこっちもじゃ!って叫びたいくらい、死が本当に怖かった。笑ってるのに、目を逸らしたいような気持ち悪さがあって、目を逸らしたいのに、絶対にそうはさせてくれない妖艶さもある。死の怖さと美しさが詰まりに詰まったお芝居でした。

・『どうやって伝えよう』

話を本編に戻して、少し飛ばして、瀬央さんベンヴォーリオの『どうやって伝えよう』。もうね、これ、本当に泣くかと思いました。泣かなかったけど。(なんやねん)困惑しながら周りに合わせて手拍子した一幕の『世界の王』が楽しかったんですよね。ロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオ、それ以外の人たちもみんな、めちゃくちゃ楽しそうで。なのにあんな悲しい顔で

昨日までの俺たちは世界を治める王だった

なんて歌われたら…… ちょっと手荒なところもあるけれど、ロミオのことを本当に大切な友達だと思っているベンヴォーリオの気持ちが痛いほど伝わってきて、彼の抱くこの世への絶望感にやられました。

・死の本気

さて、また話が死へと移ります。解釈違いじゃボケ!って人は飛ばすなりしてくださいね。

マントヴァの街で、絶望の淵にいるロミオが毒薬を求めるシーン。宝塚初体験の私は、「薬屋さんの人、フード深いのね。お顔が見えないじゃん」って思っていました。ほんとごめんなさい。

以下、私の心の中です。「あっ薬持ってきた……えっ手紙の人追い返した………あっちょっえっ死!?!?!?!?!?!?!?!?」美味しいリアクションでしょ。我ながら思います。

この時の死が、上に書いた、満たされないものを満たしてくれるロミオを手に入れるため、爆発した瞬間だと個人的に思っています。最後の一撃のようなものが、手紙の人を追い返したことではないかなと。これに関しては、ロミオとジュリエットがあまりに可哀想なので、死さんには反省して欲しいところでもありますが。笑

場所は戻ってヴェローナ。ロミオが亡くなる時の死について。今までの誰よりも、美味しそうに、嬉しそうに、召し上がってましたね。ごちそうさまです。でも結局、ロミオの死を食べた後も、一時は満足するのかもしれませんが、いつかまたどこかにそろりと現れては、人の心に住み着く気がします。

・懺悔

ジュリエットが目覚め、ロミオの亡骸に気が付くシーン。ジュリエットの、ロミオがただ眠っているだけだと思っていた時の歌声と、亡くなっていると気づいた後の歌声が全く違くて、心がめちゃくちゃ痛かったです。

白状します。私、この後天国のシーンが始まるまで、ジュリエットがほとんど視界に入りませんでした。なぜかって?ずっと死を見ていたから。

舞空さん、本当にごめんなさい。

これは見ろ!パート3、天国。よかった。このシーンがあって本当によかった。なかったら私、立ち直れずに武庫川に飛び込んでました。

天国でぴょんぴょん走り回る2人が、ようやく年相応の若者に見えたんですよね。ベンヴォーリオやマーキューシオもそうだけれど、あれだけ大人の事情に振り回され続けて生きてきたからなのか、時代背景は少なからずあるとしても、みんな大人っぽかった。無理して背伸びした大人っぽさではなく、ヴェローナで育つうちに身についてしまった大人っぽさだったからそこまで気にならなかったけど、ジュリエットが16歳、ロミオも年が近いと思うし、本来はもっと自由に騒いでいい年齢だったんだと、天国での2人を見て気づきました。

最後の最後、幕が下りる時に抱き合っている2人の顔が本当に嬉しそうで、もちろんお芝居なのはわかっているけど、この2人がお空の上で仲睦まじく暮らせますように、と願ってしまいました。ティボルト、絶対2人の邪魔せんとってな。

◆フィナーレ

最後に、これは見ろ!パート4のフィナーレのお話を少し。なぜ少しかというと、衣装が全員揃ったおかげで誰が誰だかほとんど分からなかったから。礼さん、舞空さん、極美さん、かろうじて瀬央さんが限界でした。終演後友人に「ぴーすけ、死のメイクまんまだったじゃん」と言われましたが、ごめん分からん。

デュエダンは観ましたよ。私の目に5倍速機能がついたかと思いました。かっこいい。本当にこれに尽きる。さっきまでのお2人がティーンエイジャーだとしたら、突然色気溢れる大人になってた。やっぱり、この舞台を踏むために……と思って、また泣きそうになる私でした。

「ラインダンス!大階段!羽〜!!!!!」って感じで、私のイメージしていたいわゆるTHE 宝塚の光景も観ることができたし、パレードの時は衣装が戻っていて天に感謝。当たり前と言えば当たり前なんですが、死、もとい、天華えまさんがニッコニコでリズムに乗っていて、勝手に安心しました。天華さんが人間でよかった。

◆終演後

これにて、ジュリエットの死を見逃した私の観劇が終了しました。が、完全に死を拗らせた私の観劇は、これで終わりませんでした。

「終わった後の方が楽しいと思ってさっきは連れてこなかった!」という友人に、キャトルレーヴへ連れて行かれる私。

目が合った。死と。

死は一旦見なかったことにして、一つ一つ丁寧に解説してもらいながら、他の組の舞台写真なども観て回りました。オタクに優しいですね、宝塚歌劇団。

そして再びロミジュリコーナーへ。また目が合った。

極美さんの写真を買おうか迷っている友人の横で、1人、死と睨めっこをする私。

勝てるわけがなかった。

気がつけば私は、「この2枚買ってくるわ〜。」と言う友人に「ちょっと待って!」と言い、死の写真を1枚手にとって、友人に爆笑されながら、レジを通っていたのです。

◆最後に

初観劇から4日ほど経った今、noteを執筆しながらここに至るまでに、周囲のヅカオタさんにここぞとばかりに畳みかけられ、すっかり天華さんの虜になった私。しがない貧乏学生をやりながら観劇に行くのはなかなか大きなダメージでもありますが、また必ず観に行きたいと思っています。花組の聖乃あすかさんも少し気になっている今日この頃、頑張ってお金を貯めて、宝塚大劇場にまたお邪魔できる日が楽しみです。

次は、怖くない天華さんのお芝居を観たいな。

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