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生きてくために、石を積む 瀬戸内の島に暮らす平さんの棚田

瀬戸内海に浮かぶ祝島を訪れてきました。
山口県上関町にあるこの島には300人ほどが暮らし、対岸の島への原発建設計画に反対をし続けてきた場所でもあります。

柳井港を出て、約1時間。室津半島の南端をぐるりとまわる航路は、紅葉した山とおだやかな海の青が映えて、とてもきれいでした。

今回の旅の目的は、ある棚田を訪れることでした。
今は2人の児童が通うという小学校の裏手から山に入り、4kmくらい歩くとGoogle Mapでは「平さんの石積棚田」と表示されている場所にたどり着きます。

ここの何がすごいのか?

「棚田」といっても、今は草木が生い茂っていてその面影はあまり感じられません。ただただ、山の中に突如あらわれた巨大な石垣とその上に建つ小屋に圧倒されるばかりです。

この場所の持ち主、平萬次さん90歳が教えてくれました。

「私のじいさんが食糧難の時代に、米をつくるためにこの棚田をつくった。おじいさんと、お父さんと、私と、家族だけで、重機も使わずぜんぶ手作業でこの石を積んだんよ。すごかろう。家族だけでこんだけのものをつくったところは、他にはなあ」

なんと、平さんのご家族でつくったというのです!

1999年、棚田の様子

祝島にはたくさんの石があります。下は港に近い市街地にある住宅の写真ですが、塀にも石が使われています。これは「練塀(ねりへい)」といって、石を積んで土で固め、雨で崩れないように屋根がつけられているんだとか。石は島の暮らしに密着しているんですね。

平さんの棚田があった付近にも、たくさんの石がありました。
それを平さんのおじいさんが積んで、田んぼにできるように地面をならして、つくりあげたというのです。幼いころの平さんもこの場所で遊び、おじいさんの作業を手伝いました。大人になってからは平さんがここを引き継いで、82歳まで米作りに励んだそうです。

平萬次さん。背後に広がる草むらの一帯が、かつては田んぼでした。

冒頭にも書いた通り、ここは市街地から山に入って結構歩いたところにあります。私は、小学校から歩いて1時間半くらいかかりました。
標高が高いので、見晴らしは最高!この景色が、平さんにとっても自慢のようでした。

「ここに立って見てみい。天気がよかったら佐田岬半島が、ずーっと見えての、風力発電も50基くらいあるのもわかる。ここがええんよ。戦争中は戦艦が通っていくのも見た」

確かに絶景!でも、それだけこの棚田が山の上の方にあるということでもあります。
なぜ、おじいさんはこんな場所にあえて棚田をつくろうと思ったのでしょうか。

「そりゃーそれでよ、土地がないからよ」

祝島に降り立って、まず意外だったのは「道の狭さ」でした。

住宅地の様子

すれ違ったらそれでいっぱいになりそうな道幅です。車で通るのも難しいでしょう。このような細い道が入り組んで、その両端には住宅が所狭しと並んでいました。島は広いはずなのに、どうしてなんだろうと疑問だったんです。

平さん曰く、人が住めるような平地は非常に狭くて、港のある一帯に住居部は集中しているそうです。平地はそれでいっぱいになってしまうので、人々は山の上の方に畑をつくったのだとか。

「戦争中はひどかった。どれくらい住んどったかなあ、2000人くらいかのう。当時は島の外に働きに出るもんもほとんどいなかったから、土地がどんどんせまあなる。長男はその家に住むけど、次男、三男は結婚して外に出ていく。でも土地がない、家がない。そりゃあ大変やった」

暮らすことに困るほどの土地不足で、平さんのおじいさんは山の上に目を付けたということでした。

生きていくために、食べていくために。
石を積んで、地をならして、米をつくり、家族のために働いたんだそうです。

おじいさんが暮らしていた自宅からは、歩いて1時間くらいかかる場所。畑仕事の休憩のためにつくった小屋に、やがておじいさんは暮らすようになったといいます。

小屋の中の様子
小屋の窓から

おじいさんのおかげで、戦争中でも平さんはひもじい思いをしないで済みました。

「米をつくっとったおかげで、ひもじい思いは一度もしたことがない。畑がない、土地がない人たちは大変で、あの人は人のものを盗んだとかそういうことをよく聞いたよ。
 人間、まずは食べること。それができんくなったら、なんぼ口では人のものを盗っちゃあいけませんと立派なことを言うても、そういう状況になったらわからん。食べることができたら、あとはなんとでもなる」

平さんは棚田と小屋を案内しながら、「なんぼ口では立派なことを言うても……」と繰り返しました。

石を積む作業には、危険もあったでしょう。それでも、食べていくためにおじいさんは一から棚田をつくりあげ、平さんはそれを受け継ぎました。

実際に訪れてその「仕事」を目の当たりにすると、その凄みを実感します。

中には私の身長の3分の2くらいはありそうな大きな岩もありました。火薬を使って砕いて、それを積み上げる場合もあったそうです。てこを使って、人の手で積み上げました。

「そのおかげで、ここまでおおきゅうなれた」という平さんのことばを聞き、漫然と食べてきたこれまでの生活を顧みました。

石を動かす時に使っていたてこ

平さんの棚田から学ぶべきことは何か。
食べることの尊さ、自分の力で生きていくことの大切さ、でしょうか。

平さんは別れ際、こんな風に声をかけてくれました。

「私が生きているうちにまた会えるかわからんけども、まあ頑張ってください。なにかつらいことがあった時も、この棚田を思い出して。人間がんばれば、ここまでのことができるんだー、と。頑張ってくださいや」

棚田が教えてくれたのは、人間の底力でした。そして、何よりも手を、足を、動かし続けること。90歳になってもなおしゃんと立ち、顔をくしゃっと崩して笑う平さんが教えてくれたことでした。

おまけ

偶然、平さんの棚田で植物の専門家の方と出会いました。
一緒に山を下りる道中、祝島の珍しい植物について聞かせてもらったので紹介しておきます。
その方曰く、祝島にはかなり希少種が多いのだとか。あとは生育環境が良いのか、「巨大化しやすい」と(笑)。研究成果をお伺いできるのが楽しみです~~。

平さんの棚田にいたヒメウラジロ。

オオバマンリョウ。

マルバマンネングサ。「らんまん」に出たのでいま話題だそうですね。

ケグワ。「ひそかに結構レアです」、だそうです。

彼は「ただの植物オタクですよ」と話していましたが、やっぱり何かに詳しい知識がある方と歩くのは楽しいですね。何気なく歩いている道でも、見えている景色が全然違うんだろうと思います。「前に進めませんよ」とおっしゃっていたし、実際「ちょっと、写真撮ってきます!」と走って山道を引き返したりしていらっしゃいました(笑)。

祝島、とっても良かった~~。必ず再訪したいです。

今回はただの日記でした。おわり。

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