なんとか自分を好きでいるために、


受容は怠惰、怠惰は退化、退化は腐敗、腐敗は失望。
ああ、死にたい。

退屈退屈って言っているだけ、なにでもできることやることやらなきゃいけないことは尽きない。
感染症を理由にしてもできることはもっとあった。
もっと遊べる勉強できる綺麗にできる快適にできる取り込める生産できる
できるできるできる、なんでも。だって私は健康だもん。
でも、受容を選んだのは自分。どれだけの時間無駄にしてきたのか。
私が呆れた顔で大きな溜め息を吐いた。
どうして私は学ばないのだろうね、といつもの言葉が響く。
君はいつも痛いところを突く。ただただ言葉で。

無駄な時間、私はそれに少し反論したい。
絶対に無駄ではなかった。ただ、できることがもっとあっただけ。
時間の使い方が贅沢過ぎただけ。

無駄って言いたくなかった。
その時間を生きた私がかわいそうだから。その時間を生きていた自分を愛していたいから。
でも、しわ寄せのいつかの自分にきて、苦しむのは自分だし、付け焼刃を一夜で研がなきゃいけなくなるのも、いつまでも定着せずに忘れたころに悔しくなるのも、すべてが中途半端になるのも、悔しさに気付いて取り返そうとするも捨ててきたもののあまりの多さに萎えるのも自分。


こんな自分になってもなお好きでいられるのか。好きでいちゃいけない。
それは甘えすぎ。胸を張れない。

なんとか自分を好きでいるために、少し頑張ろうね。愛しているよ。


(2020.10.12)

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