遺棄した死体に息した死体。
余裕ない。
タスクに潰されそうになる。死にたくもなる。
上手く生きたい、息したい、遺棄したい、
遺棄した死体に息した死体。
いわゆるゾンビ。腐敗。壊死。
壊死した細胞は切り落とすほかない。
怠惰で自分が死んでゆく。殺していっていると言うほうがむしろ正しい。
どこにもいけないこと、自由な時間が増えたことにずっと甘えていた。
そのツケが廻ってきたの。
私はいつだってそう。
ランドセル背負っていた時の方がずっと一生懸命に生きていた気がする。
生きていることに胡坐をかいている。だから息した死体なの。
可愛くなりたい、美しくなりたい。
全部今の自分からは程遠い。
部屋も自分のなかも荒れている。
ダンボールだらけでどこになにをしまったのか忘れた。
大事なものはなんだっけ。趣味ってなんだ。自分のアイデンティティは。
もう、確立時期はすぎている。
今までなにをしていたんだっけ。どうやって生きていたんだっけ。
私は自分以外にも、誰かの視界のなか、記憶のなかで生きていたい。
そんな動機で、絵や物書きが上手くなりたい、写真を撮りたい、楽器が弾けるようになりたい、歌が上手くなりたい、可愛くなりたい、上手に生きたい。
ただの願い。
願望以上にはいつだってできない。
そういえば、踊ることは少しだけ違うかも。
もちろん誰かに知ってほしいと思うこともあるけれど、それ以上に楽しいが大きいし、自分からやることに全くエネルギーを使わない。
1人でいると音楽が流れていると息をするように踊っている。
なーんだ、自分にも何かがあった。
それに気付くまでずいぶんと回り道をした。
でもきっと、ここにたどり着いたのは何度目か。
そう、私はいつも忘れてしまう。
同じ温度や密度を保っていたいとほんとうに強く願っているのにね。
だから私は遺書を書く。
自分の全部を無かったことにしないように、亡くさないように、どこで迷ったかがわかるように、
じゃあ、言葉を綴るのも私だけの物になっているかもしれないね。
本当は生きている価値なんてなくていいよって言いたいし、正解はないのだけれど、握りしめていても潰されるほどいろんなものに溢れた世界で、不平等で、みんなが少しずつあるいは一部だけが苦しんでいるなか成り立つ社会で、
私は寂しいのかもしれない。
君に見つけて欲しい、見ていて欲しいのかもしれない。そして、言葉を交わしたい。
できるだけ多くの人生をなぞって生きたい。
そのための眼が足りないから、
私は君の眼が欲しい。
(2020.12.4)
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