忘れるという力。
わたしには4歳になる姪っ子がいる。
その子はとてつもなく記憶力がいい。
1か月前のことも鮮明に話してくるから、
こちらが驚かされることが多い。
しかしながら覚えている内容が「このゴミ箱臭かったから開けたくない。」とかなのでどうすることもしてあげられないのが、ちと残念ではある。
うーむ、気持ちは分かる。
姪っ子は鼻もいいし、なんとなくどこか過敏である。
かくいう私もそうだ。過敏症。犬なみの嗅覚。
匂いは記憶とよく繋がるといわれる。
本当にその通りで、「このにおいはこのときに嗅いだな」と記憶が蘇ることが多い。
いい匂いならば、幸せな気持ちになれるのだが、人生そんなに上手くはいかない。
記憶に残る匂いの多くは「気分が悪くなったような匂い」なので生きづらいのである。
忘れられたらどんなにいいかと思うことも沢山あるのだ。
さて、私の家にはもう1人認知症の祖母がいる。
5分前のこと、私の名前すら忘れている。
しかたない、そういう病気なのだから。
全員とはいわないが、ある意味祖母はその日暮らしをしているように見える。
忘れては思い出し、また忘れては新しいことをし、忘れては……の繰り返し。
それでも祖母は幸せそうである。
なぜだろう。なぜ祖母は幸せそうなのだろう。
きっと葛藤はたくさんあったが忘れることを許容した、というよりむしろ忘れることさえも忘れるようになった頃から祖母は優しくなった。
ひとつ、見習いたいものである。
病気を羨ましく思うのでは無い。
忘れるまでいかなくとも「鈍感になる」くらいになればもうすこし鋭利な刺激が和らぐのではないか、と期待して。
ここまで書いてつまり何が言いたかったのかはよくわからないので、
読み手であるあなたにお任せします。
そういうわけで、今日も生きづらさと生きているわけであります。
電車のもわぁっとした中で加齢臭とアルコールの臭いにつつまれて帰っている途中のわたしより。
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