AIを活用した創作について(打土井大)

今週は平澤多忙により、代理で打土井が執筆させていただきます。

情報公開されました『信じられる日曜日』、Xでも日々広報を展開しているのですが、先日のアップデートにより公演関連のポストに誰がいいねをしてくれているのかが分からなくなり、ネトスト癖のある僕には少々つらいものがあります。一方で、こういう僕みたいなやつにバレるのが嫌でいいねを躊躇うことが多かった方にとっては良いアップデートだったのかもしれません。物事には常に二面性があるのですね……。

藤井聡太が八冠ではなくなったことがニュースになっていましたが、実は僕も一時期将棋にハマっていたことがあり、録画したNHK杯を見ながら寝落ちするのが当時の日課でした。ネットストーカーの他にミーハーの顔を併せ持つ僕が一番好きだった棋士はやはり羽生善治で、彼のインタビューや書籍をよく見たり読んだりしていました。

中でも印象的だったのは、将棋の世界では既に人間を圧倒していた人工知能についての羽生さんの言葉です。「人工知能はより多くの手を読むことができるが、人間はより少ない手を読むことができる」。処理速度の暴力で瞬時に大量のパターンを演算できるコンピューター。それに対して人間は、過去の経験則からはじめから読む必要のない手がある程度分かるというのです。つまり前者が広く浅く手を読むのに対し、後者は狭く深く手を読むのです。

羽生さんのこの言葉はおそらくもう10年は前のもののように思いますが、これはいま加速度的に進化し続けている最新のAIにもあてはまるような気がします。例えば画像生成AIに「ひまわり」を出力させてみると、あらゆるパターンの「ひまわり」が列挙されます。しかしどれも色味や形に違和感があり、それも既存の枠に収まらないAIには数多くの選択肢が見えてしまうがゆえのことなのではないかと思われます。AIの読みの多さは時に仇となるのです。一方で、ゴッホにはきっとそこまで沢山の選択肢は見えていなかったように想像します。

芥川賞作家ですらAIを活用しているくらいですから、演劇界への導入も時間の問題だとは思いますが、こうしたAIの二面性を考えるとすぐに人間が淘汰されるというわけでもないような気がします。もちろんたとえ淘汰されようが、人間は演劇を作るのが楽しいから作り続けるまでなのですが。

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