演劇で気持ちよく眠りたい(平澤あお)

先日、池袋の新文芸坐で開催されていたアピチャッポン・ウィーラセタクン監督作品のオールナイト上映に行ってきたのですが、これが本当に素晴らしかった。上映された3作品すべてがすべて良かったのはもちろんとして、アピチャッポン作品で一晩を過ごす体験そのものが何よりも素晴らしかった。つまりは、うとうとしたり、時折、寝落ちをしたりしながら一晩を過ごすという体験そのものです。

一作でも見たことがあればご存知かと思いますが、アピチャッポン作品はとにかく眠くなる。どうしても、心地よさの先にスーッと意識が遠のいてしまう。木の葉が風にそよいで擦れあう音や、やや遠景の人物を写す長回しショットなどなど、あまりにも眠りを誘う効果が強すぎる。
今回のオールナイト上映のチケットをとる時からわかっていたし、何ならそのつもりで行ったのですが、案の定、私は何度もうとうとし、たくさん眠りました。
けれども、朝焼けの池袋を後にするときにはとてもとても満足していたし、最初の幕間の小休憩で一服をしに外に出た時点でも、この上なく幸福な一夜になることを確信していました。

一般的にというか、普通に考えると、ある作品の鑑賞中に眠った場合には、その作品を「見た」とは言えないのかもしれません。それに、SNS上などである作品を評して「寝た!」という言葉が使われているとき、それはおおかたの場合、つまらなかったことの隠喩としてのようにも思います。
けれども、何かを鑑賞しながら眠るということは、本当に贅沢でかけがえのないことだと私は思います。そして、アピチャッポンをはじめとして、良い眠さを誘う作品は確かに存在します。

ところで、新文芸坐に向かう電車のなかで、なんとなく私はスーザン・ソンタグ「反解釈」を読んでいたのですが、これが示唆に富むテキストでした。

「都市環境のなかでわれわれの五感を襲っている雑多な味覚や嗅覚や視覚に加うるに、各人に提供される芸術作品の極端な増加を考えてみるがいい。われわれの文化の基盤は過剰、生産過剰にある。その結果、われわれの感覚的経験は着実に過敏さを失いつつある。(中略)いま重要なのはわれわれの感覚を取り戻すことだ。われわれはもっと多くを見、もっと多くを聞き、もっと多くを感じるようにならなければならない」(スーザン・ソンタグ「反解釈」『反解釈』ちくま学芸文庫 P33)

引用したのは、1965年に発表されたスーザン・ソンタグ「反解釈」の一節、実に実に熱いですね。檄文といった趣き。

粗雑なまとめになってしまいますが、「反解釈」は、当時のスーザン・ソンタグの批評マニフェストとも言えるテキスト。タイトルの通り、西欧近代の合理主義的思考から、フロイト主義的批評まで、ある作品の真理を読み解く解釈へのラディカルな疑義を唱えた内容です。ここで宣言され、批評言説が重きを置くべきとされるのが、生き生きとした感受性の復権。

私は、ソンタグのこのテキストには、ハイカルチャー/ポピュラーカルチャー問わず新動向が次々登場し、世界的な学生運動も巻き起こった、動的でエネルギッシュな60年代の空気が色濃く影響しているように感じます。もっと言えば「批評言説が、時代の空気についていけていない!」といった憤りです。

対して、この一文から60年近くが経過した2024年現在はあまりにも多くの情報に溢れすぎていて、「もっと多くを見、もっと多くを聞き、もっと多くを感じる」ようにしていたら流石に疲れ果ててしまいます。(少し文脈は異なる気もしますが)例えば、「サブスク疲れ」なんて言葉もでてくるわけですから。
今現在に必要な「反解釈」的営みの一つは、感覚を癒し、休める=眠らせることな気がします。(ポピュラーミュージック分野における、近年のニューエイジ・リバイバルにも似たものがありそう)

そして、この背景には解決すべき社会問題が沢山あるはずですが、そもそも今現在、「眠り」の価値はとてもとても上昇しているのではないでしょうか? 例えば、これは私の肌感ですが、ここ数年、「睡眠改善」を謳った製品が増えてる気がしませんか?

こうした状況において、「眠り」を前提とし、あわよくば観客を実際に眠らせさえする作品ってめちゃくちゃ批評的だし、その鑑賞体験ってとても豊かだと思うんです。

と、ここまで続けてきて、今、思い返してみると、これまで私は演劇で気持ちよく眠れたことがありません。もちろん観劇中に寝たことはありますが、いずれも演目が面白くなくて、時間をやり過ごすために目を閉じることにしたという感じ。あまりにも消極的で虚しい眠り……。
けれども、観客の眠りを前提にした演劇作品があったら絶対に面白いと思うし、そこには「演劇」ならではの可能性がたくさんあるように思うんでよすね。
私は、劇場の客席で気持ちよく眠りたいと心から思っています。

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