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男闘呼組のこと。11

1999年8月16日

母が他界した。

私は23歳で喪主となった。

通夜・葬儀の手配は、伯父伯母がかなり手伝ってくれたので困ることはなかった。

今日から弟は私ひとりで大人にしなければならない。
高校に行かせて、、、それから、、、

プレッシャーだった。

ちゃんと大人になってくれるだろうか。
一人前にしてやらなきゃならない。

とにかく食べさせていかなければ。

弟の高校入学のための費用を捻出したら、手元のお金がほとんどなくなってしまった。

弟の分の奨学金も申請したが、認定されるまでには少し時間がかかる。

明日から食べるお米がない。
肉がない。
野菜も玉ねぎがひとつあるだけ。

財布の中には500円玉が一枚。

とにかく若かった。
知識も知恵も足りなかった。

弟を食べさせるために、

大切にしてきたものを売った。

男闘呼組のCDも
成田昭次のCDも

他のアーティストのCDも

本や楽器も。

このときはそれしか思いつかなかった。

このときはそれでいいと思った。

でも、今、このときの私に声をかけられるのならば

これだけは言っておきたい。

草を食べてでも男闘呼組のCDは売るな。






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