一見社会に適合している人生不適合者のポエム

人生に、目標や張り合いを見出だすのが苦手だ。

社会人になって3年が経ったころ、自分の中で「次は何を目標に生きていけばいいのだろう」という思いが生まれた。
物心ついてから社会人3年目までは、受験・入学・卒業という節目が数年ごとにあった。社会人になってからも、「とりあえず一人前になるまで、3年はがんばろう」という気持ちで働いた。
しかしいざ3年が経った時、次の目標をどこに置けばよいのかが、急にわからなくなってしまったのだ。

とある友人にこの話をすると、「次は5年、10年…って、また目標を更新していけばいいんじゃないの?」と言われた。
確かに自分の挙げた3年という目標に明確な根拠はないし、言われた通りなのだけれど、実際に5年目や10年目を目標にがんばれる気はしなかった。
けっきょく自分は、次の目標を結婚に定め、ぼんやりと婚活を始めることにした。
大学を卒業して、3年働いたら20代半ば。女性が婚活を始める年齢としては、ちょうどいいぐらいだろう。
ちなみにその友人は、30代前半から半ばに差し掛かろうとしている今も、婚活等している様子はなく、日々の推し活に励んでいる。
日常の中に、目に見える肩書きに囚われない張り合いを見出だせる人なのだ。

自分はけっきょく20代後半で結婚し、数年後の今妊娠し、出産を間近に控えている。
子どもが無事産まれて育ってくれたら、子どもが成人するまで、また自動的に節目が生まれる。
子どもを作るか否かについては相当悩んだが、けっきょく結婚して3年ほどで、目標のない人生にまた耐えられなくなってしまったのだ。
大学を卒業して、就職し、結婚し、子を設ける…
肩書きだけ見れば一見充実した人生ではあるが、その実は、流されるままに辿り着いた結果でしかない。

敷かれたレールの上を歩くことは、実は一番楽な生き方だと思う。
受験も就活も大変だし、結婚は相手があってのものだし、子どもは授かり物だ。
全てが順調に行くとは限らない。
しかし、その目標に向かって努力している間は、周りも文句を言わないし、余計なことを考えずに済む。
自分はそうやって生きてきたし、これからもそういう生き方しかできないのだろう。

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