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“ちゃん卒“アウトプット〜お金編〜

■​お金に関するわたし自身のマインドブロックについて

と、言うことで!
本日も、小田桐あさぎさん主催の魅力覚醒講座
事前課題のアウトプットを
今更ながらやっていきますよー!!^^

本日は、“ちゃん卒“のお金について!


わたし自身、
お金に関してのマインドブロックはかなりきついほうだったと思う。

幼少期から、母には「うちは貧乏だから」と言われ続け、

周りの友人たちがみんな持っているから欲しいものがある、とお願いしても

「ママだって我慢してる」
「うちはうち、他所は他所」

と言われ取り合ってすらももらえない。

母はセールの日や、
近隣で1番安い店で買い物をするために、
片道30分掛かろうが、
自転車で買い出しに行っていた。

「節約こそ正義」
「今日もこんなにいい服を安く仕入れることができた」
と、“安さ“を何よりも誇る人だった。

そのくせ見た目へのこだわりも非常に強く

「ママは周りから綺麗だと言われている」
「この前もナンパされた」
「それなのにパパは…」

と、自分がお父さんから相手にされないことをいつも嘆いていた。

なんなら、
「お前を産んでからもう10年。もうずっとパパに抱いてもらえなくなったのはお前を産んだせい」とすら言われたことがある。


そんな環境で育ったわたしは、もれなく

「浪費は悪」
「節約こそ正義」
「貯金残高が多いほど幸せ」

と、歪んだ価値観を発揮していった。

初めての就職先がめちゃくちゃ薄給で、
額面で14万、手取り10万以下だった頃も、

一人暮らし安物件で(管理費込み28000円オートロックw)
最低でも月に2万は貯金していた。

薄給のくせに労働時間が鬼長く(7時半〜23時)
仕事意外することもなかったし、
衣住食意外は本当にお金を使う機会がなかったから
成り立っていたていうのもあるかもしれない。


当時の彼氏は遠距離で
神奈川⇄千葉だったけれど、
仕事終わりに片道1時間半、1200円をかけて千葉までいき、
千葉に滞在中は全ての食費を負担してもらうことでなんとか生活の質を保っていたw
(そしてめっち太る)
(「俺はお金だけ出してればいいんでしょ!?」って喧嘩した時に言われるくらい、お金と食事にガッツいてたんだろうなぁ…ごめんよ、元彼w)


食生活は、
食費を1日500円以内に納めるために、
社食かお勤め品を1日1食か、
閉店ギリギリの薬局に滑り込んで、
1袋18円がさらに半額になったもやしを買い占め、もやしのアレンジ料理を自宅で作り置きするような生活。

さらには貯金のためにと、
どれだけ体調が悪かろうと病院にはかからない、という

将来来るかもしれない未知の出金イベントのために、今ある自らの命を削り耐え続ける、といった修行僧のような生活を自らに強いていたw


今思うと、ものすごくつまらない生活である。

それでもわたしは、
“来るかもわからない未来“のために、
身を削って耐え続けていたのです。

■​「お金」の支配を抜け出す方法について


ちゃん卒の書籍には、こうありました。

「お金との付き合い方に、
その人の人生が色濃く反映されている」と。

前述のまさにその通り。
わたしは、“お金のため“に、
自身を犠牲にする生き方を選択していました。


自分の感情よりも、
お金を優先にして人生を選択しているなら、
自分らしく生きることは不可能。

お金を基準にしない生き方を卒業するには、
お金を度外視して、
「本当にしたいこと」や「本当に欲しいもの」について考えること。

"迷う理由が金額なら進め、
迷わない理由が金額なら戻れ。"

わたし自身、こういった経験をたくさんしたことがあります。


「あそこにいきたい」
「あれが欲しい」
「こうしたい」

そういった欲求が出てきた時に、

「でも、〇〇だし…」
「もっとお金を貯めてから」

と、でも、だって、って思い直し
「今の自分ではそれを達成できない理由」
を探し、あきらめてしまう。

この、「でも」とか「だって」は、
新しいことをする時に発生する理性の部分。

この理性を取り払って、
自分の欲求を正しく見つけてあげること。

そもそも、絶対的に無理なことなら、
まず選択肢にすら上がってこないから、
悩んだりすらしないはず。

だからこそ、迷いが生じた時点で
「欲しい」と思っている、
ということを自身で理解してあげる必要がある。


お金は「我慢代」ではなく「勇気代」
いくら我慢したってお金は対して増えないけど、
勇気代を支払って行動することで、一気に化けることもある。


これからわたしは、勇気代を支払って、どんどん成長していきたい。


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