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嫌すごアウトプット〜人生爆上げ基本編〜



さて、本日も、魅力覚醒講座の課題図書のひとつ。
小田桐あさぎさん著書の

「嫌なこと全部やめたらすごかった」

のアウトプットをしていこうと思います!
嫌すごのアウトプットは、本日の投稿でラストです。


さて。今回のこの章ね。
本の中〜後半らへんの章なんだけど

「親ワーク」なるものが正直、
まだまだ親との確執が深すぎて進めるのがしんどくて、遅く出すことになっちゃいました><


と、いうことで、進めていこうと思います。


自分の好きなように生きられない
我慢してしまう
必要以上に努力してしまう人の原因は

他人を信頼出来ていないせいだ
と、あさぎさん。


他人を信頼できていないから、
ああしたら怒られるとか
こうしたら文句を言われるとか
他人に責められることをまず想像してしまう。


その結果、自分や他人に対して、制限をつけ、正しさを追求してしまうんだとか。

うちの現職場のお局様がそんな感じで

口癖がまさに
「誰も信用していない」
「だから誰にも頼みたくない」

そんなお局様は、
「普通は〇〇」とか
「常識的に考えて」とか
「もっと〇〇するべき」とか、いつも自分の価値観を強要してくるのです。


そして、こういった他人を信用できない背景には、親を信頼できていないことが大きく影響しているんだとか。


このお局様は極論ではあるけれど、
家庭の事情もなかなか複雑なのは、話を聞いてるだけでもわかる。

各いうわたしも親とはずっと不仲。

本来であれば、1番初めに接する他人であり、
この世で自分のことを最も信頼し、愛し、何があっても応援してくれるはずの親という存在。

わたしはその存在に、
幼少期からいつも脅かされていて、


いうことを聞かなければ捨てる、施設に預ける、殴られる。
お母さんの言うことを聞いているだけでいい
お母さんの言うことだけが正しい、とずっと刷り込まれてきた。


むしろ、親に対してこそ
いいたいことも言えないし、常に恐怖していたくらい。
そんな環境では、他人の目を気にしないで生きるなんて、まず不可能だ。


だから、常に完璧で
人に評価され、認められるよう振る舞ったし、
逆に、そうしなければ、怒られる、馬鹿にされるとさえ思ってた。


対するあさぎさんは
親への見方が変わったおかげで、思考が変わり、さらに人生が大きく変わった、と。
他人を信用できるようになったことで、自分にも、全てOKを出せるようになったんだとか。


ここからは、その
どうやって母親への見方を変えたのか。にフォーカスして、後述していこうと思う。

■愛するって、なんだろう?


自分の魅力を認める。
自分を愛する。

ってことと向き合ってたとき、あさぎさんはまず
「愛って何だろう?」といった課題にぶち当たったそう。


そんでもって、究極の愛情ってやつは、どうやら
「親の赤ちゃんに対する愛情」
なんじゃないか。と思い至ったんだとか。



赤ちゃんて、自分では何もできないじゃないですか。

鹿は生き残るためにすぐに立ち上がるし、
なんなら鳥類なんて、自力で殻を破って生まれてくるのに。

人間の赤ちゃんが持って生まれてくる攻撃力が
生理的微笑ってなんなん?ってかんじじゃないですか。


そんな赤ちゃんに対して、
もうちょっと自力でごはん食べてよ!とか
自力で服を準備して着替えてくれたらもっと愛せそう!
なんて発想、まずないじゃないですか。

かといって、何ができないからダメ。
とかも一切なくて、
何もできなくたっていい。
何も出来ないのが当たり前って思える。


そして、この感情…この愛情を
赤ちゃんに対して最も注ぐのは、やっぱり母親なんだな、と気づいたんだそう。

このことに対して「本当に?」と少しでも疑ってしまう人は、母親からの愛情を、100%感じられていない可能性があるよう。


■なんであんなことを言っていたんだろう?



さて、ではなぜ100%の愛情を感じられてこなかったのか?
といったお話に切り込んでいこうと思います。


あさぎさん同様、わたしもとても母からは厳しく育てられました。

といっても、
やりたい!といった習い事はさせてもらってたし、
経済的にも決して貧困、というわけではありませんでした。

表向きはとても母子の仲も良く見えていたんだとか。



では、どうしてこの外側の認識と、わたし自身の認識に、こんなに差が出たのか?なんですが、

わたしは、母にいつも

「交友関係を選別され」
「遊ぶ場所も決められ」
「時間的な拘束も他より厳しく」
「約束を破れば殴られる」

母はいつもイライラしていて、
とくに父が家にいるときはひどく、


「お前がちゃんとしないとママが怒られる」
「お前が怒られないのは、ママがちゃんとフォローしてやってるからなんだ」
「いうこと聞かなければ捨てる」
「施設に入れてやるからな」
と、日常的に脅され続けていた。


朝は早く夜は遅く、ほとんど顔を合わせることのない父。
早朝6時、いつも母が
父に吹聴している内容は嘘ばかりで

わたしを下げたり
「わたしが見てやってるのにいうことを聞かない」
「またあんなことをしていたからわたしがうまいことやった」など
とてもわたしをフォローしているようには聞こえない発言ばかりしているのを、早朝でぼんやりとした思考状態で、いつも聞いていました。


「あぁ、また嘘をついている」
小学校が高学年になったころには、母に対して、こういった感情を感じていました。


そんな母は、人一倍世間体を気にして
「こうあるべき」
「普通は○○」
「他のおうちは○○」
「みんなそう言ってるよ」
などというくせに、

わたしがいざ周りがこうしてるからわたしもしたい・欲しいというと
「他所は他所、うちはうち」
と取り合ってもらえないなど、
日々180度変わる母の言葉と機嫌を、毎日怯えながら窺っていました。


「どうしたらそんないい子に育つの?」
とママ友に聞かれて「わたしは勉強なんてしろって一言も言ったことないんだけどね」と自慢げに話す母の姿を見たとき、

「なるほど、わたしがいい子でいると人に自慢できるから、お母さんはうれしいんだ」と学習して、そこからは学業や生活面も気を遣うようになっていった。


わたしがいい子じゃないと、
わたしは母の思い通りに動かないと、
近所の人にも良い子に見えるように、
学校生活も、優秀であるように


母に好かれるため、
母がもっと近所のママ友に自慢ができる子でいなければ。
そうやって、どんどん自分を繕っていきました。


と、いうのは私目線の私解釈のお話で。

この章では、ではなぜ、母はそういったことをしたんだろう?というのを掘り下げていきます。



■願っていたのは、わたしの幸せだけだった

環境によって、良くも悪くも人は変わる

では、わたしの母はなぜ上記のようなことをしていたんでしょうか。

母とはわりと早い段階から意思疎通を諦めていたので、わたし自身が持ってる母の情報自体が、恐ろしく少なかった。


持っていた情報は、
・集団就職で上京したこと。
・寮生活で遊び狂ってクビになったこと。
・何度も転職してきたこと。
そして、父に家庭に入ってほしいと言われたから、当時はまだじり貧だったけど家庭に入る決意をしたこと。

これだけ書き出してみると、
割と人生エンジョイして、そのまま家庭に入った順風満帆な人生に見えますし、

母はもともと非常にルックスがよく、
気もほどほどに強いタイプだったので、
どっちかっていうとやんちゃでカーストも上位層。

わたしのように、幼少期にいじめられていた、と言うタイプのむしろ真逆で
家で兄弟に殴られた、とかじいちゃんばあちゃんに馬小屋に縛り付けられた、とかのエピソードの方が色濃い思い出のようでした。

そんな中でも、母はよく

「仕事ができなくてバカにされた」
「何度も派遣切りでクビになった」
「そのせいで家賃も払えなくて差し押さえされたこともある」
「結婚当初はとても貧乏だった」
「父が生活費を管理していて経済的DVを受けていた」

といった話はしていました。

そして、わたし自身も、父が
「専業主婦は3食昼寝付きでいいよな」
と言っているのを聞いていました。


そんな環境から推測するに、
当時はかなり仕事に対するコンプレックスや
経済的な困窮があり、
わたしにはそんな思いをさせないようにしたかったのか?

しっかりと学び手に職を持ち
長く1つの職場に勤め
1人でも生活に困窮することなく
経済的に不便のないような男性と結婚して
専業主婦として家庭に入ること。

ここら辺を願っていたのかな。
まだまだ、母の事に関しては受け入れ難い点が多くて全然しっくり来てませんが、
これから講座と一緒に、どんどん紐解いていければいいなって思います。

ワーク6:両親は、あなたがどんな女性として育つことを望んでましたか?


結婚までは一つの仕事を続ける
安定収入の男性と結婚
実家の近くに住む
専業主婦になる
老後は介護ももちろんする。

高校の時にすでに不妊症が確定してたので期待していなかったそうだが
子供ができたら実家の近所に住んで毎日顔を合わせる

夕ご飯は実家でする
子供の送迎も母がするつもりだった。

結局過干渉や介入が嫌で遠方に家を購入したので、そのことを未だ言われる

ワーク7:あなたは自分の子供に、どんな人生を送って欲しいですか?

とにかく笑顔が多く
友人に恵まれ
好きなこと、得意なこと、興味のあることにはどんどんチャレンジして
悩みは少なく健康で
幸せでいてほしい


このワーク、子供目線と、親目線の回答では、どうしてこんなに差がでたのでしょうか。
ワーク7は、親本来の願い
そして、ワーク6は、親がその願いを表現するための形だっただけ。

親自身の人生経験から、
子供が傷つかないために
子供がより確実に幸せになるために
自身の価値観の中から提案をしているだけだ、と。

にしても、殴る蹴る引き摺り回す、罵倒してマンションから落とそうとするのは違うと思うけどね。笑

■愛されていないは“ありえない“

こういった、親との乖離が大きい人ほど、愛情を受け取ることがうまくなくて、
「自分のほしい形の愛情以外は受け取れない」んだとか。

あさぎさんの例でいくと、
幼少期から厳しくされていた反動で
「普通の親とは子供がしたいと言ったことを応援してくれるものだ」
と思っていたから、どんどん行動を制限するお母さんの行動は愛ではないと思っていたそう。

そして、こう言うタイプの女性は、男性ともうまくいかないことが多い。とあさぎさん。

わたしなんかはまさにそのタイプで、
男性からの愛情を上手に受け取ることができず、
信用できず、いつも疑ってしまったり、彼を束縛してしまったりしていました。

わたしがほしい愛情は「この形だけ」だから
「それ以外の愛情の形は受け取れません」って限定していたのです。

わたしで言えば、
わたしのことを常に1番に考えてくれて
わたしのことを1番可愛いって言ってくれて
他の女の子は全員縁を切るレベルでどうでもいいと思ってて
わたしが寂しい時にはとんできてくれる…

とにかく、わたしにだけ執着してくれて、無限に愛情をくれる人が欲しかった。
とんでもねぇメンヘラクソ重女です。


だけど、
愛の形と大きさは、
差し出す側でなく
受け取り手次第で、その価値が変わる。


これがわからなかったから、
わたしは一生、
親から抑圧されて苦しめられてると感じていたし、
彼氏にもいつも裏切られたような気持ちになっていたのです。

親が心配してあれこれ言っていても、子供には響かない。
彼氏が信用してもらうために色々しても、どんどん彼女が病んでいく…

これじゃ、一生相容れないですよね。




■育児すら自己犠牲ゼロで

子育てって、特に日本だと、
自分のしたいことよりも子供を最優先に!って風潮が強いですよね。

あさぎさんはこれを、究極の自己犠牲行為だ、と思っていたそう。

子供のためなら
自分のことは後回しにして
辛さも苦しさも耐え
死ぬほど疲れていようが頑張れる。

それが、いい母親だと。


いや無理やん。
辛いもんは辛いわ。


ってことで、世間に対しての「いいお母さん像」ではなく、
家族から見ての「いいお母さん像」を目指したんだとか。


確かに、わたしも保育園に子供を預けるってなったとき
母に「こんなに小さいのに可哀想」
「5歳までは子供は親と過ごすべきなのに」
とずっと言われ続けていました。

しかし、わたしの子供からしたら
周りはみんな同じ時期から保育園に入園しているわけだし
「それ以外の生活」って知らないんですよ。

保育園に預けられるのも当たり前の状態で、
「可哀想」って言われても、何が?って感じじゃないですか?

これが、上に兄弟がいて、上の子たちは幼稚園だったのに、とか
今後子の生活環がひろがって、お母さんがずっと家にいる家庭と比べて自分はちょっと違うのかも、って気づいた時には、もしかしたらそう感じることもあるかもしれないけど、


今、目の前にある生活って子供にとっては当たり前だから、
多分、本人も自分は可哀想とか思ってないと思う。

世間体とか、身内の意見とか
多いに主観とか古い思想が根深いので、耳を貸す必要は全くないんだなって改めて思ったのでした。

かつて母に
「実家のそばに住んでいれば」
「保育園なんて預けなくてもうちで見てやれたのに」
「勝手に家なんか買いやがって」って
恨み言とセットで言われてた時は、子供に対して胸を痛めたりしたもんだけど、
今は、子の母の偏った思想に浸からないで済んでよかったなとも思ってます。

■良い母親像は目指しても無駄

あさぎさんが家庭を持つ上で、最も大切にしていること。
それは、お子さんを預けてデートにいくこと。だそう。

休日と夜。
大体月に2回はデートをするんだとか。

確かに、日本だと、結婚してから、子供を預けて夫婦でデートにいくなんて、
SNSのキラキラアカウントでしか出会ったことがありません。

でもあさぎさん曰く、
この夫婦2人でお酒を飲んだり、色々話したり。
これができていない人が多過ぎる、と。

男性はそもそも
自分1人の幸せ
夫婦としての幸せ
家族としての幸せ
それぞれが全て独立しているんだそう。

だから、女性もそうであっていい。
逆に、日本の女性は、母親としての自覚があり過ぎて、
自分の幸せも、夫婦の幸せも、家族の幸せも、
母親になった瞬間、全てを「母親としての幸せ」に統一しようとしてしまっている。

でも、そこを全部統一する必要はないし、
なんなら母親を忘れる日があってもいい。

この言葉、本当にもっと早くに出会っていたかったな。

そしたら、旦那と不仲になることもなく、
自分のやりたいことに時間を避けただろうし、

「母親じゃない自分」の解放感を味わうために、
不倫にだって手を出さなかったかもしれない。

まぁ全部あとの祭りですが。


「いい母親」であろうとすればするほど、
自分自身への枷はどんどん増えて、苦しくなっていく。
だったら、「母親は、母親になっても、自分のしたいことはなんでもできる!」って思った方が、ずっといい。

これから先、子供が成長してきた時。
いつかの自分のように、自分の家庭の在り方を不満に思う時がきます。


今のうちだったら、
毎日朝から夜まで保育園に預けてる
休日も、旦那がいない日はパソコンをいじってる時間が多い。

これに不満を感じて何かを言って来るかもしれない。

でも、逆にわたしが今、すでに独立して在宅ワークしていたとしても、
毎日家にいて、友達を自由に家に招けない
いつも家にいるから鬱陶しい。ほっといてほしい。

とか、違った側面からの不満が出てきます。

どうせ、子供には、
自分の人生がしんどいときは全部親のせいにされる。
だったら、「いい親」でいるより、
「自分のことを好きでいれる母親」の方が、よっぽどイキイキしてて素敵じゃないです?


だから、これからは
自分が気分よく過ごすためにはどうしたいか?
母親として
奥さんとして
1人の人間として。

いろんな側面から、自分のご機嫌をとっていきたいと思ったのでした。

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