止まれ見よ

新潟と鉄道 in沼垂 その1

では、予告記事通り、新潟の廃線についてまとめる。

まずは新潟近辺の鉄道の歴史をサラッとおさらいしてみる。

新潟に初めてできた鉄道は、現信越本線にあたる北越鉄道であり、明治32年沼垂から直江津間が全通した。ちなみにこのころは新潟-上野間に上り17時間20分、下り16時間50分もかかった時代である。

また明治37年に北越鉄道新潟-沼垂間が開業し、新潟駅開業した。

(初代新潟駅 明治期に撮影)

ここで一つ
今日、信越本線から学校まで電車を使って登校した人は考えてみてほしい。
越後石山駅から、新潟駅の間に、「沼垂駅」なんていう駅はあっただろうか。
いいや、ない。あるわけがないのである。
この駅は2010年に廃止されて、今は存在しないのである。

沼垂とは新潟駅から万代口方面に出て、佐渡汽船、新日本海フェリー乗り場へ向かう港方面の
土地の名前だ。今はひっそりとした町である。

実は、今の新潟駅は移転しており、初代新潟駅は異なる場所に存在していたのだ。
初代新潟駅は、今の新潟駅万代口近くの弁天公園のあたりに存在しており、線路自体も、一度沼垂駅を経由してから新潟駅に向かっていた。


それでは、「沼垂駅」とはいったい、どこに存在していた駅なのか?

簡単に言えば、新潟市立万代高校、明鏡高校である。この2校は沼垂駅の跡地に建設されている。

この沼垂駅、実は初代の新潟駅が開通するまでは、新潟の玄関口であった。
実はこの沼垂駅を一度経由してから新潟駅に列車は向かっていた。

今、新潟駅は活気にあふれている。新幹線も乗り入れるようになり、また現在高架化工事が絶賛進行中である。(やっと都会に追いついたかな…)

(現新潟駅)

(改築後の新潟駅ホーム)

また新潟駅からはBRTと呼ばれる連結バスも出ており、公共交通機関は進化し続けている。

それなのに、なぜ沼垂駅は見捨てられて、廃止されてしまったのか。

新潟市民ですらあまり知らないかつての玄関口に実際に赴き、歴史を辿ってみたいと思う。

昭和初期の地図

(ウィキペディアより) 新潟駅の前に、沼垂駅が存在している

それでは実際に行ってみた。

…その2へ…

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