見出し画像

世界文化遺産の地球科学的魅力(その6:今帰仁城跡)

世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する今帰仁城跡。

今帰仁城跡は、石灰岩の上に、石灰岩によって築城されたグスクです。しかし、琉球石灰岩とは無縁の、沖縄には珍しいグスクです。少なくともこれまでに連載してきた世界遺産に指定されたグスクに、琉球石灰岩と無縁なものはありません。沖縄のグスク全体を見渡す知識は私にはなく、憶測でしかないのですが、おそらく多くのグスク、もしかしたらほとんどのグスクが琉球石灰岩の上(主に段丘の縁)にあり、石垣にも琉球石灰岩が使われているのではないでしょうか。

グスクに使用される石の比較
(左から、今帰仁、勝連、中城、首里)

今帰仁城跡には、その珍しさを示す解説も展示されています。同じ石灰岩と言えども、琉球石灰岩と今帰仁石灰岩にはあまりにも大きな違いがあります。

アンモナイトの化石

今帰仁石灰岩から産出するアンモナイトの化石。アンモナイトは中生代に生きた古生物です。つまり、この地層は中生代、詳しくは三畳紀(またはトリアス紀)と呼ばれる時代に堆積したものです。この時代に堆積した地層を三畳系(またはトリアス系)と呼びます。

三畳系の層状石灰岩

海山の山頂に形成されるような、サンゴ礁がそのまま固まった石灰岩ではなく、層状の石灰岩であることがわかります。浅い海底で堆積環境のわずかな違いが繰り返され、炭酸カルシウムを骨格に持つ生物たちが、長い時間をかけてこの石灰岩をつくったのです。およそ2億4000万年くらい昔の出来事です。その後、この石灰岩をのせた海洋プレートが大陸プレートに向かって移動し、現在は大陸プレート側に位置する琉球弧の一部を構成しています。

私が風化をモニタリングしている調査サイト
(城壁の中の露頭にセンサーが設置されている)

石灰岩は、できるだけではなく、いずれなくなっていきます。物理的に破砕されるプロセスと、化学的に分解されるプロセスが組み合わされて、風化が進みます。このサイトではその地形学的なメカニズムを解明するためのモニタリングが行われています。

カンヒサクラの並木

ここはサクラの名所でもあります。しかし日本本土のソメイヨシノとは異なります。開花の時期も違っていて、毎年2月くらいがみどころです。ちなみにこの種のサクラは、台湾や東南アジアに広くみられ、タイ北部のチェンマイなどでは「タイサクラ」と呼ばれています。

今帰仁城跡から辺戸岬方面

今帰仁城跡のある本部半島は、玄武岩、石灰岩、チャート、泥岩・砂岩といった、付加体を構成する地層・岩石を一通り観察できます。いまいるグスクの高台は、石灰岩の山頂を削ってつくられたものです。この一帯には円錐形をした石灰岩のカルスト残丘がまとまって分布していて、その地形を活かしながら、かつ、切り立った山頂に改変を加えて、グスクがつくられたと考えられます。

今帰仁城跡の石垣

石垣に使われているのは、当然ながら、その場で採石できる層状石灰岩です。層状であるゆえに、切り出しもやりやすかったのでしょう。グスクの石垣からアンモナイトなどの化石がみつかることもしばしばあります。

石垣の修復

しかし、石垣の修復に使われている石には、色合いからもわかると思いますが、ちょっと違うものが混ざっています。混ざっているのは、本部半島の南側にまとまって産する塊状石灰岩です。この石灰岩が堆積した時代は古生代ペルム紀で、三畳紀にできた層状石灰岩より、数千万年ほど古いものです。本部半島南部には、このペルム系石灰岩の大規模な採石場があり、採掘された石灰石や、それを加工したセメントが、沖縄島の各地で使われています。

縁石も敷き詰められた砂利も採石場から運ばれた

今帰仁城跡の整備や修復にも、採石場から持ってきた石を使うのが合理的でしょう。しかし、ペルム紀と三畳紀の間には生物の大量絶滅イベントがあり、生物骨格がつくる石灰岩としては、やはりギャップを意識せざるを得ません。歩道はともかく、城壁については、三畳系の層状石灰岩を使って修復してほしい気もしますが・・・。

調査日:2020年6月27日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?