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斎場御嶽でブラタモリ(その0)

2020年の元日、NHKで「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 新春!沖縄スペシャル」が放送されました。まずは、視聴いただいた皆さまに感謝します。わたしは案内人として3回目の登場になりましたが、いくつかの点で、最も「やりやすかった回」でした。番組で扱われたサイトの解説と、個人的な感想を、6回に分けて記述しておこうと思います。

今年で5回目になる新春のコラボスペシャルは、タモリさんと鶴瓶師匠のコラボパート、それぞれのパート、さらにスタジオ収録が盛り込まれます。したがって、相当に尺が厳しくなります。しかし、わたしが担当した地形の解説は、本質が的確に整理されていました。むしろ、贅肉が削がれて、骨格が浮き彫りになり、論旨が明確になっていたと思います。

NHKのチーフ・プロデューサーから連絡をいただき、那覇でお会いしたのが始まりでしたが、斎場御嶽を考えていらっしゃると伺ったときは、正直「そういえば、そんなところもあったな」というくらいの印象しかありませんでした。2013年度に野外巡検で学生を連れていきましたが、そのときは沖縄島南部を巡った最後に立ち寄っただけで、最高位の聖地ゆえか体調がおかしくなる学生が出た記憶くらいしかなかったのです。つまり、ほとんど何もわからないサイトと言っていい状態でした。

そうは言っても、わたしも一応、専門家の端くれですから、チーフ・プロデューサーから数枚の写真を見せられると、巡検のとき観察した事実をすぐに思い出しました。わたしに課された任務は、言うまでもなく「斎場御嶽の地形がどうやってできたか」です。数枚の写真から「これはおそらく○○の証拠、それはおそらく●●の証拠」と、いくつかの仮説を提示しました。もちろん、改めて現場を観察する必要があるという前提で・・・

地形の解釈に入る前に、斎場御嶽が世間にどのように認識されているかをみておきましょう。斎場御嶽は、世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成するサイトのひとつです。ユネスコのWebサイトは、それらの遺産群を、次のように紹介しています。

統一を達成し、中国、韓国、東南アジアと日本との仲介貿易で大きな役割を演じた14世紀後半から18世紀末の間の、琉球王国の特徴を表す文化遺産群。グスクと呼ばれる城塞建築が集中する沖縄本島中部を中心に、国頭から島尻にかけての次の9遺産が登録された。今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽で、重要文化財2棟、史跡7、特別名勝1が含まれている。

出典 http://whc.unesco.org/ja/list/972

文化遺産ですから、当たり前ではありますが、文化的価値は詳しく評価され、広く知られています。羅列された9つのサイトを訪問されたことのある方も、たくさんいらっしゃるでしょう。しかし、これらのサイトの自然環境を考えたことのある方は、あまりいないはずです。

これらの遺産群でポイントになるのは、いわゆる「琉球石灰岩」と呼ばれる、第四系の琉球層群として堆積した石灰岩です。琉球石灰岩は、今帰仁城跡を除く全ての城跡や、首里にある園比屋武御嶽石門などに使用されているほか、首里城跡や斎場御嶽では露頭として確認できます。首里城跡については、ブラタモリ(#32 沖縄・首里)で案内・解説したとおりで、次の2つの記事で、地形断面図に基づく解説と、首里城跡の地球科学的な魅力を紹介してあります。

JGLトピックスから

地球科学者からみた首里城火災

さて、斎場御嶽ですが、ここは琉球王国時代の最高位の聖地とされ、いくつかの拝所が点在します。それらの拝所の中で、ブラタモリでは「寄満:ゆいんち」「大庫理:うふぐーい」「三庫理:さんぐーい」に着目しました。いずれも同じ名称の空間が首里城にも存在する、重要な拝所です。斎場御嶽の地形を読み解くときも、これら3つの拝所はポイントになります。次回は、まず「寄満」を解説しましょう。

斎場御嶽でブラタモリ(その1:寄満)


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