秋の演舞場で照くんの声を聴いた。


10/4〜10/28の約1ヶ月間、全35公演行われた「少年たち 闇を突き抜けて」の千秋楽から丁度1ヶ月の今日。

すっかり肌寒くなり、街も冬の匂いを纏うようになってだいぶ時差となってしまいましたが、「少年たち 闇を突き抜けて」を観劇した感想や考察諸々を書こうと思います。


※ある程度書きたい箇所をまとめたりしてみたのですが、普段140字以内の制限で好き勝手呟いてる身としては、このような長文を書くことに慣れておらず全くまとまりませんでした…支離滅裂な文になってますがご了承ください。


0-事前情報
少年たちに関しては、Jr.を掛け持ちしていることもあり、2021年と2022年のHi美主演のもののみ現地で観劇しています。なので、主に私の感想文の比較対象は去年の少年たちです。(一昨年はほぼ何も覚えていないので)



「照くんの演出(=概念)」を初めて見たのは2023年1月に観劇した「JOHNNY's World Next Stage」でした。既存の振付がJr.達もオタクも体に染み付いている「硝子の少年」が超絶岩本節へと変わっていた衝撃と、スクリーンに「Hikaru Iwamoto」と名前が載った時の感動は今でも鮮明に覚えています。

たった3-4分で岩本照が作る世界・岩本照という概念に魅了された私は少年たちが発表された時に絶対に行く、行く以外考えられない絶対に勝ち取ると決意しました。


迎えた初日。

秋の演舞場に照くんの声が響き渡りました。


開始5分も経たず大号泣。一発で「こいつ岩本担だな」とバレる泣き方をしていました(草)。

滝沢歌舞伎で毎年春に聴けるWITH LOVE前の照くんの声。照くんはそこに存在していないものの、春の演舞場でしか聴くことが出来ないその声が私は大好きで。今年の春に「これが人生最後であると覚悟しないといけない」とボロボロに泣きながら聴いたあの声、まさかこんなに早く聴けると思っていませんでした。

当たり前ですが、相変わらず凛々しくそれでいて優しく芯が通った照くんの声にはちゃめちゃ泣かされた私は初日、冒頭の記憶があやふやになりました⬅️

そんな私の爆泣き感情はさておき、


今回の舞台の演出部分に関しての感想を総括すると照くんは、

空間・時間・物語の奥行きを視覚的に生み出すのが上手い人

なのだと感じました。


冒頭スライドのように緑が生い茂った紗幕が流れる公園シーンがもう既に凄かった。

カラオケ行きたい
➡️カラオケ閉まってんじゃん…
面白いことねぇかな
➡️バイト休むわ!バイトなんかしてたら面白いこと巡り合わないし!

等々、紗幕(緑)が動くことで登場しているJr.達の少しだけ変化するセリフがポイントで、紗幕を利用することで単純に上手や下手からJr.を登場させるんじゃなくて緑の後ろから手前に出てきたかのように錯覚させる空間の奥行きと、紗幕で時間を表現する時間の奥行きをこの数分のシーンで物凄く感じました。

この後戦争シーンへと移り変わる際、背景が公園のシーンでは普段と変わらないビルの街並みだったのがタイショーの語りではセピア色に変化し、戦時中は音と共に背景のビルも空襲を受け、千井野のソロシーンではボロボロのビルへと変化していきます。背景をそれぞれ戦前・戦後のみで差し替えることも出来たはずなのに一貫して同じ街並みで。それが「何気ない日常が壊れていく様」を表しているのがすごく伝わってきて、この背景の変化に気づいた時、観劇しながらあまりの演出の細かさに声出そうになりました()。

そして戦時中の話でもう1つ。Jr.達がどんどん撃たれていくのですが、これまた紗幕の使い方が上手いんです照くん。紗幕に銃の硝煙(?)を映し、その後ろにJr.を立たせることで本当に撃たれたかのように錯覚させる、この見せ方凄すぎる。

これだけリアルに拘っているのに、音に合わせて割とリズミカルに撃たれて倒れていく感じ、Jr.の逃げ方がフォーメーションガチガチなところが私はより好きでした。リアルに寄せるのなら映像作品の方がきっと寄せれる、舞台はリアルに寄せることが全てじゃないというのが私の考えなのでその考えに一致した演出でした。

時は進んでrivalのウキショとナスのシーン。ここも、大道具だけで言えば階段が上下に2つしかないシンプルな舞台ですが、背景がボイラー室のようなものになっていることによって、観劇側にわざわざ言葉で言わなくてもボイラー室だと分からせる、この「視覚的に現在の状況を観劇側に伝える」というのが去年や一昨年までの少年たちとの大きな違いだと思いました。

去年までの2年間、ユウトとタイショーによるrivalでしたが、「今いる場所はどこなのか」「何故ユウトとタイショーが同じ部屋に連れてこられたのか」というのがあまり明確にされていなかった記憶です(間違ってたらごめん。少なくとも去年の少年たちでは、いきなりユウトが掃除しているところにタイショーが看守長に連れてこられた、はず。)

正直rival以外にも、今年の少年たちを見たおかげで「そういえばこのシーン去年ではなんで…?って感じたところだったな」と色々思い出したくらい、割とストーリーがバツバツでした。ちなみに、去年も一昨年も少年たち大好きマンなので貶してるわけじゃないです。去年は特にストーリー性というよりもユウトとタイショー、ハシモトとナス、ウキショとサクマ、イガリとフジイ、リュウガとミズキのそれぞれの見せ場に重きを置かれてるような構成だったので、今年とはそもそもの作り方が異なります。

例えばこのrival。ウキショとナスがボイラー室で合致する前、看守長登場シーン後、上手で看守長が看守に何かを囁くシーンが差し込まれています。「…ウキショとナスを?いやしかし…(看守)」「いいからやれ(看守長)」のやり取りからまず、「看守長がウキショとナスに何かを仕掛けた」と感じることが出来ます。そして「懲罰房(その後)」にて看守が「ウキショとナスはボイラー室掃除だ」と言ってナスを連れていきます。こうして1つ1つ流れがあることで、ウキショが突然階段から出てきても背景とウキショの2要素で「ここはボイラー室なんだ」「今からきっとナスが来るんだ」と観劇側は瞬時に察することが出来るのです。

話は脱線しますが、同じように感じる部分が他にもいくつかあって。

ナスが拷問に入れられているのも、最初からナスが1番看守長を煽り反抗して看守長がナスのことを気に食わなかったという背景があるし、そもそも看守長の登場シーン、何故ナスリュもその他3人も看守長を煽れたのかというのは、「タイショー以外の5人が新入りで看守長の存在を知らなかった」という背景があるからでした。

もっと細かい話をすると、看守長が登場する直前の「あの人が来る!!」だったり、脱獄前「警備多くねぇか?」は、直前で看守長が「近々あいつらは脱獄する」と脱獄計画に勘づいているシーンがあるためだったり…

照くんの演出ではこのように1つの出来事に対して必ず「何故その流れでそうなったのか」が描かれているのが、より少年たち本編を1つの作品として途中で我に返ったり「ん?」とならずに見ることができる1つの理由なんだろうなと思いました。つまりは、伏線張るのも回収するのも上手。

そして運動場の草むしり〜食事シーン。ここが1番「時間の流れ」を感じることが出来たシーンだと思います。廻り舞台を利用し、1つ1つのシーンを繋げており、その全てのシーンがタイショー視点で描かれているのが主人公=タイショーであるというのが明確にされていて、作品として見やすかったです。

舞台に限らず物語には必ず主人公がいるべきで、その人を軸として進めることで自担じゃなくて作品を感じたい人にとって追いやすい構図だな、と感じました。特に今回の少年たちって美担だけじゃなくて岩本担(スノ担)の観劇多かったと思うし例年よりも「全体を感じたい・ストーリーを追いたい」と思っている人達が多かったと思うので、そういう人たちにとって見やすかったのではないかと思います。

この廻り舞台だけではなく、基本的にどのペアの曲にもタイショーが居て、「タイショー+美5人」という構図とタイショーが新入りの5人とどんどん仲良くなっていく、という話の流れがとても分かりやすかったです。主人公であるタイショーから話の軸を動かさなかったことによって全体のシーンに統一性が生まれたのではないかと感じました。

少し飛んで2幕脱獄シーン、すっぽんの利用方法があまりにも可愛く、舞台の幅を超えてすっぽんを利用することでより空間の奥行きが広がっていたのを感じました。舞台上では看守が警備しているのをすっぽんから顔を出して覗く囚人達、の構図が花道にあるすっぽんから覗くからこそ出来た立体感でした。

舞台上で「囚人が看守の警備を確認するために覗く」ことと「看守が警備している」を両立するのは至難の業であり、舞台上だけで表現しようとすると、どう頑張っても平面にしか見えなくなることと思います。そこをすっぽんを利用することによって空間を横に広げるのではなく前後に広げるのが凄いな、と感じました。

最後の5人+タイショーが集まるシーンも、叫んだ後リュウガは紗幕の前、タイショーは紗幕の後ろに立っているのもどことなく世界の境界線を感じ、奥行きが感じられます。リュウガとタイショーの間には越えられない一線があるような、まるで生の世界と死の世界を感じさせるような演出でした。

だいぶ時が進んでしまったので、一旦懲罰房(夜)の話をさせて欲しいのですがこの際、水がポチャン…ポチャン…と左右から聞こえるのが、舞台上だけではなく演舞場全体を懲罰房にしてしまう空間が急激に舞台を立体に感じさせました。

同じように幕間で2幕で使用する道を掘ってるような音が定期的になっていたり、戦争シーンのアナウンスも左右で違う音が聞こえてきたり、視覚だけではなく「聴覚」の部分でも空間に奥行きを醸し出す岩本照って凄いなあ…と感じました。


また照くんの演出は、

ライトが凄い。

とにかく「シルエット」。何度も舞台上がヤムヤム状態になってました(言い方)。しかも、照くんのライトの当て方は「焦点を当て踊っているメンバーは白、間奏や待機しているメンバーは赤(青)」というのが多かったのですが、これがま〜〜〜〜〜〜たまらんのです。

特にシルエットを感じたのは「時の彼方」と「闇を突き抜けて」。

時の彼方では、青チームが登場する前、音に合わせて赤→青とライトが美5人に当てられます。この時、5人の顔は見えません。暗闇の状態で赤青のライトがそれぞれ当たることで、戦争と時の彼方の場面転換がハッキリしているのを感じると同時に「今から物語が始まるぞ」という観劇側に高揚感を与える瞬間でした。

「闇を突き抜けて」では、照くんが1番気にしていたこともあり、色々な所に照くんの拘りを感じました。

それぞれ赤と青のライトで照らしていたのにラスサビでは紫のライトになっていたり、それこそこの闇突きの間奏で「踊っているメンバーは白、待機するメンバーは赤(青)」の構図が見れますが、なんというか私が今まで見てきたもの?常識?と真逆で驚きました。色のライトは観客の視線をそこに集めたい時に使うもの、だと感じていたので照くんのライトの使い方を見て、「視線を集めると言うよりかはダンスを綺麗に見せることに重きを置いているのかな」と感じました。実際、少年たち中ライトが邪魔でダンスが見えないという状況は無く、寧ろ踊ってる時こそ白いライトで明るかったような気がします。

また、rivalでもこのライトが大活躍します。

rivalでは、赤と青の対立が描かれているのが一般的だと思うのですが、今回の2人の関係性的に「ウキショ→ナス」で。最初の登場でウキショは上手から、ナスは下手から降り、上と下で立ち位置が分かれているのは2人の現在の対立している状況を表していましたが、2番ではナスは最下手、ウキショは最上手でそれぞれ外を向いて歌っていました。この際、下からウキナスは赤青のライトで照らされ、後ろにウキナスの影が映るのですがリアルでは2人が外を向いているため、ライトに映った2人の影は内側を向いているんです。

また、2人の立ち位置は端と端なのに影は隣同士中央でくっついている状態。これは、「理不尽な戦争によって対立してしまった2人だけど実は互いに大切な存在だと思っている心の距離」を表しているのではないかな、と。対立してるようで、対立じゃない。これが結構今回のポイントなんだろうと個人的に感じました。

本編じゃなくSHOW TIMEだとFlickyの登場も「シルエット」でした。6人が横1で並んでいて、シルエットから形が見える感じ。登場にシルエットを使うことで客の高揚感を煽ってるなーと感じたし、私はそう言う演出が大の好物だったので嬉しかったです。


そして、

美少年、成長しすぎ

これに関しては、声を大にして言いたい。拡声器使って言いたいレベル。間違いなく去年と段違いの演技力・声量・滑舌でした。圧巻。

一昨年から去年、演舞場から御園座と、着実にHiHi Jetsも美少年もレベルアップしていたのを感じていましたが、その全てを初日で覆してしまうくらいのものでした。しかもさらにビックリしたのが、観劇する度に感じた彼らの成長具合。特にえぐかったのは、初日→5昼の半日で見違えるくらい上手くなっていたこと。今までの美少年を覆してしまうほどの衝撃だった初日が霞んでしまう程見違えるほど上手くなっていました。諸々。

もはや悔しいレベル。HiHi Jetsにも同じ場が与えられていたら、もしかしたら私の知らない成長具合を知れたのかもしれない、と。そんな場が与えられている美少年が本当に羨ましくなってしまうくらい、今年の少年たちの美少年達は凄かったです。

去年、照くんが単独主演舞台に立ち、色んな役・色んな長セリフ・曲を歌いながら踊りながら演技して得たものがここで活きたのかな、なんて思ったり。

特に驚いたのは藤井くんの発声・間のとり方と、大昇の細かい演技。

藤井くんの声ってすごく特徴的で個人的に演技をするのにしては藤井くんの自我がでてきやすくて向いてないのかななんて思っていましたが少年たちで聞いた藤井くんの声は一味違いました。というか、入る度にどんどん声の深さが増していったように感じました。こんな声も出るんだ!?と感じるくらい。特に「スマホの何人かは死んだ…」と客席降りて語るシーン、藤井くんから目が離せなくなり全然冒頭なのに1つ1つ噛み締めながら悔しさを堪えながら語る姿に冒頭シーンなのに涙が出そうになるくらいの迫力でした。

そして大昇の細かい、けど伝わりやすい演技。今回の少年たち、初日で衝撃を受けた私はその次の公演からタイショーの顔や仕草に注目するようになりました。そのおかげかタイショーの細かい表情の演技を見ることが出来たのですが、どの演技も好きすぎて抜粋しようにも出来ませんでした。

まず懲罰房(夜)にて、日記を看守のせいで落としてしまうシーン。静かに拾って日記についた埃を払い、ギュッと大事そうに抱きしめます。その後立上がる時は膝の埃を払い、看守とカナサシ・フジイのやり取りを不思議そうに首を傾げます。

また、看守長の初登場シーン、タイショーは最初から怯えていますが、2段階に分かれていました。出てきた時には手を握りしめて震えており、看守長がナスリュを殴ると頭を抱えてしゃがんで震えるんです。最初にこの演技に気づいた時に、タイショーに台詞が無いシーンで、舞台の端で、注目されてない時にタイショーはこの演技をするんだ、と驚きました。この後パンフを読み「台詞に対してどう思ってるか考えて動いて」「舞台上では自分のセリフがない時でもそのキャラクターとして演技をして」と照くんがJr.達に伝えていることを知り、尚更あの演技をしたタイショーに脱帽しました。

さらに言うと脱獄シーンなんかは顕著にタイショーの細かさが現れています。このシーンはタイショーが記憶喪失の中つくりあげた刑務所の中の日常を自ら壊すことで皆の日常を守ってあげる決断をする大事なシーンであり、タイショーの「戸惑い」や「決意」の表情が所々で見えます。表情だけでなく台詞でも「僕が囮になる…俺が囮になる!」と一人称が変化しているところも、後に故意的と分かり、私の頭を悩ませる一因となりました⬅️草

後半公演では、これらの演技に加えてブランコの丘にて踊る時は手をグーにして上にあげていることでより子供らしく見せていたり、台詞と台詞の間で鼻歌を歌うようになっていたり、懲罰房(夜)で青チームと会話する時下を向いてンフフと笑っていたり。「僕の夢」から「俺の夢」へと一人称が変わるポイントが増えていたり、細かい演技が更に細かくなっていました。

全体的な話をすると、去年ある公演に入った時台詞はカミカミで滑舌もままならずあまり台詞を聞き取れなかった公演があったのですが(小声)、今年は美少年それぞれ、各々の滑舌レベルはあれど物凄く台詞が聞き取りやすかったなと。台詞が入ってこないことには考察もままならないし、感情移入もできなくなるので、良い成長だなあと。⬅️語彙が見つからず絶妙に上から目線コメントになってしまいすみません。


照くんが作り上げた少年たちはとにかく無駄がない、それでいて情報量が過去一多い、必要な部分だけを取り出して全てを詰め込んだみたいな舞台でした。10月は毎日毎日考察を垂れ流して、会う友達には永遠に自分の考察を聞かせ、本当にウザがられそうなレベルまで聞かせて(最悪)、必死に照くんの作品、照くんが伝えたかったこと、それら全てを汲み取ろうとした1ヶ月間でした。

ラストの衝撃シーンが全ての始まりで、まんまと照くんの手のひらで転がされた1ヶ月間だったように思います。個人的に今回のような「オープンエンド」はあまり好きではなかったのですが、少年たちのおかげで良さに気づけました。答えがあるのなら知るに越したことはないですが、オープンエンドにすることで、人の解釈が聞けたのが面白かったです。まるでInfighterの時に「見た人の話がすれ違えばすれ違うだけ面白い」と言っていたあの感覚、やっと理解出来ました。

照くんは「考えさせる人」だと那須と藤井くんは言っていました。まさにその通りだと思います。関ジャムやSWITCHにて話さなかったらCFBの解釈だったり、Infighterの解釈なんてオタクには一生分からなかったはず、今回のこの少年たちも正解はきっと語られないことでしょう。でもそれがいい。各々のエンドを持っていて、各々のタイショーの物語を作り、伝えたいメッセージを解釈する、それが今回の舞台の醍醐味なんだな、と感じます。

ちなみに私の考察は、

タイショーは看守長の家族を殺してしまった少年。理由は「自分の家族を奪った兵士が憎く、同じ目に遭わせるため。」家族を奪われた側のタイショーが今度は家族を奪う側に立つ。家族を奪われた看守長は殺した少年を憎むように。記憶喪失後、5人のことを家族のように大事にし、刑務所での生活から離れたくないと思うタイショーだが「夢の世界」にてフジイの弟の病態が悪化した話を聞いた時、全ての記憶が戻る。その後、看守長「少年を憎んでるから、お前らを刑務所から出さない」発言で、「看守長は自分のせいで少年を憎み、そして家族同等に大事になった仲間の大事な家族までも自分が発端で奪うことになるかもしれない」と罪悪感が生まれる。「5人と一緒にいたい」「フジイの弟のために脱獄を手伝いたい」という記憶喪失前と後の感情が混沌するが、最終的に「自分の命を犠牲にすることで全ての罪を償う」決意をする。 ブランコの丘(3本)、あいつの分まで生きる(5本)で映っていた向日葵達は、タイショーにとって「家族同等に大事な人」の象徴であり、タイショーがラスト、警棒(=看守長/戦争の象徴)で向日葵を叩き斬るのはそんな大事な人達との日常を奪われた/自分が奪ってしまったことを示唆している(向日葵をタイショーが斬ることでタイショーが家族を奪ったと感じることもできるし、警棒で斬ることで戦争によって家族が奪われたと感じることもできる)と同時に、戦争(=警棒)によってありふれた日常や大切なものたち(=向日葵)は理不尽に壊される(=叩き斬る)ことを伝えたかった。

です。1か月前の記憶を呼び起こしながら書いたので所々変かもしれませんが大体この考察で最終的に固めていました。

何度でも見たい、何度でも通いたい。自担が居ないのにそう思わせてくれるような今回の少年たち、社交辞令無し贔屓目無しに最高でした。この先ずっと少年たちの演出をし続けて欲しい、と思ってしまうくらい。

照くんはパンフレットで「当たり前の日常こそが幸せなんだ」というのが大きなテーマだと話していました。照くんが沖縄やラスベガスにまで行き演出の勉強までして落とし込んだこの少年たち 闇を突き抜けては、一生語り継いでいきたい舞台だな、と感じました。

初日で巻き起こった拍手の音と、千秋楽の拍手の音は忘れません。あれほどまでに岩本担として自担を誇りに感じる瞬間は早々ないと思います。この先、演出の仕事をする度に照くんのこと誇りに思いますが、「初めて」のこの感情を超えることはきっと無いと言い切れるくらい、それくらい、あのスクリーンで流れた大きな「岩本照」の文字と、拍手は感動ものでした。

正直始めは、HiHi Jetsが居ないことに落胆し、美少年だけ…?と思ったこともありましたが今となっては胸を張って言えます。照くんの初演出作品の主演が美少年で良かった、と。本当にありがとう。そして色んな媒体で色んな照くんの話・少年たちの話をしてくれてありがとう。

いつかまた、照くんの演出作品が増える日が来ますように。そして、いつか照くんが単独主演・演出・振付の1人舞台をやるという私の夢が現実となる日が来ますように。

ここまでお読み頂き、本当にありがとうございました。



追記:ここからは、抜粋した私の好きなシーン、語りたい所をひたすらに述べてます。

・なすりゅ
数年前なすりゅ厨をしていた拗らせなすりゅ妖怪の私は、今回なすりゅ厨人格を取り戻し、かつてのように大沸きしました。

特に俺たちは上等でハイタッチするシーンや、闇突きのラスサビで向き合って歌うところ。そしてうきなすのような役の関係性はなくても1番対立していており、今までのゆとたいのような立ち位置がこの2人に私は感じたのですが、照くんは、「事前情報は最低限に。あとはその場で演技や雰囲気を見て決める(ニュアンス)」と言っていたのでやはり抗えないシンメ………と悶え苦しみました。感謝です。

・Flicky
いやもう…やばくない?(語彙力)

龍我のベレー帽+サングラス+シャネルのピアスで激沸きですよ。そしてピアスがなんてったって日替わり。頭抱えましたこれ。個人的に好きだったのは、サビ前のテーーーーンで🫡で上手見てたり2番は指さして下手見てたりするところと、サビのフリッキィィィ3回目で囁きボイスになる時に視線だけ下手に向けながら、アイソレして✋😏(耳に手を添えてる)ってなってる所⬅️伝われ

あと2番は最高フィーバーなすりゅタイムです。その後移動したあとも、パーテーション(??)の向こう側でなすりゅ並んでたってたのも美味しかったですご馳走様でした。

・じれったいね/単純なラブソング
まーーーー良かった。初めて「じれったいね」を聞いたのですが、ド好みでした。1発で少年隊さんの曲だと分かり、即調べました⬅️

基本的に千井野と阿達しか顔と名前が一致しているJr.がいなかったのでこの2人を追いかけることが多かったのですが、千秋楽にて木村来士くんを追いかけてみたところ、危うく沼落ち寸前でした。可愛かった。

木村来士くんに関しては、じれったいねよりも「単純なラブソング」の時の方がスーパーキューティーでした。サビでウインクしたの見て心臓撃ち抜かれてしまった、初日で見つけていたら多分固定で追いかけていただろうなという逸材。

・Sing It
少年たちのおかげで好きになった曲。Hi美合同の現場でしか美少年のことを見れなかった私は、赤衣装を見るのも2021年振り、Sing Itは2022年のジャニアイぶりでした。

龍我ちゃんがキラキラアイドルすぎて眩しかった記憶です。というか、2021年のスパボ赤衣装がとんでもなく好きな私は問答無用でSing It大好きになりました(チョロ)。龍我ちゃんってやっぱりフレアパンツがとっても似合う人なんですよね。このスパボ衣装から龍我の衣装はフレアパンツ率が上がったような気がします。

初めて聞いた時(帝劇)は、そこまで刺さっていなかったのに少年たちで聞いてから暫くはSing It聞き続けていました⬅️

・書き忘れていた千井野のシーン
戦後の舞台上で、死体が転がっている中たった1人千井野が現れるシーン。足を引きずり、転がっている死体を揺さぶり、誰からも応答がない中必死に飲み物を探す。ここまでの千井野の動きや声も大好きなのですが私はそれ以上にこの後が好きなんです。

ようやく飲み物らしきものを見つけ、飲もうと上を向くが中は空っぽ。失望して空瓶を投げつけて、最後は叫んで暗転し、シーンが変わります。

このシーンの何がすごいかって「飲み物も瓶も舞台上に存在していないこと」なんです。

文だけじゃ伝わらなさすぎて本当に映像化したのならまず一番最初に見せたいくらい。このシーンは「飲み物は存在していないのに千井野の演技力と、音声でそこに飲み物が存在したかのように見せている」シーンなんです。初日観劇した時、本当に飲み物がそこにあると錯覚するくらいでした。

喉がカラカラでやっと見つけたそれらしきものに手を伸ばして、人のものだろうと関係なくて。精神状態もギリギリなのに見つけた"それ"はただの空瓶、というすごく細かいんだけど希望→失望への流れが綺麗でリアルだったんです。大袈裟ではなかったのが良かった。

と、約半年経った今でも鮮明に覚えているシーンの1つです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?