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【世界の証明】作品紹介と、禅思想の扱いの問題点について。

 自分は、思想アート業界や、社会に革新を起こそうとするIT企業などを中心に蔓延している、禅思想のようなものが、社会にはびこる虚しさの原因になっていると考えている。

 ありもしない、精神の到達点や、存在の境地の様な場所に、幻想を抱いたがゆえに、他人との比較や、虚しさが生まれると考えているからだ。

 そういった思想を高潔なものであるとみなし、その理念に基づいた社会にしようとしている彼らの1番の問題点は、

 あくまで人間社会を論じる体裁でありながらも、人間である自らの欲望や感情、終いにはその存在までもを無視した主張を展開してしまう矛盾点にある。

 だから例えば、世界は本当はひとつなんだ!境界なんていらないんだ!なんて言葉を、飲み屋のネーチャン大好きなグローバリストの敏腕経営者なんかが、その身その欲望を持って語っているのを聞いたら、僕はその言葉からは、ただの異常な性欲や人間の未熟さのようなものばかり感じてしまうし、間違っても、人間という概念を持て余すしかない思想なんて語らないで欲しいと思ってしまう。

 要するにそこには、俺が世界を平和にして、ヒーローになってモテたい!という、虚栄心や自己顕示欲、下心だって蠢いているわけだ。それが一概に悪いとは言えないし、純粋な衝動として、その理念を持っている人達もいるのかもしれないが、やはりそういった人達の欲望がぶつかり合って、争いや悲しみが生まれているのは事実だ。
 そしてその現実を完全に無視し、社会平和が語られ、システムばかりが思案されている現実に、僕は違和感、嘘ばかり感じている。

 実際、ネーチャンのいる飲み屋なんて、たかが数十坪の店内に、どれだけ境界が発生していると思っているんだ。そこで、所得も容姿も人気も違うそれぞれが楽しむ方法なんて、それぞれが自分なりの楽しみ方を見つけるしかないだろう。

 つまり人間社会に必要なものは、共感や統合を強いることではなく、人と人との境界を明確にし、それぞれのパーソナリティを尊重しやすい状態にすることだ。

 それには人々が、もう少し自らの存在と向き合えるようになることが必要なわけだけれど、今の世の中は、今言った様に、グローバリゼーションやポリコレが益々加速し続けているわけだから、そんな世界で、自分だけと向き合うのはなかなか大変だろう。 

 そして更に、そこにAiまで入ってきて、感情や思想までもを是正しようとしてくる始末なので、おそらく今後、人の心の虚しさはさらに加速していってしまうのだと僕は考えている。例えそれが、科学技術や生活環境が充実した社会であっても。

 以上のことを踏まえ僕は、そういった人間の感情、ひいては思想の論拠までを汲み取った社会哲学的内容と、禅思想から虚無を取り除いたような、そこには向かう先すらなく、ただ自らの存在と向き合うしかないという事実を表す【存在論的問答の究極の結論】を「誰にでもわかる平易な言語表現のみを用い」わずか70Pに満たない一冊の本に纏め上げることに成功しました。

 つまりこの本は、宇宙科学における宇宙の始まりのような話や、存在や意識の根源的な謎についても明らかにしています。

「主観に始まりそのまま俯瞰を包摂するような、通常ではありえない論理を展開しました」

 理念としてはマインドフルネス的だとは思いますが、あれはあくまで理念であり、僕の作り出した内容はその【証明】です。社会に蔓延る、他人の人生を気にし、他人の価値観の中に答えを求め、ありもしない精神の境地のような場所に幻想を抱きながら、虚しさを抱えて生きる道を選んだ人間達が、少しでも、自らの存在に対する誇りを取り戻せるきっかけになればと、願いを込めて書いた本です。

【世界の証明】

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