手段が目的になっていることって気づけない。#30

つい今日実感したことなのですが、
「手段が目的になっていることって、案外気づけないものだなぁ」と。

前までは、「いやいやそんなことないでしょ!」と思っていたのですが、
そんなことありました。

自分の場合は、ある目的を達成するための手段として作っていたものがあって、
目的に向かって走っていたはずが、
その手段を作り上げることが目的になっていたのです。

しかも、初めてやることであるのと、余計なことを考えることの雁字搦めになって、手探りで進めていたため、最終目的とはちょっとずれた方向に進んでいました。

言い訳をするならば「初めてであったから、どうすれば良いかわからなくて」ってことなのですが、それもまた単なる言い訳にすぎないのです。

しかも作るにあたって、いかに作るか、どうやったら上司に承認を取れるのかみたいなことを考えながら作ろうとしていたので、目的を達成するための進路からちょっとずれていました。

特に今回は、現状把握→課題の洗い出し→解決策の洗い出し→そのための実施事項→…みたいな道筋も立てようとせずに、作ることに真正面から突き進んでは、まっすぐ登る道の傾度があまりにも急で滑り落ちて、ってな具合だったので、何にも進んでないところが、また痛い。

それに、以前「商売人には愛が必要だと思った話。#17」で書いていた、愛を持って取り組むことが大切だということをどうも実践できていないようでした。無念。

わかっているのに、視野が狭くなるとどうしても見えなくなる。

その打開策は、まだまだ広い視野を持っている人に積極的に聞くことなんですよね。
それすらもできていなかったな、なんてことも反省していました。

反省することは、塵が積もるどころか、砂利が積もったぐらいにたんまりとあってボリューミーな山を築いてくれちゃっているので、当分はその砂利たちひとつひとつと向き合いながら過ごす日々が続きそうです。

今年は、色んな意味でしっかりと自己管理できるようになって「手段」と「目的」を冷静に見つめられるようになっていこうと思います。

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