アンコールビールは僕に世界の見方を教えてくれた

自分はビールが心の底から苦手だ。どんなに目上の方との1杯目でも、店員さんがテーブル全体の手の上げ方的に全員ビールだろうと推測してハンディ(注文を送信する機械)でビールを人数分打ち込もうとしててもおれは「すいません、一つだけハイボール濃いめでお願いします!」と言い放つ。逃げているわけではない。何回もビールと向き合い、飲めるように、いや好きになるように努力してきた。なんせ僕が大学時代に学んだ唯一のことは飲み会という戦場をいかに勝ち抜くかという今も昔も変わらぬ不変的なテーマだからだ。しかし成人してから5年、ビールが本当にうまい、腹の底からうまいかもと感じたのは忘れもしないカンボジア・シェムリアップ(アンコールワットやアジア1でかい湖であるトンレサップのある地域一帯)で出会った露店商とのあの1杯だけだ。

2019年7月、忘れ物大明神の異名を持つ私神田は、荷物のトリプルチェックを済ませ空港に向かった。途中、八重洲の家電量販店で忘れ物のピンマイクを買っていたこともあり飛行機の搭乗時間はとうに過ぎていたが、「現地で友人の結婚式のスピーチを任せられている、おれが間に合わないと結婚式は成立しなくなり大変なことになる」とほざきちらし、なんとか搭乗できた。無愛想でもこういう人間味あふれる対応はアジア系LCCの隠れいいところ。こうして、タイ・スワンナプーム空港を経由してカンボジア・シェムリアップに到着した。僕はカンボジアのビザの手続きが本当に好きでこれを見るために来たと言っても過言ではない。まず、ビザを獲得するためになぜかキレ気味の審査官にパスポートと30USドルを手渡す(カンボジアの通貨はリエルだが、あまりにも貨幣価値が低いのでUSドルでやりとりするのが基本)。そうするとハエが食事中の人間にシッシとやられるかの如く後ろで待ってろと言われる。さあ、ここからが魅せ場だ。カウンターに横1列に並んだ審査官が僕のパスポートにスタンプを押して右へ、スタンプを押して右へ、これを何度か繰り返し、最後に待ち構えるエースがダダダダダダっとまたスタンプを押しまくる。人間スタンプベルトコンベアとでもいうべきか、この流れは見事であり、実に滑稽である。その場にいた全員が「最後の人が全部押せばよくね?」という表情をしていて、妙な一体感に包まれる。そして、トドメはパスポートの個人情報ページを天高々と掲げ、「はーい、この人の終わったよー!いるーー??」といった感じでアナウンスされ、受け取りに行く。その光景はちょうど日本の朝一の競りと似ている。4蜜ではきかないくらいのMitsu。カンボジアという国は入国前からエンタメを披露してくれる、なんて素敵な国なのかしら。自分が思うにカンボジアは観光業が盛んなのでこのような過剰な人員の割き方は国の雇用政策みたいな感じなのかなと思う。こうして30USドル分のエンタメを楽しんだのち、持ち込み重量を大きくオーバーしたリュックサックを抱え、自身4度目のシェムリアップに降り立った。

今回来たのには理由があって、とある映像作品を制作しにきたからだ。
自分は2018年3月に大学を卒業してから映像クリエイターとして活動させていただいている中で、ありがたいことに周りに恵まれ自分のやりたいことで生きていられる喜びを日々噛みしめていた。しかし人間という生き物はどこまでも貪欲で、一つ達成するとまた次のステージへ行きたくなるものだ。当初はフリーランスとして映像制作をし、生計を立てたいと考えていた。だが、運良く半年でそれを達成してしまい、さらに高みを目指すようになった。アーティストのライブ映像やMVを制作していて周りからはめっちゃすごい!!かっこいい!!と言われるけど、すごいのはあくまで自分ではなくその映像にでてくるアーティストなんだ。いくら自分で世界観を作りあげてもその映像からアーティストがいなくなれば見てる人にとってそれはただの光る液晶画面にすぎない。自分で言うのもなんだが、作ってる映像は確かにかっこいいと思う(アーティストが笑)。でも、初めて親なしで500円玉を握りしめ、友達と夜のお祭りに行くような、好きなあの子がおれにバレンタインくれると思って歩いて近づいてきたら隣のやつに渡した瞬間のような、あの心のそこからゾワゾワくる「おれ生きてるううう!!!!」っていう感じは制作していて感じたことは一度もなかった。自分にしかできない世界の切り取り方、生き方、価値観、人生観、そういう要素が滲み出てくる作品を作りたい、攻め抜きたい。映像クリエイターとしての神田ではなく、表現者としての神田になりたいんじゃ!そんなことを思いながら、いつものカフェでPCをカタカタ。そこで見つけてしまったんだ、カンボジアに行く理由を!!それはVDP(Visual Documentary Project)という京都大学東南アジア地域研究研究所が主催する東南アジアの若手映像作家が制作する短編ドキュメンタリーを募集・上映するプロジェクトで、HPを見るなり即応募しようと決心し、その15分後にはロケハンに行くための片道航空券を予約していた。なぜそんな野原しんのすけの朝支度並みに早い行動ができたかというと、学生時代に海外インターンやプライベートで東南アジアを訪れておりその中でもカンボジアで出会ったある少年団が強烈に頭の中に残っていたからだった。

その時は友人とシェムリアップにあるトンレサップ湖の湖畔をバイクで爆走していた。すると指一本触れただけでも倒壊しそうな古びた船着場で元気よく遊ぶクレイジーチルドレンを発見、おれもあそこで遊びたい!そう思ってバイクを止め、思い切って突入してみた。お、案外丈夫なんだな、なんて言ってるうちに僕らは子供たちに取り囲まれ、捌き切れないほど一斉に話しかけられた。きっと、聖徳太子でも泣いて逃げ出してしまっただろう。でもみんなめっちゃ楽しそうだし、必死に伝えようとしてくれていることはわかった。そこから鬼ごっこ的な遊びやじゃれあいをしていると妙な違和感を覚えた。何かポッケに感触があるぞ。目を向けると1人の子が僕のポケットに手を入れていた。そう、彼らは遊びながら僕たちの貴重品を狙っていたのだ。しかも本当に楽しそうに探っている。不思議だった。笑顔で悪びれることもなくしなやかに貴重品を探索する、いい意味でカオスな体験だった。日本で育てば人のものを盗ってはいけないなんてことは当たり前のように習うが、世界規模で見ればそうではないのかもしれない。だから、今でも僕はあのゾワゾワする感覚に襲われたのを覚えている。

そんなことがあった中での今回のVDPの発見だったので即応募しようと思った。自分は普段音楽アーティストに関わる映像制作がメインだったので、ドキュメンタリーというジャンルをよく理解していなかった。さらに、自分の中ではっきりしたテーマは決まっておらず、ただカンボジアを舞台に映像を制作できる!という一心で応募した。ロケハンの時は事前にTさんという日本人の方が無償で現地の方に向けて日本語学校を運営されていることを調べていたのでまずはそこに飛び込んだ。なぜ事前にアポも取らずに突撃してしまったのか当時の自分に問いたい。人間興奮状態になると、周りが見えなくなるとよく言うが、僕は特にその傾向が強い気がする。いきなりの訪問にもかかわらず、Tさんは暖かく迎えてくれて自分の話を熱心に聞いてくれた。この学校は人生でどんな環境に置かれていようとも、日本語を学びたい、現状を変えたいと思う子がいれば手を差し伸べるという素晴らしい姿勢を貫いている。やる気のある子がいれば全力で応援してあげる。人生の選択肢は生まれた環境に左右されるべきではないと仰っていた。
なぜ学校運営をされているのかと尋ねると、そこには並大抵じゃない熱い思いがあった。

Tさん:神田くんは本当の支援ってどういうものだと思う?

神田:一度で終わらないような継続的なもの?とかですかね?(安直 of 安直、バカ丸出し)

Tさん:確かに、そういう考え方も正しいよね。でも僕が考える本当の支援っていうのはさ、よく発展途上国の子供たちのためにとか言って学校立てたり教科書買ってあげたりしてるじゃない?あれってちゃんと支援先のこと考えてるのかなって思う時があって。
確かに、物質的な支援は目に見えるものだしすぐに結果がでる。子供たちの笑顔を間近で見れるわけだから。素晴らしいことなのは間違いないと思う。でも考え方を変えてみたらどうだろう?モノを与え続けることによってこの子たちはタダで与えられることが当然という考えのまま育ってしまうかもしれない。学校建設だって、建てるためには土地が必要でその学校を建ててしまうことにより現地の伝統が失われてしまうかもしれない。だから僕はハード面ではなくソフト面、彼らの中から変えていくことを大事にしたいんだ。目にはみえないし子供たちにとっても実感しにくいことなのかもれないけど、自分で自分の人生を生き抜く力、人生の選択肢を増やしてあげることこそこの子たちに必要なんだ。

僕は圧倒された上、センター試験現代文17点なので「はああああ、そうですよねー」くらいの反応が精一杯だった。気付いたら今ならビール飲めるかも、と思うくらい喉がカラカラだった。その日は解散し、露店でコーラを買い、喉を潤しながらレンタルバイクを走らせていた。うーわ、これはやってしまいましたよと。何も考えずに、ただ飛び込んで作りたいんですって自信満々に発言してた僕の愚かさと言ったらもう、、、
いついってもスムージーが売り切れのカフェで1人反省会をしていた。ドキュメンタリーなんて作ったことないし、勢いでここまできたのはいいものの自主制作とはいえいろんな人たちを巻き込まなければできないものだったので、制作は取りやめようと思った。しかし、今現在自分が作っている映像たちに疑問を持ち、自分の中で何か変わらないと本当に描きたいものにはたどり着けないと考えた中での判断を無駄にしてはいけない。もうこうなったら、日本語学校にとってもカンボジアにとっても自分にとっても有益な映像を作ると心に決めて全力でぶつかってやろうと思った。この思いを持って、もう一度Tさんに会いに行ってこの学校でドキュメンタリーを制作させてもらえないか交渉した。ありがたいことに快くOKをもらい撮影の日程と映像のテーマ案を送ることを約束し、一時帰国の途についた。帰りの飛行機の中で頭を整理して、決して恵まれた環境で生きているわけではない彼らは未来について何を考えているのだろうと思い、今回の映像のテーマは「My Future」に決定した。この時もっと深く思考していればと後々後悔するのだが、それよりもこのときは自分の好きな国で自分の作品を制作できるという興奮が高まり、脳内がバグっていたのだと思う。

話は戻って4度目のシェムリアップ。いつも通り、バイクを借りて日本語学校に向かった。まずはどんな子たちがいてどんな授業が展開されているのかを知りたかった。その感想はというと案外日本の学校と雰囲気が大きく違うということはなかった。こちらの方が少し元気があるなと思うくらい。先生も生徒も楽しそうだ。ただ、ノートもペンもみんな持っている。登校にも原付で登校する人もちらほらいて、自分が想像していた雰囲気とは少し違っていた。休み時間に僕は日本語が少し話せる生徒さんになぜここで勉強しているんですか?と聞くと日本で働ければここよりたくさんお金がもらえるんだ!!って。今思えば失礼極まりないが、ぼくはTさんにインタビューさせていただくにあたって、あくまでお金を稼ぐことがゴールではなくて、大きな夢や目標のある生徒さんはいないかと聞いてしまっていた。言い方を選ばなければ、映像映えする生徒さんを探していた。タイトルが「My Future」なので、少しでも自分のなりたい未来像を確立している生徒さんが出演していた方がいいと考えたからだ。だから僕が学校に対して行っていたことは自分の思い描くものを表現したいからそこに合うように生徒をピックアップしてインタビューすること。インタビュー撮影は後で映像で使える部分をピックアップできるように、様々な質問をして多めに収録した。また、彼らの言葉をより強めるインタビューシーンに挟む映像素材の撮影も街中で人の心がギュッと握られるようなシーン、例えばまだ幼い子供なのに繁華街で物乞いをしている場面、アルミをお金に変えるためにゴミ箱に手を突っ込み缶を取り出している場面などを探して撮影した。普段一部のメディアに対して都合の良い部分だけ切り取りやがってとか思っていたが、この時の僕はまさにこれらのメディアと全く同じことをやっていたのだから本当に情けない。でも不思議なことにやっているときは全くそんなことも感じず、良い作品を作るんだという一心だった。なんせ僕の大好きなYouTubeカラオケバー露店に1度しかいけないほど毎晩疲れて極寒エアコンバグ激安ゲストハウスで死んだように寝ていた。そのせいでハウスキーパーのおばちゃんに6諭吉盗まれたが笑。念のためYouTubeカラオケバー露店について説明しておくと、至って見た目は移動式バーと変わらないが、一点違うのがWindows Vistaを彷彿とさせるいにしえのPCがスピーカーに接続されていて、YouTubeから自分で好きな曲を流し、踊り、飲み、騒ぐという楽しい要素が全て詰まった夢のバーなのだ。ジャポネーゼの歌を教えてくれよといわれ、絶対ウケると確信して流した「マツケンサンバⅡ」がまさかの三振で地獄の3分間を過ごしたのがいい思い出。

そしてここでやっとタイトルにもなっている自分の人生が一変した日が訪れる。
その日、僕はアンコールワットの先にある小さな村に住んでいる生徒の家族にインタビューを終え、今日も馴染みの食堂で爆盛りフライドライスかな、と夜メシの妄想を膨らませながらアンコールワット近くの道をバイクでゆっくり走っていた。すると、ぽつ、ぽつ、ザーー。しまったあの時間帯だ!!東南アジアでは日本のゲリラ豪雨の43倍くらいの雨がだいたい夕方に降ることが多い。いつもであれば建物に入ったり、トゥクトゥクの席に乗せてもらったりして過ごすのだがその日は周りに何もなかった。しかも運悪く今回のスコールは最強レベルでまじで自分の頭の上を全開シャワーがずっとついてくるようなイメージだ。雨やばいなー、そんなレベルではない、痛いのだ。あっという間に前が見えなくなるほどスコールは激しくなりさすがにバイクを止めた。真っ先に僕は機材の入っているリュックをどうしようか考えた。なんせ僕が信用情報に傷つきまくりの中、クレカ上限ギリギリ×2で買った全ての機材が今自然に還ろうとしているのだから。でもなす術はなく、結局僕は抱え込むように覆いかぶさるしかなかった。それでも雨は容赦なく降り続ける。なんて無様な姿だろう。このまま降り続ければ今まで撮影したデータが消失してこの制作自体なくなってしまうかもしれない。おそらく「世界の中心で愛を叫ぶ」の名シーン「助けてください!!」の演技オーディションが今まさに目の前で開催されていたらぶっちぎりの1位になる自信があった。終わった。この失敗経験をどう次に活かすか考え始めたその時、1台のバイクが横に止まった。降りてきた男は何か話しながらゼスチャーしているが不思議と何を話しているのか理解できた。「お前こんなとこでなにお祈りしてるんだ!!ついてこい!」。漫画で外国人のキャラが平然と日本語で話しているあの感じのように。命がけでバイクでついていくと露店の横に雨がしのげるように木と木の間にビニールシートが貼ってあるスペースにたどり着いた。助かった。すでにそこには何人かが談笑しながらビールを飲んでいた。お前も入れよ!!恩人は僕に笑顔で手招きをして迎えてくれた。「仕事する気分じゃないときはみんなああやって集まって飲んでるんだよ」。僕は精一杯「オークン(ありがとう)、オークン(ありがとう)」と言い続けた。「おれ生きてるううう!!!!」歓喜の瞬間だった。思わず僕はあれほど苦手だったビールを自らの手でプシュッとしていた。チョルモーイ(カンパイ)!!湿った空気、雨の音に囲まれながら喉を駆け抜ける爽快感、ナンジャコリャ〜!!でもやっぱ美味しくないな。いやそんなことはどうでもいい。見ず知らずのびしょ濡れジャパニーズがこんな素敵な人たちとスコールの中、バカ笑いしながら野菜と謎の物質の炒め物をあてにビールを飲んでいる。素晴らしいじゃない。今一緒にいるみんなと一緒のビールを飲んでいる、ただそれが嬉しかった。

しばらく楽しんでいるとコナンくんが何か閃くあのエフェクトのように頭にビビッときた。そうだ、自分が本当に描きたいのはこういう瞬間なんだ。言葉にはできないが、一瞬見ただけで引き込まれてしまう、「はっとする」とかそういう表現が似合うかもしれない。本当にこの感情を言葉にできないのは悔しいが、そのシーンに唯一共通する点が、「人」であるということ。いくら絶景を見ようが、うまいメシを食べようがその感覚になることはない。人の心に触れる瞬間。人の人生がちょっと見えた瞬間。日常の中のちょっと幸せな瞬間。彼らにとって、見ず知らずの人をスコールから救い出し、もてなすことなんて当たり前なのかもしれない。でも少なくとも僕の心の中は、「そんなのありかよーー」。
このとき、自分の中で、世界の見方が変わった。サンタさんに会いたくて、夜ずっと寝たフリをしていたら親がそっと枕元にプレゼントを置いていった以来の衝撃だった。思えば僕はこの映像で自分の偏った考えを表現しようとしていたんだ。全て僕の生きてきた環境、受けてきた教育、体験を基に生まれた見方であって、それを異なる価値観考え方を持っている国で一方的に表現するというのは某長編テレビ番組と同じで作品を観る人に誤った考えを押し付けてしまう。貧乏だから日本語を勉強して日本で働いて国に恩返ししたいんだろうな。恵まれない環境で育ったからこそ、努力を重ねて少しでも同じ思いをする子供たちを減らしたいって思ってるんだろな。そういう期待がどこかにあって、インタビューの質問でも誘導的なものが多かった気がする。普段自分の触れている情報がいかに世界の見方を歪めてしまっているのかを恐ろしいほど実感した。日本語を勉強する多くの理由は日本で働いた方がいっぱいお金がもらえる、それだけ。中には自分の地元の活性化をしたいとか、日本語の先生になりたいという素晴らしい生徒もいたがそれはごく少数だ。僕は同じ人間であるということも忘れて世界を日本という視点から見ていた。夢を持ちなさい、目標を持ちなさい、その前にもっと大事なことがある。今、幸せなのか。「お金がない、モノがない=かわいそう」なんて誰が決めたんだ。「ない」からこそ見えてくる世界も幸せもある。幸せのメガネはこの世に存在する命の数だけ存在すると思うので、他人の幸せを見ることはできない。だから今回で言えば、僕は「貧しいなかでも幸せな未来を勝ち取るために頑張ってます!!」を表現しようと考えていたがそんなものは論外で、もうそこには幸せがあるのだからそこをねじ曲げてどうするんだ。何もしなくても、目の前には人の心を揺さぶる素晴らしい光景が広がっている。この国、地域、もっと言えば目の前のこの人はどんな価値観考え方を持っているのかそれを十分に理解した上で自分と重なる部分を作品に落とし込んでいくことが大事なんだと学んだ。
またこのとき、Tさんが仰っていた人生の選択肢をもっとたくさん増やしてあげたいという言葉の意味も理解できたと思う。確かに彼らは僕らにはないものを持っている。それはなにかと言われると言語化するのは難しいがあえていうのであれば、生きている匂いがぷんぷんするのだ。トゥクトゥクドライバーは朝から爆睡、露店は挨拶代わりにぼったくる、交差点で事故っても「ごめーん」だけで済ませるし周りは爆笑してる、スコールで腰近くまで道路が浸水してもみんな楽しそうに通行する(結構これ楽しい)、目隠しさせてコウモリを食わせる(味は文章にするとコンプラにひっかりそうなので割愛)といった感じに上げるとキリがないがみんな自分の人生をのびのび生きている。ただ、こういう生き方もあるよと見せてあげることも必要なんじゃないかと。「知らない」ほど怖いものはないから。決めるのはもちろん彼ら自身。その選択肢によって彼らの人生がより豊かになればそれ以上に嬉しいことはない。

その日の帰り道はいつも同じ道を通っているのになぜか新鮮で楽しかった。雨上がりで道が浸水し、自ら全速力でその道を駆け抜け、スプラッシュマウンテン2.0を体験してたこともあったかもしれないが、本当に清々しい気持ちだった。

僕は残された時間を使って、カメラを回し続けた。世界一コーラをうまそうに飲む少年、目が合えばニコっとしてくれるおっちゃんたち、真昼間から飲み会をしていた家族など、このアンコールビール片手にみんなでわいわいしてたときの感覚と近いものを感じる方向にカメラを回した。笑顔でSDカードがいっぱいになった。ちなみにコウモリを食べさせられたのはこの時で、目隠しをさせられコウモリを食べさせられた挙句、うちの娘と結婚をしてくれと真剣な眼差しで父親に見つめられた。娘さんのほうに目をやるとこちらも父親と同じ目をしている。結局、周りに囃し立てられほっぺに僕がチューをして大盛り上がりの飲み会となった。こうして最終日を終え帰国した。

さあここから編集をするわけだがほぼ全ての素材はbefore アンコールビールの時に撮影したものなので神田フィルターがかかってしまっている。それでも自分なりに今ある素材が1番輝けるよう必死に編集し、応募期限ギリギリで提出できた。結果は案の定落選。納得の結果だった。撮影に協力してくれた日本語学校や村、今回関わってくれた全ての人に対して申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいだ。自分としては結果うんぬんよりももっと大切なものに気づくことができたし、なにより一瞬でもビールをうまいと感じかけた自分にも出会えたのだから本当に素晴らしい経験になった。

この経験があってから自分はアーティストや企業から映像制作の依頼をされたら、相手の要望をそのまま鵜呑みにするのではなく、なぜその映像を制作したいのかなぜその表現が必要なのか根掘り葉掘り聞いた上でその映像がファンに社会に世界にどう影響を与えるのかまで一緒に考えて制作するように心がけている。さらにいえば、相手が本当に表現したいものを最大化するにあたって、その最適解が映像でないと判断すれば別の方法を一緒に模索したりもする。

自分は映像が好きだ、左脳ある?と言われ続けた僕でも自分の見たものをダイレクトに伝えることができるから。でも、ダイレクトに伝わりすぎるがゆえ、切り取り方によっては作る側のわがままがいくらでも反映されてしまうのも事実。そのままを伝えろというわけではない、作る側、作られる側(被写体)、見る側、みんながハッピーになれる映像であればどんな切り取り方をしてもいいと思う。

今回のような素晴らしい体験が連続する人生を走っていれば、自分の人生をかけてまでやりたいことを見つけることができる気がする。このアンコールビールはそういう意味でも大きなヒントになった。でもやっぱりビールは苦手かも笑

感情の意識:驚嘆、喜び、敬愛、怒り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?